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2016年3月8日火曜日

啓蟄 小松石

 3月になり母の命日にお墓参りにゆきました。お彼岸を前に広い墓地には梅が満開、河津桜、蘇芳、桃の花が咲いています。気の早い雪柳も花をつけ始めています。この墓地一帯は昔雑木林、東京を縦断する野川の上流に位置します。そのためか墓地にもゆとりがあり墓石より赤松やケヤキ、プラタナスなどの大きな木が目立ち、桜のシーズンはお墓参りだけでなく花見客でにぎわいます。私もこの自然が好きでよく出かけます。
この林の中を歩いていると深呼吸をしたくなります。足元でごそごそという音も聞こえてきそうな気がします。町では感じられない感覚です。それもそのはず3月6日は啓蟄。という季語があるように土中の虫たちが春に向けて動き出す時期になるからです。足元の目に見えないところで虫たちが生まれ成虫になり命を全うしようというエネルギーが五感に感じられます。春ちょっと前の雑木林は爆発前のエネルギーが充満していいですね。こういうところにお墓があり家族が引き寄せられるということを大事にしてゆきたいと思いました。
 さて本小松石、石が好きだった父は旅行先でよく石を拾ってきています。母は海外旅行の土産に父に死海の石(岩塩)を持ち帰えるくらい石にこだわりをもっていました。そういう両親が建てた墓なので、墓石に自然石を使っています。小さな墓地の真ん中でデンとおかれた緑色の自然石は、年を経るごとに存在感を増してきています。
話題にしたい石は、この緑の石のことではなく墓誌を刻んだ石のことです。これが小松石というもので、検索しましたら伊豆の真鶴で産出する堅牢な石ということがわかりました。かつては江戸城の石垣に用いられたともありました。江戸時代と40万~50万年前の箱根の噴火活動がぐっと身近になりました。箱根外輪山の噴火で噴出した溶岩が急速に固まってできた安山岩で小松原というところで多く産出しました。採れる地域が限定されていることと石を切り出すのではなく、産出された形を利用しなければならない堅牢さがあるため、希少価値があるといわれ鎌倉時代から城の石垣づくりに用いられました。江戸には海路で運ばれその港として栄えたのが真鶴になります。
 最初 墓誌の石の表面にシミが出てきているのかしら?と思っていましたが、来歴や価値をしればシミも宝物に見えます。石の良しあしは、いろいろな石に出合いその来歴・形などに関心がもててわかってくるものがあるでしょう。しばらくはお宝として大事にしてゆこうと思いました。とはいうものの自分の見る目なんて危ういものだなとお腹の中で笑ってしまいます。「直観は大事」としていても、評判や情報でいくらでも揺らいでしまいます。だからといって直観を信じないわけでもありません。直観も評判も何かを大事にしようという気持ちがなければ、何にもなりませんものねえ。希少価値のある墓石を大事するということを通して、亡き親たちが大事にしたルーツへの感謝の気持ちや自分たちが生きた証を残そうとする気持ちに気づかされました。人間関係や諸事に追われ自分が何を大事にしようとしているかを、見失いがちな今日この頃、墓参りでよい時間を過ごすことができました。

 

2016年2月19日金曜日

男の花道、女の花道

  X線観測衛星アストローHの発射が悪天候のため延期になりました。春の到来とともに,衛星成功の吉報が流れるのを待ってます。
 サイエンス音痴の妻を持つ夫は,この衛星の反射望遠鏡の製作に長年携わってきました。いよいよこれが,退職前の最後のプロジェクトです。さすがの私も最後の花道が成功するよう願っています。私は宇宙への関心がないわけではありませんが,長年携わった仕事が人間相手でしたので現実とのギャップが大きすぎ,話の接点が見つからなくなってしまっています。きっと若いころには面白がって宇宙の話を聞いていたのでしょうに・・・。
 私たち共働き夫婦が,お互いの仕事に踏み込むことはありませんがこうして無事退職の時期を迎えることができそうでなによりです。昨今は私たちが結婚した頃に比べて共働き夫婦も多くなりました。家族で家事や育児、介護を分担しながら生活しています。回りを見渡せば同世代の女性には、専業主婦あり独身仕事一本とそれぞれに年齢と経験を重ね、頼もしく自立している人が多いことに気づかされます。
 私は介護で中途退職して5年目、看取りも卒業しセカンドライフも軌道に乗ってきたところです。それでもまだまだ仕事に追われる生活や、緊張感が忘れられないようで勝手に仕事を作っては忙しがっています。
 大きなプロジェクトや組織に、長年かかわってきた男性諸氏の退職後生活を、何が支えになってゆくのでしょう。図書館で調べものをしている中高年の男性、車いすを押して母親を介護する男性も、病院の待合い室で多く見かけます。ボランティアに参加している男性も増えているようです。小旅行の男性グループも、よく見かけます。 今まで女、子供が中心の町の集まりもしだいに男性が加わるようになりました。バス旅行を楽しむ人、美術館、音楽会に一人でいらしている男性もよく見かけます。じわじわと退職された団塊世代が、会社から地域社会に浸透してきている感じがします。
 84歳でなくなった父の日記には、退職を控えてこれからやりたいことを実現するんだという気持ちが綴られていました。あ~みんな感じることは、同じなのだなと励まされますが、自分の半生・仕事を振り返る時間はあるようでないもの。結局退職しても何も切り替わらないというのが今の私の感想です。
と言いながら、結局仕事と同じように自分で勝手に目的を作りだし日々を過ごしています。組織やプロジェクトという大きな枠組みが家庭や地域社会に代わるだけです。退職したくらいで自分は変わるものではありませんから仕事をしていたときのように目の前のことに取り組めばいつのまにか新たなプロジェクトや新たな人間関係や環境が見えてくるような気がします。還暦、健康寿命はよくてあと20年かな? 車もあと10年運転できれば立派です。先延ばしせず男も女もそれぞれの花道をどんどん進みましょう。


