2014年10月28日火曜日

横浜トリエンナーレ 世界の中心には忘却の海がある

美術館前 WIm DELVOYE 低床トレーラー2007
忘却 単なる物忘れとしてしまうには申し訳ない文学的な言葉です。何か深い意味を感じることができそうなキャッチです。11月3日で最終日を迎える横浜トリエンナーレにいってきました。会場が横浜美術館を中心に新港ピア・海岸通りエリア・黄金町エリアを無料バスが結んで開かれています。一日あっても廻り切れませんね。
 美術館と新港ピアの会場を友達とまわってきました。二人とも現代美術さきがけの70年代に学生時代、若き気鋭の現代美術家から手ほどきを受けました。その後は美術からは離れた生活をしてきました。「忘却」といえば「物忘れ、認知症、介護、両親の残していったもの」と連想するものは身近な生活のことばかり。展示されている作品はそんな現実から少し目を遠くに向けさせてくれます。20代後半に出合った現代美術の作家たちの社会の枠組みを壊そうというエネルギーやスタイルも30年近く継承されるとそれはそれで一つの枠組みになってしまうものだなあと若い作家の作品を見ながら思います。今も現代美術家たちと親交を続けている友達は自分で枠組みを作っては壊し続ける作家たちの生き方に共感できなくなっていると醒めています。作品からエネルギーが感じられなくなっているのは自分の感じとる力が現実の生活にそのエネルギーを吸い取られてしまっているためなのでしょうか・・・ それも寂しい話ですが自分のエネルギーを費やしてきた現実の生活の方が展示された作品群よりはるかに面白さ満載に私には思えます。きっと美術から離れた私たちはスタイルでなくて枠組みを壊す方法を学んだのでしょう。
 11月3日 最終日 横浜美術館とグランモール公園でこのトリエンナーレのために作られた1冊の本「Moe Nai Ko To Ba」の朗読と本の焼却パーフォマンスがあります。キューㇾーターの森村泰昌氏によればこのパーフォーマンスは表現の自由を奪う焚書行為に対する抗議と失われたものすべてへの鎮魂を意味しているということです。横浜港の公園に大きな本の燃えてゆく姿にインスパイアされる若い人たちが何を感じるか知りたいところです。活字文化の消滅の象徴にならないといいな。二人が共通して感じたのは「自分のこと断捨離するなら今でしょ。」でした。自分を忘れないうちに・・
 

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