我孫子 楚人冠の庭 |
手賀沼 |
小春日和の秋の一日 我孫子の手賀沼周辺の文学散歩を楽しみました。神奈川近代文学館の柳田国男展に関連した企画に便乗しました。茨城県と千葉県の県境利根川の西に位置する我孫子市は この利根川と細長い手賀沼に挟まれています。 最初に利根川沿いにくだり橋を渡って徳満寺というお寺 この寺には間引き絵馬があります。貧困の歴史を物語り若き柳田国男が農政官僚をめざすきっかけになったといわれています。小林一茶がこの寺を49回にわたって訪れてもいます。小林一茶にとってもこの絵馬の供養は欠かせないものだったのではないかと思いながら境内の一茶句碑やお堂を見学しました。この寺の近くの小川家に身を寄せていた柳田は利根川の風物の記録を「利根川図志」として残した赤松宗旦という医師と親交がありました。
手賀沼周辺には白樺派の志賀直哉、武者小路実篤、バーナードリーチ、滝井孝作 中勘助 が居を構えていました。
それらの人たちを引き寄せた人がジャーナリストの杉村楚人冠や講道館創始者の喜納治五郎でした。手賀沼は大正・昭和の北の鎌倉、別荘地だったのです。手賀沼は護岸工事がされ岸辺の公園も整備されていますが当時は葦が多い、ヨシキリがとび その合間を往来の舟が行き交うのどかな風景が展開していたことでしょう。
文学散歩に参加した中高年のおばさん、おじさんにとっては懐かしい小説の世界の背景を知るよい機会になりました。が生活を知り尽くしたおじさん、おばさんはここでの民俗学者、小説家、画家、の生活は農民や庶民とかけ離れ格差を感じずにいられません。とはいえ彼らの文化を担っているという意気をその生活のこだわりやスタイルに見ることもできました。
柳田国男生誕140年 方言や祭り、年中行事や奇祭などを収集し記録しの根底にある人々の営みを明らかにしようという意欲は日本らしさを考えるとき不可欠なものになるでしょう。
世界では頻発するテロ、流出する難民、干ばつによる死者 日本でも格差の問題が人々の生活を圧迫してきています。
貧困の問題を考えることを官僚だけでなくみんなが考えなければならないように思います。文武両道・文人墨客などといわれる人たちのように幅広い知識と教養、社会をよくするんだ精神に燃える政治家や官僚が見えなくなってきている現代
それに代わるのは一般peopleしかいないのではないでしょうか。そんなことを感じさせる文学散歩でした。
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