2015年3月2日月曜日

南無阿弥陀仏

寒緋桜(カンヒザクラ)
親戚の法要にでかけました。 春雨の一日でしたが親戚30人ほどが集まり7回忌・23回忌・33回忌のトリプル供養をいたしました。親戚の家は昔からの農家で2つの分家があります。分家とは江戸時代からのお付き合いとか。本家には近頃珍しく敷地内に先祖代々の墓があり防空壕もあります。法要のあとみんなでお墓にお参りし会食となりました。 私の母の実家になりますが母は7人兄弟の末っ子私は従兄妹のなかでも末席に連なります。お気楽な立場ですっかり楽しんでしまいました。従兄妹の年長は80歳です。母の世代はどこも兄弟が多く親戚もたくさんですが次の世代の子供の数は半減しています。こうした集まりもしだいに少なくなっていくのでしょうか。私たちの世代になると子供の数は 3人いれば多い方独身の方も増えてきます。3回忌、7回忌などの行事も家族だけで行うことが増え、親戚一同が会することもなくなってしまうのかとさみしい気持ちになってしまいます。親戚づきあいより友人づきあいに花咲く昨今これもしかたがないかと思いますがまだまだ血のつながりが感じられるうちはこのお付き合いを大事にしようと思いました。今のところみんな私があまりに母に似ているので驚いてくれてます。
昔のように隣近所が助け合って農作業を行うこともなくなりました。私たちの世代の人たちは親の残したものを守りながらサラリーマン生活をしています。それぞれ介護や健康のこと財産のことなど悩みはつきませんが楽しく真摯に生活しています。どうも各種地域の行事がある中で一番のイベントは夏のバーべキュウらしいです。私お誘いいただけることになりました。また防空壕をワインセラーにしようという企みも進行中のようで こちらも楽しみ。
 親戚づきあいもその世代に合わせた工夫をすれば昔そうであったようにひとつの拠り所になるはずです。私の仕事柄「地域」という言葉をよく使いますが「地域」は隣近所だけではないことを実感しました。ほどよい距離を保っていきましょう。お互い助け合うとき信頼の基盤くらいは持っていたいと思いました。もうひとつの拾い物は本家は「浄土真宗」だということがわかった事です。若い背の高いお坊さんの講和はとてもわかりやすく「心の目を開かなければ深海魚の目と同じだ」というお話 その心は「深海魚のように光が届かないと目が退化してしまうから光を受けられるよう願いましょう」「浄土真宗はめざめの宗派」で自我に目覚めるのではなく目覚めさせていただくということが本質です。」ということでした。私はキリスト教ですが「いいお話でした」と感想をもらすと分家のおじさんがキリスト教も親鸞率いる浄土真宗も共通項は「迫害」 だねということで盛り上がりました。
 なるほど このお互いの共通項を見出すことがこうした集まりには大事なことです。おじさん ナイス!
こちら 法然の浄土宗の九品仏境内


2015年2月27日金曜日

恐るべき子供達


黄色のフリージア 花言葉は無邪気
一人の少年の死が今日本社会、マスコミを大きく揺さぶっているように思います。大人たちが知らないところで思春期の子供達が傷ついています。自分の事でいっぱい、いっぱいの思秋期の私たち大人、虚を突かれたと思う大人もいれば責任の所在を巡って他人事にしてしまう大人もいます。受け止め方は人それそれですが一人の少年は河川敷で裸にされて死んでしまいました。やりきれない事実です。それだけでも十分なのにTVのニュースは頻回に事件の残虐性となりゆきをことこまかに報道しています。目をまん丸くして冷静さを装うキャスターやコメンテーター、ヒステリックに聞こえるトーンの高い女性アナウサーの声に思わずTVのスイッチを切ってしまいます。視聴者が果たして望んでいることなのであろうかと???

 昔見た一つの名画座でみた映画を思い出しました。ジャン・コクトーの「恐るべき子供達」です。この映画は1950年にジャン・ピエール・メルヴィルによって映画化されました。日本では1980年代に萩尾望都の漫画で再ブレークしました。シュールなコクトー 1929年の作品で二人の姉弟の関係が一人の美しい少年の出現で崩壊してゆく物語です。思春期の危うさや残虐な行為に自分の運命を受け入れてゆく悲劇で救いはありません。コクトーはこのときアヘン中毒の治療のため入院していました。その療養生活の中で描かれた物語です。物語は大人にならない子供達の閉鎖的な空間の出来事です。大人になることを拒んでいる。または大人になるきっかけを逃しつかめない子供達、子供の世界は純粋で無邪気にみえますが許しのない攻撃性と貪欲さをはらんでいます。この事件の少年たちの間に起こった出来事にこの映画のテーマに似た心のダイナミックスを感じました。

