2014年11月23日日曜日

おもてなし 京都



漬物で食べる朝食が懐かしい。お櫃のご飯が輝いてみえついお替わりしてしまった京都の朝です。そんなおもてなしを京都の宿で受けました。お金をだして質素を買う時代になってしまいました。畳のお部屋 埃が綺麗に拭われている窓の障子、季節ごとに変えられるだろう掛け軸やお花・ 坪庭の風景も玄関の石畳は それだけで「ようこそ」.


玄関は 住む人の心意気です。上り框は不便な構造だけれど その働きは隣近所が肩寄あい狭い家屋で共存する知恵の一つです。上がり框のないマンションの玄関が大小の靴であふりかえってしまっている近頃の家には、外も内もないみんな私の世界といった少々子供っぽい文化が育ってきているように思えます。
質素を単純に貧しいと思うのも清貧とイメージするのもそれはその土地にすむ人たちの意気でしょうね。もちろん生活には見えているものとそうでないものがあってこの旅館ももとは祇園のお茶屋さんでした。きっと清濁入り混じるいろいろなドラマがこの玄関を通して展開していたのだと思います。還暦組はそんな想像をたくましくしながらオイシイところだけみて旅の一夜を楽しむわけです。

 いいところとはしっとりした清潔感 家にいて家を守ることに十分時間を使えない生活ではこのしっとりした清潔感はなかなか難しいものです。共働き30数年になる私には得たものもおおきかったけれど失った生活の知恵も大きかったなと思わざるをえません。それは家を守り続けた専業主婦の母をなくして思うことでもあったのです。これから家の中での生活 残り少ない時間を小さな家を心地よくする時間に費やすのも楽しそうに思えます。生活を大事にする知恵も自然に生まれてくるでしょう。昭和組にはまだその記憶が十分ありますもの。




2014年11月20日木曜日

紅葉狩り

詩仙堂
詩仙堂 
東福寺 通天橋をのぞむ

鴨川対岸の紅葉

霊雲院の枯山水


京都の紅葉狩りは 格別な趣が感じられます。特に寺社の庭や鴨川は待ってましたとばかりの
景色です。目を紅葉から足元に移すとそこには雲海が・・・・
 謡曲の「紅葉狩り」は 紅葉狩りを楽しむ女官たちがいつの間にか鬼に変わってしまうというもの
でした。変わりゆく木々の姿や美しい自然の中に鬼を見出す風土がこの京都にあるようです。
紅葉のあるところあるところに人が集まってきます。それは今も昔もかわらないのでしょう。
近頃の京都は外国の人も多く、皆同じように紅葉の写真を撮っています。寺社の方丈で借景の
紅葉を中国のツアーの方たちと見ながら 「昔はこの景色 限られた人しかみることができなかった
のよね」 「庭の景色を暗い室内から眺めているうちに、いつの間にか景色と一体になってしまう感じわかる?」
なんて思ってました。
 比叡山のふもと修学院界隈の紅葉する里山を歩いていると雲上人も平民も自然に溶け込む感性は
同じだったのではないかと思います。京都という小高い山に囲まれた盆地はそれだけで大きな方丈なの
ではないでしょうか。京都の紅葉は自然と人間社会の境界を彷徨う鬼の姿だから多くの人をひきつけるのでしょう。
 怖いものみたさの心理というか   ぬれ落ち葉寸前の私には色気を感じる紅葉狩りになりました。

 方丈 :1丈四方の面積を差し1方丈は4畳半程度の広さ 正方形の建物で簡単に建てたり壊したりできる建物で
     僧侶や隠遁者に好まれた。仏教では方丈に全宇宙が内在しているとされる。


バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...