2016年3月8日火曜日

啓蟄 小松石

 3月になり母の命日にお墓参りにゆきました。お彼岸を前に広い墓地には梅が満開、河津桜、蘇芳、桃の花が咲いています。気の早い雪柳も花をつけ始めています。この墓地一帯は昔雑木林、東京を縦断する野川の上流に位置します。そのためか墓地にもゆとりがあり墓石より赤松やケヤキ、プラタナスなどの大きな木が目立ち、桜のシーズンはお墓参りだけでなく花見客でにぎわいます。私もこの自然が好きでよく出かけます。
この林の中を歩いていると深呼吸をしたくなります。足元でごそごそという音も聞こえてきそうな気がします。町では感じられない感覚です。それもそのはず3月6日は啓蟄。という季語があるように土中の虫たちが春に向けて動き出す時期になるからです。足元の目に見えないところで虫たちが生まれ成虫になり命を全うしようというエネルギーが五感に感じられます。春ちょっと前の雑木林は爆発前のエネルギーが充満していいですね。こういうところにお墓があり家族が引き寄せられるということを大事にしてゆきたいと思いました。
 さて本小松石、石が好きだった父は旅行先でよく石を拾ってきています。母は海外旅行の土産に父に死海の石(岩塩)を持ち帰えるくらい石にこだわりをもっていました。そういう両親が建てた墓なので、墓石に自然石を使っています。小さな墓地の真ん中でデンとおかれた緑色の自然石は、年を経るごとに存在感を増してきています。
話題にしたい石は、この緑の石のことではなく墓誌を刻んだ石のことです。これが小松石というもので、検索しましたら伊豆の真鶴で産出する堅牢な石ということがわかりました。かつては江戸城の石垣に用いられたともありました。江戸時代と40万~50万年前の箱根の噴火活動がぐっと身近になりました。箱根外輪山の噴火で噴出した溶岩が急速に固まってできた安山岩で小松原というところで多く産出しました。採れる地域が限定されていることと石を切り出すのではなく、産出された形を利用しなければならない堅牢さがあるため、希少価値があるといわれ鎌倉時代から城の石垣づくりに用いられました。江戸には海路で運ばれその港として栄えたのが真鶴になります。
 最初 墓誌の石の表面にシミが出てきているのかしら?と思っていましたが、来歴や価値をしればシミも宝物に見えます。石の良しあしは、いろいろな石に出合いその来歴・形などに関心がもててわかってくるものがあるでしょう。しばらくはお宝として大事にしてゆこうと思いました。とはいうものの自分の見る目なんて危ういものだなとお腹の中で笑ってしまいます。「直観は大事」としていても、評判や情報でいくらでも揺らいでしまいます。だからといって直観を信じないわけでもありません。直観も評判も何かを大事にしようという気持ちがなければ、何にもなりませんものねえ。希少価値のある墓石を大事するということを通して、亡き親たちが大事にしたルーツへの感謝の気持ちや自分たちが生きた証を残そうとする気持ちに気づかされました。人間関係や諸事に追われ自分が何を大事にしようとしているかを、見失いがちな今日この頃、墓参りでよい時間を過ごすことができました。

 

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