 大人になるきっかけはなんでしょうか。閉鎖的で密度の濃い人間関係から奥深くお互い心を開いた人間関係をつくり成長を続けるきっかけやチャンスは誰にもあるように思います。どうにもならない自分の気持ちをコントロールするためには何が必要なのでしょうか。 思春期も思秋期も共通しているのは季節の変わり目に立たされ孤独感と向き合う時間をもつことではないかと思います。若年ながらも孤独と真摯に向き合えればきっと力強い青年に育ちます。親兄弟友人との死別・離別でなくても生活の時間や空間の使い方でいやでも愛着のあるものから離れなければならない。そういう体験に上手に取り組ませ、注意力を養い危機を避けられる力をつける責任が若い親や家族・社会にはあるように思います。
 そして日々流れるマスメディアの責任 清濁入り混じった情報や殺人・犯罪の容赦のないTVや映画・漫画・ゲームの残酷場面の氾濫を子供の目線で考えてみてはどうだろうか。「子供は大人の鏡です。」 この少年の死が思い出させてくれました。ご冥福を祈ります。


 

2014年4月22日火曜日

下ノ畑二居リマス。おやつはいつものところだよ。

花巻農業高校敷地内の宮澤賢治像と羅須地人協会の家


新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変えよ

春と修羅 第4集 生徒諸君に寄せる から

羅須地人協会の家の教室
宮澤賢治は大正10年 25歳のときから大正15年 30歳まで花巻農業高校につとめました。30歳のとき依願退職して花巻川口町下根子の実家内別宅で羅須地人協会を設立し、農業芸術運動ともいうべき活動を始めます。元祖文理融合推進派なのです。農業に科学と芸術の融合をみていたのでしょうか。
 現在この家が農業高校敷地に移築されています。家の中に入ると木造家屋の強い匂いが戦前日本の生活にタイムスリップするのを助けます。2階に妹トシが臥せっていました。賢治はここで自炊し 賢治に共感する若い人たちと暖を取りながら交流を楽しみました。

      羅須地人は宮澤賢治の造語 地人は農民を指すようですがきっと土・大地とともに生きる人すべてを意味しているように思います。羅須についてはいくつもの説があるようです。 決め手はなく賢治も取り立てて説明していないようです。
 この板書はただ自分の居場所を教える伝言だけでなくその言葉には「おやつがあるよ」というという意味を含んでいるというエピソードがあることを知りました。「いるよ」でなく「居ります」という襟をたださせるような言葉遣いと合わせ宮澤賢治がいつまでも愛される才能と人柄を持ち合わせた人だったことを思わせるエピソードです。
 明治29年から昭和8年の37年間は日露戦争・第1次世界大戦、世界恐慌・米騒動・関東大震災東北の凶作、冷害が度重なります。賢治が生まれた明治29年の明治三陸大地震・津波そして亡くなる昭和8年の昭和三陸大地震・津波賢治は2つの大地震の間を生き抜きました。賢治の感受性は大地と宇宙と交流し続けざるをえなかったでしょう。
 盛岡・花巻を旅行してイーハトーブ(岩手)の自然は人格を感じさせるものがありました。突き放すようなあっけらかんとした大地と北上川、岩手山と周囲の山々は厳しさと輝きを同時に放っていました。また訪れてみたい土地・人宮澤賢治です。

 
    

どんと晴れ! 老兵 ここにあり

小岩井牧場の一本桜と岩手山
もうすぐ桜咲く
今年はウソの被害はなさそう


岩手山

そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひしめく微塵の深みの底に
きたなくしろく澱むもの
                    春と修羅 第1集 明治22年6月27日

小岩井牧場入り口付近 桜並木の古木
こちらも桜のつぼみがふくらんで古木もほんのりピンク


小岩井牧場 パート3から

生な松の丸太がいっぱいにつまれ
            (陽がいつかこっそりおりていて
             あたらしいテレピン油の蒸気圧)
1台だけがあるいている
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめった黒い腐植質と
石竹いろの花のかけら
さくらの並樹になったのだ
こんなしずかなめまぐるしさ






2014年4月13日日曜日

いないいないばばあ ・・? おっと いないいないばあ!


いない・いない・バンブー
いないいないばあ いないいないばあ で孫一が笑うようになりました。 生後5か月。お母さんとお父さんの顔はわかっているようですね。ときたまご機嫌伺いのおばあちゃんのいないいないばあに、いまひとつのりの悪かった孫一が今回はしっかり笑いました。手で隠した顔がいないいないばあといって顔をだしたときのはっとした表情はこれまでにない感情の表れのようです。知的とでもいいましょうか 好奇心とでもいいましょうか 雨後の竹の子のような力強い表情です。
 いないいないばあの写真を探しているときに昨年の竹の子採りの写真を見つけました。春先の竹林で竹の子を見つけたときの「しめた」という感じに似てるような気がします。 採集民族の血が騒ぐという感じ 狩猟民族の血でもいいですね。孫一もそんな血が騒ぐようになってきたのでしょうか。確かに手に触ったものをつかんだり離したりするだけでなく、口にもっていくようにもなりました。つかむ力も強くなりました。ベッドサイドには、小さなぬいぐるみが10個ほど洗濯ばさみにつるされています。孫一はこれをよく見ていますが最近は手を伸ばすようになりました。ある日この小さなぬいぐるみたちはすべてベッドに落とされているという事件がありました。もちろん孫一の仕業です。
みた!つかんだ!とった! トラ・トラ・トラ 孫一戦闘態勢に入ります。おばあちゃんだって 「いないいないばばあ」などとは言わせないぞ。






