2022年5月24日火曜日

83歳まで働いていたよ

居場所

  生活を支えるために女性も内で外で働いてきました。東京に住む高齢の女性には、地方から嫁いできた人も少なくありません。私の働いている高齢者施設を利用している方たちから、私は、南は鹿児島・熊本 北は秋田・北海道までと日本中の昔話を聞かせていただく機会に恵まれています。私は、そこでその方たちと一緒に運動をするだけでなく消えゆく記憶や脳の働きを活性化する仕事をしています。私自身は、そろそろリタイヤを考えることが多くなりましたが・・ある日「私は、83歳まで働いていたのよ。社長さんにまだ働いてくれといわれたけれど危険もあるし、自分から辞めてきたのよ。続けてくれと引き止められたときは、うれしかったけどね。もう年だし、自分のことも考えなくちゃねえ」この女性にとっての「働く」は、生きることそのものだったのでしょう。働く=生きること、こんな幸せはないなあと思いました。「働く」の語源は、「はたが楽する」と聞いたことがあります。社長に引き止められてやめることになったからには、きっと一所懸命、人のために働いてきたに違いありません。今のように、共働き、女性の社会進出などで押し出される以前の「働く女性」の姿があるように思いました。コツコツと家族のため、生活のため、会社のため・・・。人が喜ぶことが自分の喜びということを絵にかいたような話しぶりに面喰いながら私は、彼女の話に相槌をうっていました。彼女にとってその日が最後の利用日でした。単身生活が難しくなり明日からは、仙台の娘の元で新しい役割を見つけながら生活され、寿命を全うされるだろうなあと励まされる思いがしました。施設の日常では、働いていないといられない彼女は、よく隣の人と話をし、世話を焼き、脳トレには、好奇心たっぷりにチャレンジされていました。

花の命は短くて
 女性の社会的進出が遅れているといわれる日本ですが、この高齢者施設の日常を見ていると活気の感じられない男性群に比べて女性群の元気なこと。お互いに励ましあい、助け合って脳トレにチャレンジし、「私若い時は、ダンスホールに通ったのよ」「私はバスケットの選手だったよ。」「旅行もよくしたわね」と運動に意欲をしめされ、楽しそうにボールなげをされます。高度成長期を支えた企業戦士たちは、こうした女性たちのエネルギーに支えられていたのではないでしょうか。そのへん日本の男性社会は、見逃すか、見て見ぬふり? 企業戦士たちが陣取りばかりにうつつをぬかすことなく彼女たちに目を向けていたらもっと違う日本になっていたように思います。施設の日常も男女入り乱れて楽しい会話の飛び交う社交場に化していたのではないかと思います。せめて20年後には、そうあってほしい。



















 


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