2014年9月17日水曜日

みんなが言った!!


 渋谷に昔 ジャンジャンというメッカがありました。盲目の高橋竹山の津軽三味線の定期公演が打たれていました。席数の少ないジャンジャンのチケットは迷っているとすぐなくなってしまいます。というわけで高橋竹山は聞きそびれていました。 35年いやいや40年たってなんと2代目竹山の演奏をまじかで聴く機会に恵まれました。2代目は女性です。初代竹山に17のときに弟子入り し竹山の目となり耳となって来られた方です。スラリとした姿に太棹がよく似合います。
 若いときはだれでもアンテナは高いものです。私も自分のものにしてみたい、聞きたい、見たい、行きたいと思うものがたくさんありました。実現するにはお金も時間も自由にならないのは世の常ですがこうして再びめぐり合うことができると若い時からそう遠くに来てしまっているわけではなさそうだなあと嬉しくなります。還暦とはよくいったものです。若いときアンテナで捉えていたものを捉えなおしているような気分です。


京都円山公園に生息していた狸たちも・・・
ここでなぜ狸? 今回の2代目竹山の公演は3回目です。 2回目から女唄シリーズと謳って新作を発表しています。今回の女唄は「みんなが言った!!」田舎町の女性が周囲から監視され噂話になる息苦しさを詠った詩を竹山三味線・内田朋美ピアノのコラボで聞かせてくれます。
 この「みんなが言った」はアイルランドの女性詩人ヌーラ・二ー・ゴーノルの詩です。演奏前にご本人の読むゲール語の詩を聞かせてもらいました。その印象と演奏はとてもよく共鳴しているように思えました。「みんなが言った!!}を津軽三味線とピアノの演奏にのせていろいろな声音でくりかえし聞かされていくうちに「それがなんだ!」という気分になってゆきます。バチのはじきだす音が気持ちに弾みをつけました。「人のうわさ話や人の目なんて気にしない、気にしない、この狸たちのように生きてゆくんだ。」 というわけで狸の写真となりました。
 ナビゲーターのアイルランド文学者の大野光子さんは聴く人に感想をゆだねました。私はこんな感想をもったのですが ・・ これってアイルランドのおまじないにかかってしまったのでしょうか
 客に乞われて詠われる津軽三味線の口説きの芸能には気持ちを浄化するものが生きているように思います。戦争、殺人、妬み、嫉妬、詐欺、不信、絶望、貧困などが横行し生きることが苦しいときこそ芸能の力が救いになるはずです。 
 最後に2代目と一緒に竹山の歩いた東北を再訪した詩人佐々木幹郎さんが「口説きの津軽三味線は薄い衣をかけては焼くことを繰り返し焼き上げてゆくバームクーヘンのようだ。」と2代目竹山に寄せる期待を話されました。芸能は演奏者と聴衆の目に見えないコラボレーションなのね。そうして伝わってきたもの、伝えてゆくものがある文化をアイルランドと日本はもっていることに気づかされる一夜でした。芸術より芸能が好きな若い頃の私を思い出しました。

 

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