2014年3月22日土曜日

朝まだき ウグイス初鳴き 東山

 3月17日 朝 庭先でウグイスの鳴き声を聞くことができました。しっかりした「ホーホケキョ」です、ケキョケキョは 縄張りに侵入する敵を知らせる鳴き方だそうです。「ホーホケキョ」も縄張りを知らせるようです。暖かくなった早朝に聴く「ホーホケキョ」は格別です。高らかに自分の居場所に名乗りをあげる小鳥のけなげな姿を想像すると元気がでてきます。私も透る声をだしてみたくなります。
春の始まりはそうでなくちゃ。 
 
馬酔木


水温む(みずぬるむ) 独活(うど)和え 蜆汁 雲雀 ムツゴロウ ミモザ ユキノシタ スズラン カタクリ アネモネ サクラソウ タンポポ 弥生 長閑 東風 風光る 雪の果て 霞 蜃気楼 山笑う流氷 流し雛 4月馬鹿 ・・・・

季寄せ・歳時記を読んでいるだけで春になる。夏の季語を読んでいると冬でも夏の気分になる。

2014年3月19日水曜日

利休をたずねて

 



  あの人変わっていると思わない?と友人から同意をもとめられた茶道の師匠は「そうね あなたも私からみたら変わっているわよ」と切り返しかっかっと笑い飛ばしてきた話をおもしろそうに私に話してくれました。「自分の物差しで相手をみたら自分以外は誰だって変わっているに決まってるわ」師匠の人生哲学に触れるのもお茶のお稽古の楽しみです。4ヶ月のご無沙汰のご挨拶に師匠を訪問した日の一コマです。
 「 せっかくだから」とお茶のお稽古をしてくださいました。逆勝手のお薄点前 、右と左の点前の違いにアタフタしながら 師匠のお話に相槌を打つという日頃にない頭と身体の使い方でした。が終わってみれば 爽快感が残ります。ストレッチ体操をした後のような・・・・。4ヶ月の無沙汰は敷居を高くしてしまいますが行ってよかったお富さんでした。師匠の懐の深さに救われました。感謝!

2014年3月15日土曜日

メメント・盛

 母の1周忌 親族で墓参りと会食をしました。 
私は墓参り大好きです。 彼岸とお盆の墓参りを欠かさなかった父母に連れられて毎年墓参りをしてきたからか、永井荷風が正岡子規や芥川龍之介の墓参りをかかさなかったことにに触発されているのかお墓まいりがなぜか好きです。お墓の集まる墓地もいいなと思います。特に多磨墓地はその下に4万の遺骨が眠っているかと思うとぞくぞくします。言い知れぬ静かさに包まれる墓地と心の中のなにかが触れ合うからでしょうか。墓石や墓所のもつムードもあります。遺骨となっても残るものがいかに大きいか墓地はそのことを教えているように思うのです。
 母が亡くなって一年 父が亡くなってもう13年 亡くなってから気づくこともまた多いものです。父の仕事ぶり、家族との繋がり、戦争のこと、父の青春や価値観など残されたものを手掛かりにいろいろ想像をめぐらすのは今となっては楽しい時間です。家があり遺品があるからできる道楽かもしれません。
 母はまだ新鮮なので 箪笥、食器棚、机、鏡台などの抽斗をあけるとまだ母の匂いがあり「なにやっているの?」ときれいにならんだハンカチが見つめています。ギョ ギョ
多磨墓地 梅原龍三郎氏墓
いづれ 母の記憶も忘却のかなたに消えてしまうのでしょうがそれまでは楽しもうと思います。そういう気持ちにやっと1年かけてなってきました。親とはいくら大人になっても一心胴体のようなきってもきれない臍のような繋がりかたを感じるものなのですね。
 子供は遺骨になってから母親・父親という役割から離れて一人の人間としての魅力を発見する機会に恵まれるように思います。
 私還暦 いい年齢になりました。まずは私が育つまで健康で生きていてくれた両親に感謝です。自分の経験も生かして両親の生きてきた時代を考える時間もまだあります。
 自分のお墓のことを考えるのもいいことだと思いますが しばし親の死に向き合う静かさが生活の中にあってもいいでしょう。

 メメント・モリは memento mori  ラテン語で「自分が(いつか)死ぬことを忘れるな」という意味の警句 ここでは 「モリ」を「盛」にしてみました。
「死は盛だくさんの人生の受け皿」の意味を「盛」に重ねてみたのですが どうでしょう?
 

2014年3月11日火曜日

孫一 空を飛ぶ

 孫一 4か月 今は仰向けで寝ているよりこうしてうつ伏せの姿勢の方が元気です。首がすわり音のする方 おっぱいのある方に自分で頭が動かせるようになったのもつかの間 背筋をピンと伸ばす勢いで頭を後ろに倒してきます。こうして空中に持ち上げるとご機嫌で手は堅くこぶしを握っていますが足をばたばたしてなかなか泣きません。やっぱり男の子です。下ろそうとすると泣くので父は仕方なく「takai/takai?!?!」をしつづけます。父にしかできない仕事なのでちょっと父は鼻が高いですね。こうして父親らしく 男の子らしくなってゆくような気がします。がんばれ父 腰痛持ちのばあさんとしては自分の頭より高く持ち上げられて喜ぶ孫の顔見たさにいったりきたりしています。
 ばたばたする足をみていると背中も足と同じようにくねくね。地上に下ろしたらトカゲのように匍匐前進するかのようです。そういえば入浴のときもばたばた 足は泳いでいます。足が動いているときは手の方がおろそかになるようで こちらはこぶしを握りつぱなしです。いずればらばらに動かせるようになるのでしょう。手はじめに空中で父の髪の毛をひっつかむわけですね。孫一は 4か月で8kgという リトルジャイアン 父の腕はいつまで支えられるでしょうか。次にどんな親子の空中わざが飛び出すか楽しみです。

