2014年8月23日土曜日

葡萄の木を枯らさないで・・

たくさんの実を掲げて大地に突き刺さる葡萄の木
古いほど捻じれ幹が割れている葡萄の木 
葡萄はおいしい食べ物だけでなく滋養の飲み物です。紀元前の昔から葡萄を栽培し生活の糧にしてきた国はイスラエルです。イスラエルの国の宗教ユダヤ教では葡萄の木は豊穣と平和の象徴です。ユダヤ教を背景としたキリスト教の教えを説く聖書ではこの葡萄の木や葡萄畑がたとえ話でよくでてきます。遠く戦火に見舞われているイスラエル・パレスティナの葡萄畑や葡萄の木はどうなっているのでしょうか。戦場となっている地域で生活を営む人たちはどんな気持ちでいるのだろうかと胸が痛みます。特にパレスティナは肥沃な土地ではないようです。荒涼とした岩山が延々とつづく中でこの葡萄の木と畑はなんとみずみずしく生命の象徴としてふさわしいものにうつることでしょう。
 戦争は人間の命だけでなく脈々と受け継がれる精神をも焼き尽くしてしまいます。荒涼とした砂漠しか残らない 荒涼とした砂漠は孤独と絶望 憎しみや懐疑の象徴です。戦争は勝者と敗者を決めるためのものではなく介入する国々の利権のぶつかりあいにすぎず大義名分などありません。
 写真のように木々の距離を置いてそれぞれの育ちを見守らなければどの木も多くの実をつけることができません。狭いところにたくさんの木があれば生き延びるための戦争になるのは国も人間も植物も同じです。距離は物理的なものだけではありません。目に見えない距離があります。似た者同士、目に見えない距離の近さが戦争の引き金のひとつです。お互いの似ているところを受け入れることができなければ結局どちらかが倒れるまで戦うしかなくなってしまいます。似ていることをうけいれる事の方が違いを受け入れるよりむずかしいことかもしれません。
 横に広げられなければ深く根を張り 縦横無尽に枝を這わせる葡萄の木の根元はあっとおどろくほど細く大地にささっています。戦争の解決の糸口が一日でも早く見つかることを祈るばかりですが海の向こうの出来事ではなく一度利権の拡大を目指して戦い荒涼とした砂漠を経験した歴史をもつ国の子孫として葡萄の木を手掛かりに戦争の糸口を考えたいと思います。葡萄はあらゆる手を尽くして荒涼とした砂漠を生き延び多くの実を実らせています。遠い異国の地にあってもできることはあるはずです。
 


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