2015年6月22日月曜日

お父さん ありがとう 

2013年2月に亡くなられた市川團十郎さんと娘の市川ぼたんさんとのビデオ日記で構成された番組を見ました。私の母が亡くなったのが3月ちょうど團十郎さんの一か月後、ビデオにもあった雪の日の病院にシーンに思わず自分を重ねてしまいました。 團十郎さんが急性骨髄性白血病で舞台を降板されてから9年その間 外郎売での復活、パリ公演と何度か舞台復帰のニュースを耳にしその姿に元気をもらっていました。 2012年12月には中村勘三郎さんの急死その大きなニュースに耳目を奪われている間に團十郎さんの病はすでに取り返しのつかない状況に陥っていたことがわかりました。しかし12月28日にはビデオを映す家族に元気にこたえられている姿が印象に残ります。
成田屋 かまわぬ!
娘のぼたんさんは 父親の闘病生活をビデオ日誌で綴ることで父との時間を記憶にとどめようとされ父もそれに最後までこたえられていたことに強い親子 家族の絆を感じました。梨園の市川家もまた普通の日本の家族なのだと思います。今更ながら親しみを覚えます。
 娘のぼたんさんは 日本舞踊市川流の家元でご自分もまた芸事の道を歩まれています。それだけに父との時間、父の思いを表現したいという気持ちは人一倍にお持ちなのでしょう。だからこの番組も成立したのではないかと思います。それと若さです。自分の内面からほとばしるものが最良の表現で人の気持ちを動かさないわけにはいきません。
 團十郎さんが「役者は 意地と張りが命だ」といって家族の反対を押し切りパリでの公演を実現させたクダリは胸をつかれました。正月を過ぎてからのビデオにはすでにむくみがひどくなった手が写され重なる娘さんの手が痛々しく見ていられなくなりました。が あとからその手を思い出すと團十郎さんの弁慶が飛び六法で花道を引き下がるシーンと重なります。あの弁慶の姿は団十郎さんでなければなりません。享年67歳 死の床にあっても生きる思いに貫かれていたのだと思いました。ベッドサイドの点滴チューブが外されるタイミングは難しいです。手厚い医療の悪戦苦闘の戦場だったことが想像されます。こころ静かに死を迎え ひっそりととも思いますが荒々しく猛々しく死に向かう後ろ姿を家族や観客に見せる役割を果たされたように思えてなりません。
 私のこの投稿は3か月ぶりになります。4月から新しい仕事も始まり生活が一変してしまいました。60代 まだまだいろいろなことがあるでしょう。くじけそうになったらこの番組を思い出して与えられた役割を全うできるよう心掛けたいと思いました。
 そういえば 我が家にも「父」の役割を果たす方がおられます。「父」の役割を楽しく果たせるよう
ささえましょう と「妻」らしく思いました。これが私の父の日のプレゼント!!
 

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...