2014年3月3日月曜日

どっこい コミュニティ

 
 婿が通い始めた教会で演奏をするというので孫と娘と出かけました。キリスト教の教会で アメリカ人の二人の青年神父が聖書からのメッセージをわかりやすいプレゼンテーションと通訳で伝えジャンベ・ギター・キーボードの伴奏で何曲かの歌を歌い、最後にお祈りをして終わります。集会室のロビーにはドーナッツとコーヒーが用意され和気あいあいとしてリラックスした雰囲気です。周囲はアメリカ人、フランス人、アフリカ人、日本人の家族など40人ほど映画の一シーンに紛れ込んでしまったような錯覚を覚えました。婿は日本に来て半年 生活にも馴染んできているようにみえます。
  
 教会では同じような国際結婚の家族も何組か来ていました。子供たちもいます。自然に輪ができます。異国にあっても神様を求めて自然に集まり生活の基盤を作ってゆく力が宗教にはあるのだなあと思いました。この日のお話はコミュニティについて聖書から10のルールを引用していました。お互いに思いやりをもって接し、間違ったことは諌めあい、悪口を言わないなどということです。特別なことではありませんがいろいろな国の人が共感してうなずきあう姿がよかったですね。 
 
 たくさんの外国人の中の一人の日本人、たくさんの日本人の中の一人の外国人、たくさんの男性の中の一人の女性、たくさんの女性の中の一人の男性、たくさんの車いす利用者の中の一人の歩行者、たくさんの歩行者の中のひとりの車いす利用者と同じように婿と私の立場が逆転する一日になりました。ホームの私、アウェイの私。どちらも私ですね。自分が頑なになってきたなと思うときに新しいコミュニティーに身をおいてみると「違いのわかる私」を発見できるかも・・
 





2014年2月22日土曜日

男ありて

 今日は雛人形をだして飾りました。母の手作りの木目込み7段飾りという代物です。毎年出してあげないとお蔵の中から声が聞こえてきそうです。2月11日ごろに出して約1か月 家の中に早めの春を運んできます。私の娘が1歳の節句に完成しました。それ以来 30数年毎年我が家を賑わしてくれています。出し入れは殆ど私の仕事ですが・・・・。いくつになっても女の子らしいやさしい気持ちで準備後片付けができる行事です。仕事に外に出かけていた頃も土日に集中する家事の合間をぬっては組立式の階段や雛の並び方に苦心してきました。今はたっぷり時間があります。「あれ こんなお顔していったけ」と発見があり楽しい時間です。

 女といえば男 図書館で澤地久枝さんの「男ありて 志村喬伝」を借りてきていました。女・女してくるとなんかピシッとしたものに触れたくなるものです。山村聰と志村喬は和服姿が父と重なるので私にはなんとなく親近感がもてる役者さんです。山村聰も志村喬は明治の生まれです。

 澤地久枝さんの著作は取材が優れていて細部のエピソードのリアルさでぐっとくることがあります。今回は寡黙な志村夫妻の往復書簡が素晴らしかった。私の父たちの世代の夫唱婦随の姿が彷彿と湧き上がってくるようです。共働きの背景にある男女同権・男女平等の潮流の下にも流れているかもしれない細やかな交流が読み取れます。
 
往復書簡から (志村喬 32歳 政子 24歳の結婚前の秋)

 政子あて
  お手紙有がと、私こそご無沙汰して申し訳ありません。忙しいので遂。それに性来の筆不精とで、悪しからず。
 時にご相談ですが、家を越そうと思いますがどうです。貴女が今の家がよければそれでいいですが、水道、ガスがないし女の人にはちと淋しすぎるからどうかと思っております。実は今日は久しぶりの休みだし、これから貸家さがしに歩いてみようかなと思います。
 日活入社のときに撮った写真、焼増をしましたから送ります。ご笑納ください。では今日はこれで。皆様に宜しく
   廿二日
 



 志村喬出演の映画をYOU TUBEで検索してみました。「獣の宿」と「ドレイ工場」です。どれも戦前・戦後の日本の社会を映して余りあるものです。こんなに男性が元気で闘争本能丸出しの時代があったのかびっくり 昨今の中東の暴動のシーンに似ています。アメリカの戦後統治から抜け出そうとしていた人たちの思いが映画に凝縮されているように思いました。

 朝の掃除に始まり雛飾り 「男ありて 志村喬伝」の読書と映画鑑賞 一日の終わりは真央ちゃんのフィギア・フリーでした。男も女も輝く世界であってほしいです。どちらかの性が縁の下の力持ちの役割をおしつけられているのではない社会です。
 志村喬・スペンサートレシー・ジャンギャバンは物語や映画の主人公ではないがしっかり光を放つ存在感をもつ役者です。そこに魅力を感じることができると映画も2倍楽しめますね。ちなみに 「獣の宿」の主人公 若き日の鶴田浩二はどこか瑛太に似ていました。こういうところはおばさんですが・・。映画のように物語の筋や役割がはっきりしているわけでないのが日々の生活です。いつ だれが主人公、脇役に回るかわかりません。日々のこころがけがものをいうのでしょう。志村喬にならいひっそり光ることができるようにしたいものです。
 


 
 

