2017年3月15日水曜日

黄泉の国の神殿 六本木発

「黄泉の国」は象徴的な死後の世界のこと。死を身近に感じるのは還暦すぎの私だけではありません。身内の死に始まり若者は精神的な成長のひとつのステップとして、社会人は自分の体力・能力の限界に挑戦するとき「死」を意識する機会を持ちます。こうした準備された「死」とは異なり戦争・災害・餓え・貧困などの社会や自然界の脅威による「死」は、密かに準備され突然襲いかかり抗うことができません。「死の予感」「死の恐怖」は誰も感じ恐れます。
 作家の大坪さんはヌーラ・ ニー・ ゴーノルの詩集「ファラオの娘」 思潮社 大野光子訳編 の「プルトニウム」という詩にご自分のテーマを重ねられたと言われました。
  
  プルトニウムとは
  危険な放射性元素
               そしてまた 黄泉の国の神殿の名

で始まる詩は、核の恐怖が過去の歴史のトラウマにつながっていることを、言葉に乗せて伝えます。詩人の故郷アイルランドの「じゃがいも大飢餓」で、民衆が抱えたトラウマは、飢餓からの救いと引き換えにされたカトリックからのプロテスタントへの改宗でした。詩人はさらに、古代ギリシアの地理学者の記憶を呼び覚まします。詩の中の言葉「地下世界の洞窟から」「たちのぼる 一筋の飢餓の雲」「一吹きの 毒混じりの煙」「地獄の神々の聖所」から、黄泉の国の存在が浮き上がってきます。
 詩人や芸術家はその感性で人間の行く道を予見するもの。ギャラリーの幾重にも折りたたまれた新聞紙の壁、針金にまきつく新聞の言葉、突き刺すような言葉の断片は、天井から見学者の手によってつながり、一筋の雨になってゆきます。番号が打たれた鉛の札がたれ下がるタブローの一群と、がんじがらめの小荷物に封印された何かに導かれて、ギャラリーの奥にではなく、その底にひっそりと人間の記憶に潜む神殿の入り口が見えてきます。空間の不思議な体験でした。
個展会場:ストライプ・ハウス



 

2017年3月14日火曜日

海賊とよばれた男の置き土産 古唐津

 
友達と出光美術館で開催されている「出光美術館開館50周年 古唐津」に行ってきました。やや冷たい春雨の中 会場は還暦世代の老若男女?で埋め尽くされておりました。私たちは違うとは言えない状況です。
 古唐津は何者? 茶道をたしなむ手前「何も知りません」とはいえませんがほんとに「やきもの」は知りません。地味そうだなとはおもいましたが イヤハヤ地味でなく深い味わいのあるという滋味がぴったりする「やきもの」のかずかず。恐れ入谷の鬼子母神でした。流れるような釉薬のたっぷりした線とエノコロクサや葦などのさっぱりした絵柄がさび色の地肌に影を落とします。枇杷色の釉薬は器をさらに大きく柔らかくみせています。
 これらの器が作られたのは 朝鮮王朝・桃山時代です。茶文化が浸透していた様子がうかがわれます。やきものはどれも繊細というよりは戦国前夜の男たちの大きく骨太な掌のぬくもりを彷彿させるものばかり。鑑賞する方も気持ちがよいというもの。収集家の佐治佐三氏の古唐津収集にかける意気込みが感じられます。この収集家がいなければこれらの器は散逸してしまう運命にあったでしょう。一同に会して展覧できるところに収集家の表現を見ることができました。佐治佐三「海賊と呼ばれた男」このやきものに大陸からの風・織田信長の天下布武の気概を感じていたのではないでしょうか。
 最後「絵唐津丸十文字文茶碗」は佐治氏が収集を始めるきっかけになったやきものです。もう一度みてみたい。手にとってみたい衝動にかられるやきものです。
 友達は夏からの陶芸再開に期待を膨らませ、私はなんど繰り返しても覚えない茶道のお手前を反省して家路につきました。

我が家の古唐津写し 

 

2017年3月3日金曜日

孫一 春のラインナップとおばあちゃんの心得



 3歳4か月 新保育園入園に向けてめざましい成長を見せる孫一。保育園の身体検査ではたぶんクラス一の大物。お箸・おむつ・おつむともやっぱり3歳、がんばる3歳。 というところです。
「パンたべる」で始まる食事では、お箸を使うようになりました。もちろん途中から手づかみです。まあいいか。食べる。食べる。このころはなんでも食べられるように、すききらいをしないように見守るのみと忍の一字のおばあちゃん。空っぽになったお皿を持ってくる孫一! いいね!
 男の子のトイレは 便利なようで便利ではありません。 立って前を突き出すことができるのにそのあとは適当! 終わるとパンツを引き上げる前に振り回すわけで・・・
 おつむも3歳児らしく「ごまかす」「いいわけ」もする。不思議な質問をしかけてくる。
「トランプ大統領は外国人だよね? 」
おじいちゃんが公文のドリルを買ってみましたが鉛筆をもって線を結ぶたびにシールを貼って終わり。積木もおばあちゃんに作らせて自分はプラレールとしっかり無茶ぶりをしてきます。人のいいおばあちゃんは、無茶ぶられて一生懸命積み木を積むわけです。
遊びも男の子らしく椅子やソファーへ上っては「ジャンプ」「ジャンプ」ととびます。
飛ぶ快感を楽しんでいるようですが 時折飛び降りた後ニンニンジャーのポーズをとります。このときは明らかにみんなの目を意識しています。 役者です。
 3月 春の予感。孫一成長の予感。保育園にいく子もいけなかった子も同じように成長してゆくわけで、みんなで暖かかく見守ってゆける世の中になってゆくといいですね。
そういう世の中になるようおじいちゃん・おばあちゃん 心を広くもちましょう。と自分に言い聞かせる今日この頃です。




バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...