京都 伏見・京阪深草駅から琵琶湖湖水にかかる橋をわたり東の緩やかな坂をあがると赤い門構えの寺がひっそり見えてきます。伊藤若冲が晩年を過ごした石峰寺です。1788年 京都の天明の大火で被災した若冲はこの石峰寺に身を寄せ「斗米翁」と称して米1斗と画1枚を交換する日を送りました。米に替えるだけでなく彼は石切り場から石を買い石工・弟子たちとともに500羅漢の製作をしました。最終的には1000体の石像がこの小さな竹林を埋めつくしたようです。今に残る500体を通してお釈迦さまの誕生から涅槃に至るまでの生涯を竹藪をのぼり下りまた昇り、下るなかでたどることができます。竹の合間に見え隠れする石像が、この倍も配置されていた往時をしのぶと、いまさらながら、若冲の博覧狂気ぶりが晩年も衰えることなくたぎっていたのだとあいた口がふさがりません。被災して無一文のはずがこの元気!
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| 絵葉書から 石峰寺ではスケッチ・写真撮影ができません。 |

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