2014年2月18日火曜日

お•も•て•な•しを超えて・・・ 草津編

妹と二人 草津温泉を楽しみに行きました。ハトバスのパックツアーです。朝7:30新宿出発 草津まじかの浅間酒造で試飲を楽しみました。このときにバスはチェーン装着して 予定通り到着でき
ました。雪景色にのなか 犬のように温泉を駆け回り お肌ピカピカで夕食
湯もみと落語を楽しむ
其の間雪は止むことなくしずかに積もってゆきました。海外旅行のツアーコンダクターの仕事をしてきた妹はなにやらソワソワ 臨戦態勢に入っている様子です。そんな妹を横目でみながら湯畑の夜景プラス雪景色 落語など 温泉情緒を満喫しましたが 翌朝 妹の予感的中 ホテルロビーは帰りの情報を求めて人が溢れていました。私たちの出発は午後3:00まだ時間はあるとはいえ草津に入る道路はすでに交通止め 温泉街も夜通しの除雪にかかわらず歩道は腰までの高さに雪が積もっています。それでも昼には町の人たちや除雪車 町の下を流れる温泉のお陰で道筋がみえてきました。雪の中フロントに荷物を預けハトバスからの連絡を待って近くの外湯で時間つぶしをすることにしました。草津でもこれだけの雪は珍しいとのこと、次第にただならぬ周囲の雰囲気です。
時々ホテル内も停電 、コンビニの商品も品薄ぎみになってきました。
ホテルからの湯畑
ツアコンの妹の指示で一泊車中泊を考えて 非常食用にカロリーメイトやチョコレート 、せんべい 、ティッシュなどを購入しました。  外湯施設の利用者はさすがに少なく独り占め状態でしたが露天は水温下がったり 落雪の危険のため入浴禁止 です。店は早目の店じまいか臨時休業 ホテルに帰り朝から待機している人たちに交ってハトバスからの連絡を待ちました。結局 ハトバスは群馬県内で草津交通止め解除を待つということで今夜の宿泊手配をしてもらいホテルの同じ部屋に宿泊 夕食 朝食も確保できました。明日ハトバスに乗って草津をでるまで予断は許せませんがまずは一安心 ひと風呂です。
 海外ではこういう場合 バス会社は宿泊の手配をしないようです。災害天災は免責という契約でそれは日本も同じ
積雪の様子
今回私たちが苦労せずチェックアウト午後に再度チェックインできたのはバス会社の日本らしいおもてなしスピリットのお陰のようです。海外だったら明日どこどこにバスが来ます。という連絡だけもらい客はロビーで待機しつづけるか自力で宿泊施設を確保するのです。室内の掃除なしで割り引いてもらい
昼の炊き出しもありました。こういうところの日本らしいきめ細かいサービスに感心しきりの妹です。海外旅行で痛い目を見ていない私には当然とうつるのですが。妹の海外の話をきいて改めて日本のおもてなしスピリットに感謝しました。
 とはいうものの明日帰して!!!

ps: このブログを書いてからこのホテルに2泊しました。それでもバスが迎えに来れない状況となりホテル側がチャーターした現地バスで高崎にでて新幹線で帰ることになりました。はとバス担当者にホテルフロントとやり取りしてもらいましたので身体的にも精神的にも助かりました。
 いまだ孤立状況にある皆さんの事を思うと一日でも早く雪解けになるよう願うばかりです。





2014年2月9日日曜日

生後3か月 甘やかしてナンボですわ

我が家に生後3ヶ月の赤ちゃんがいます。通称孫一( まごいち)  体格のいい男の子です。今年は私にとってはおばあちゃんデビューの年でもあるのです。
  二人の娘を産んで育ててきたのにその記憶がないのです。夫もそのようです。共働きだったからでしょうか?振り返ってみると自分のことでいっぱいいっぱいだったのでしょう。
  しかし 経験者は強い!いざ子守りになると思い出すわ思い出すわ 。いい加減な子守り唄までも  素晴らしい!このいい加減さがきっと娘たちにも伝わってしまっているのだ とはっとさせられます。
背中に物を言わせる孫一
  孫一は最初 泣いているか寝ているかの生活でした。そのうち目がみえてくるのでしょうか目をあけて見つめるようになりました。そうなると俄然母親父親 その他もろもろが思いっきり顔を近づけて我先にとアピールしますね。
  「孫一が笑った」といって大騒ぎになりましたが最初の頃は笑うというより顔が引きつっているといるような表情でした。歯がないことも笑顔に貢献しています。この頃気持ちよさそうに笑う。気持ち悪い感じのときは泣く、お腹すいてくると泣く、眠くなると泣くなど表情も豊かになってきました。ついつい顔を見ている時間も長くなります。
 抱くことでわかる赤ちゃんの体の様子があります。 ふにゃふにゃしている感じから力の入る様子など抱いているとわかる赤ちゃんの気持ちです。
 抱き癖がつくと心配する向きもありますが抱いてあげることが成長の大事な栄養でないかと実感します。抱いて育つ時期があるのでしょう。
 世界の赤ちゃんには「抱かれず」「見つめられず」育つ子も決して少なくありません。その子たちが少しでも暖かいぬくもりを感じる時間がもてるよう祈るばかりです。
 



2014年2月7日金曜日

東京気質(えどっこかたぎ)

 東京気質の神髄は「見栄っ張り」でしょう。形に始まり形に終わる。一見中身なんてありません。
かっこがよければ かっこがつけばいいのです。形がとれないことへの恥の文化
花火だす
勢いよく書いてしまいましたが 名古屋に30年以上住み母の介護で東京に戻るようになって5年、名古屋東京の文化の違いを感じる今日この頃です。

