サメの潜水艦にのって島にゆきたいな |
孫一もいよいよ小学1年卒業。COVIDに始まりCOVIDに終わる1年間でした。
外出にマスク・手洗いもあたりまえになってます。友達もできました。友達からの
「ありがとう」シールも一杯もらいました。なにがありがとうかというと「鉛筆
拾ってくれてありがとう」「消しゴム拾ってくれてありがとう」「ハンカチひろって
くれてありがとう」かわいいソーシャルディスタンスを守っているようです。
1年の思い出工作の最後を飾った1枚の絵。ダディと孫一がサメの潜水艦にのって
島をめざすというもの。画面いっぱいの魚たち。サメには、潜水鏡がついてます。
片言の日本語・英語の親子の会話にもかかわらず「父と冒険」がインプットされているよう
で先がたのしみ。
おばあちゃんとのオセロも最後までハラハラしながら付き合ってくれるようになりまし
た。互角なのでおばあちゃんも相手にしてもらえてます。おばあちゃんのためにマリオ・
ゲームを作ってくれますがクリアできず、ヴァージョンが変わるたびにおばあちゃんの能力
に合わせた内容になっていくのがおばあちゃん的には情けない。
孫一「これはどう?これもだめなの? 同時におすだけだよ。おばあちゃんがんばっ
て」
おばあちゃん「?」
孫一と一緒に散歩にでると、小さな虫をみつけてちょっかいだしているかと思えば
スパイダーマンよろしく駆け回り、マインドクラフトゲームの自分の豪邸研究
に近所の家々を探索するという忙しさ。虫の目・鳥の目にくわえバーチャルの目もあり
COVID-19もうかうかできませんよ。
3.11 東日本大震災から10年 防災訓練のアナウスが私の町にも流れました。忘れてはいけないという思いがテレビ番組からもコロナ感染の緊急事態宣言の延長期間中の政府主催の慰霊祭の映像からも伝わってきます。コロナ感染症の蔓延は、震災の復興の足を引っ張るばかりです。被災者の人たちの生活、被災地の産業支援、原発の後処理などなど。コロナ対策で後回しになったり、助成削減になったりしていないだろうか。雛人形を片付けながら考えます。それだけに今年の雛人形には、「来年またお目にかかれるように」と思わず声をかけました。
去年の2月からの1年、お雛様が眠っている間にさまざまな社会的な変化がありました。格差という言葉が現実のものとなってきています。が格差と一言で片づけてしまうより多様化に向かう流れに勢いがついたと思うのは、優しすぎるでしょうか。7段飾りの雛人形の世界は、まさに階級社会。格差社会です。今との違いは、各階級の社会的役割が明確だったこと。一握りの頂点の人たちの生活と文化をささえることで社会が成り立ち、国を豊かにする行事をみんなで祝う秩序がつくろうとしてきたことです。
今、「一握りの人たち」という特権階級のためではなく、国民一人ひとりの人権と幸福を守ることを目的とする国を目指しています。敗戦を機にアメリカ合衆国の力を借りてか、指導されてか、方向転換した日本のはずでしたが・・・
雛の段を片付ければ写真のようにこんな感じ。昔は昔。今は今。今日本の国に住んでいる人、住みたい人が考えることのできる社会にしたいものだと思います。今に合わせるには、勇気ある決断が必要になりますが、未来が信じられればいい決断になるはずと思います。
3.11 から10年、私が学んだことは、「100人いれば100の幸せがある」ということと、「日本は、火山列島であること」そして、「みんなで乗り越えるしか生きる道がない国」であること。です。
この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...