2016年7月17日日曜日

終の棲家を楽しむ 若冲・石峰寺

京都 伏見・京阪深草駅から琵琶湖湖水にかかる橋をわたり東の緩やかな坂をあがると赤い門構えの寺がひっそり見えてきます。伊藤若冲が晩年を過ごした石峰寺です。1788年 京都の天明の大火で被災した若冲はこの石峰寺に身を寄せ「斗米翁」と称して米1斗と画1枚を交換する日を送りました。米に替えるだけでなく彼は石切り場から石を買い石工・弟子たちとともに500羅漢の製作をしました。最終的には1000体の石像がこの小さな竹林を埋めつくしたようです。
 今に残る500体を通してお釈迦さまの誕生から涅槃に至るまでの生涯を竹藪をのぼり下りまた昇り、下るなかでたどることができます。竹の合間に見え隠れする石像が、この倍も配置されていた往時をしのぶと、いまさらながら、若冲の博覧狂気ぶりが晩年も衰えることなくたぎっていたのだとあいた口がふさがりません。被災して無一文のはずがこの元気! 
500羅漢の表情や苔むして形のくずれた石仏たちが往時の若冲の胸中を伝えてくれるように思います。生誕300年記念の若冲展覧会でみる天才肌の作品群とは違い隣のおじいさんみたいな親しみを感じます。彼が晩年に向かったものは人間そのものだったのでしょう。被災し資産もなにもかもなくしてしまった若冲にとって毎日石仏を通して人間に向き合うことが生き残る術だったかのようです。逆境だからこそ「自分がやりたいことをやる。」、それが生き延びる元気を生み、最後まで生き生きと生きることにつながるというヒントをもらいました。若冲は逆境を楽しむという才能をもっていたのだとこの寺に来て発見しました。

絵葉書から 石峰寺ではスケッチ・写真撮影ができません。 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...