 「○○のおまんじゅう」「○○のおべんとう」「○○のお椀」・・・というこだわりも東京には多いですねえ。これは職人の多かった江戸の人たちが職人の技芸を大切にした名残と聞いています。「職人がひと肌ぬいで貢献する」ということに意気を感じる文化がありました。

 江戸も3代住めば江戸っ子といいます。私も3代目 父の父は新潟長岡からの大正時代に上京してきました。その頃の東京の人口は約220万人。 今は約1330万人と言われています。東京は地方に出自をもつ人の多い土地柄かもしれません。横浜出身の母の実家は56代目が継いでいます。

 何がいいたいかというと 形を大切にする文化は多様な人たちが助け合って生活する知恵のひとつじゃないかと思うからです。形やきまりを守ることでお互いの距離感を適度に保っていられるということです。しかし形にこだわり始めるとあいさつやもてなし、行事や祭式などいろいろな決まり事がやたらと多くなります。きまりきまりを作っていつかきまりがないと生活出来なくなってしまっています。何か一大事が起きたときそれで大丈夫かしら????

 富士山が爆発したり直下型地震に見舞われたら 何を一番大事にするかしら、どんな行動に出られるかしら、きまりを破って行動する勇気があるかしら?そんなときまで「見栄はっちゃう」ような気がします。「見栄はって」生き延びることができればいいですが・・・

 きまりを破るためには本質がわかってないとできません。やみくもにきまりを破れるのは若いうち分別がでてくると上手にきまりから逃げ出して息抜きしたりもするものです。東京の人口は高齢化に大きく傾てきているといわれます。きまりを上手にかいくぐってしまう気質ばかりが残ることなく 人のためにひと肌ぬぐ昔ながらの江戸っ子気質も残っていってほしいですねえ。

ジョン・レノン フォウ・エバー

 最近はCDケースを開けて音楽を聞くという機会が少なくなりました。インターネットの環境を利用しようとすればCDを買わなくてもたいていの物は聞けるようになってしまいました。
 CDケースを片付けていたらジョン・レノン アコースティックというCDジャケットが目につきその古めかしさに惹かれてちょっとかけてみようという気持ちになりました。
JOHN LENNON ACOUSTIC 東芝EMI2004
私はビートルズ世代に遅れをとった世代になるので全盛期には巻き込まれませんでした。ビートルズというよりジョン・レノンであったりマッカートニーであったり、ジョージハリスンであったりとそれぞれが独立して活動を始める頃からそれぞれの音楽に魅力を感じるようになってきたしだいです。
 ジョンレノンの休業宣言の頃 私は結婚しました。主夫業に専念するといって音楽活動をほんとに休止してしまったレノンがすご~く素敵でした。というよりオノ・ヨーコがよかったのです。私自身は甘ったれの部類ですから家事をすることに????? どうして夫は家事ができないの? 仕事は外でするもの月給こそ生活の基盤という男女分業の歴史に大きな疑問を持ちはじめた頃の出来事でもありました。レノンが家事・子育て? これは何か私の知らない魅力が家事や子育てにあるのかもしれない。と家事・子育てを見直す気持ちにもなりましたが音楽活動復帰を目前にレノンは死んでしまいます。唯一レノンの休業・育休中の生活はCD「ダブル・ファンタジー」偲ぶしかありません。 子育て・家事の世界の魅力に気が付くこともなく私はサラリーマン生活をめざすことになるのですが 今のように退職して自由時間が多くなってみるとサラリーマン生活から解放され休業に入ったレノンの戸惑いもわかるような気がします。
 「ウォッチング ザ ホウィール」という曲の歌詞の中に「僕はただここに座って車輪を廻しているだけ ただ転がるのを見るのが好きなんだ」というのがあります。いろいろな役割から解放されるとそういう時間に恵まれる。自分が回るのではなくて回っているのを見つめてみたい。
 音楽活動に復活したら休業中に感じ見つめた事を歌にしてくれたろうに・・と思うと残念ですが
レノンが感じたことが何だったかを考える時間が今の私にはありそうです。

 
 
 

2014年2月2日日曜日

理系女 満開

小保方さん おめでとう!!
小保方さんの研究が注目を集めました。細胞がストレスを受けて万能細胞に変化することを突き止めたというものです。はじめ私はぴんときませんでした。ストレスは日常的に使う言葉のため細胞レベルのストレスについては考えてもいませんでした。彼女は実験結果から細胞もストレスを感じていると読み取ったのですね。どんなストレスが細胞を万能細胞に変化させるかが彼女の研究でありその成果は世紀の発見・従来の生物学の常識を打ち破るとして大きく評価されました。まだ30代で研究生活の醍醐味を味わう幸運を射止めた彼女に感心しています。
 最近 理系女子が話題になるようになりおしゃれでスマートな女性の代名詞になってきています。私の学生時代は 理系に進む同級生は極めて少なく文科系華やかでした。時代は変わってきていることを実感する出来事です。
 ニュースでは、研究は自分を発揮しやすい環境で自由にやるということを実践していたのでしょう。それが研究室でのブーツでありムーミン,シールやピンクの壁紙ということとしてニュースで取り上げられていました。自分の心地よい環境へのこだわりは 私にはない感覚かもしれません。私にそういう感覚があっても仕事という環境では周囲の状況に合わせることの方に力を注いでしまいますものね。環境は家や研究室だけでなく本当は友人・家族・職場の同僚や上司やライバルなどの人の繋がりはもっと大切な環境でしょう。彼女のポジティブな生き方と粘り強さが必要な人を引き寄せてきたのではないかと思います。
 負けず嫌いな性格は研究者ならだれでも持ち合わせているでしょう。生物学の権威筋からの評価は精神的にきっと大きな打撃だったと思います。一撃であきらめてしまわなかったことが彼女の強さとユニークさだと思いますねえ。「権威筋からの否定的評価こそ勲章}としてさらに完璧を求めたのでしょう。否定的な評価を励ましに変えて自分の感性や理論を追及することができたわけです。見習いたいところです。多いに励げまされました。
 彼女の研究は5年前にスタートしたようです。「子宮の機能をなくした女性に赤ちゃんを」再生医療に私も携わりたいという意欲は指導教官を圧倒したようです。再生医療は神の領域という疑問を持つ前に彼女は「悲しんでいる人を助けたいという」動機を持ったとある番組でその動機を紹介していました。動機が弱い、強力な動機がないという若者の評価がまかり通る昨今なんて力強い動機だろうかと思います。人の役に立ちたいという気持ちは物の起源は何だろうという好奇心と同じ力を科学に与えるものなのでしょうか。
 私のまわりにも20代、30代女子がいます。彼らもまた自分の快適な環境で発揮できる自分のこだわりを持っています。世間や既存の感覚に抗う力も備えてきています。彼女に倣って自分の感性や考え方を鍛えて新しい時代を切り開くパワーを発揮してもらいたいと思いました。彼らの芽を育てられるような大人でありたいと思いますが自分はきっと若い芽にとっては鍛える柵(しがらみ)のひとつだとも自覚しています。物わかりのいい大人である必要はないな。育つ芽はどんな柵でも伸びてくるものだと考えさせられました。

2014年1月23日木曜日

お山の大将 この指とまれ!!都知事選


 はじまりました都知事選 これから17日間 東京都はなかなか賑やかになりそうです。
名古屋と東京の二重生活を初めて4年目 住民票は東京都です。都知事選の選挙権は
あります。さて立候補の顔ぶれをみると男性ばかり まだまだ女性が名乗りをあげるには
時期尚早というところでしょうか。お山の大将や陣取りは男性の得意とするところのようですが
庶民の生活を守るのはお山の大将でなくてもいいでしょう。
 お山の大将は大将でも声を張り上げたらみんなが耳を傾けたくなるようなビジョンと声の人が
いいですね。大将は遠くを見る目をもっていて先取りできる人陣取りがうまい人隙を見せない人
もちろん取り巻きに振り回されない器の大きさがなくてはね。

どうするとそういう人品豊かな人が生まれるのでしょうか。ある番組で曾野綾子さんが「勇気ある人」という言葉を使っていました。断念する勇気 待つことのできる勇気のある人がいいですね。選挙は名前の連呼で始まって連呼で終わってしまいますがひとつこの勇気の視点から候補者を見定めてみようと思います。


2013年12月14日土曜日

花伝書 年来稽古条条(ねんらいけいこじょうじょう) 


  友達に誘われて伝統歌舞伎保存会の研修発表会を国立劇場まで見に行ってきました。
伝統歌舞伎保存会は昭和40年 に「歌舞伎」技芸の継承を目的として設立されました。ちょうど私が小学校から中学校へ成長する思春期にこの会も校倉づくりを模した国立劇場の開場に合わせて活動を始めたわけです。世襲中心の歌舞伎の世界で一般の若者も舞台を踏むチャンスができたといって歌舞伎愛好家の中で話題になっていたことが記憶に残っています。大学ならば社会人コースというところでしょうか。看板役者、座長の道ではありませんが歌舞伎の脇役として芝居の一端を担ってゆく人たちです。その方々がここぞとばかり腕を振るって主役級を務めます。最初ハラハラ
中盤 わくわくどっきりのいい舞台でした。








 さて芸能というものはおもしろいものだと今日は気持ちを新らたにしました。12代団十郎さんが「役者の家に生まれると匂い、臭さというものが自然につく」と話していらっしゃいました。野暮な観客の私にはこの臭さはかぎ分けられませんでしたが出演される役者さんたちの一生懸命さに
胸打たれるものがありました。花伝書では、20代から30代は時分の花 今の力に溺れず稽古を重ね真の花(まことのはな)をめざそうと諭しています。なるほど観客は若盛りと珍しさにとびつくものです。とはいっても襟にさした扇子ひとつ 手ぬぐいの所作ひとつ 背中や腰の線、目線と先輩の役者にかなうものではありません。違いをわかっていて静かに精進を見守る。なかなかいい観劇の楽しみ方だと思いました。
 考えてみれば 団十郎さん 菊五郎さん 辰之助さん 吉右衛門さん、仁左衛門さんたちの
時分の花を還暦世代は見てきているのです。その後の精進が今の歌舞伎を支えていること
を思うとわが身に振り返り20代30代の一生懸命さと初心を忘れず精進してきただろうかと
やや???
 時分の花のあとは やっぱり 真(まこと)の花が見てみたい まずは藤十郎さんかな

 真の花になり切れない私は20代、30代の娘たちの時分の花がまぶしくてしかたありません。
ときどき散らしてみたくなる (@_@)




孫美!誕生 

同じ日 孫一のところではクロアゲハが羽化しました。    次女の出産で 大阪にきています。生後まだ10日。右も左もわからないのは、若い親たちも同じです。「意外とわかってるな」と30数年前の記憶と孫一の時の記憶をたぐりながらおばあちゃんは、がんばって「子育て支援」の一端を担っていま...