2017年12月25日月曜日

究極のクリスマス・ディナー 

2014.4.13 当ブログデイサービスみっちゃんの写真から
一人暮らしのおばあさんとクリスマスディナーをしました。おばあさんは、明るく独身で生涯を終えることを「自業自得だ」といってのけます。90歳の人生からくる「自業自得」の言葉の衝撃は大きいです。傾聴もここまでかとクリスマスディナーのお寿司が胸につかえました。
 90歳のおばあさんの人生を振り返れば戦争に始まる20代、兄弟を戦争にとられ、終戦で残ったのは兄弟の位牌と病弱の母。家族を支える担い手は自分しかいなかった。手に職をつけひたすら家族のために働いて、気がついたら婚期も機会も逃してしまったのだから
「私が決めた道だ仕方ない」。とデイサービスから帰って一人になり寂しくなると
自分に言い聞かせるのだと言われます。人気のない部屋に帰るのはだれでも寂しいものがありますが90歳のお年には応えることでしょう。
 おばあさんのこの物語は何度も聞いてきましたが、気持ちを口にすることで、明るく人生に向かってゆかれる姿が見えて頼もしさを感じずにいられません。おばあさんの話のお相手をすることで、私もおばさんの顔がおひさまに向かうのを手伝っているような気がします。それで同じお話しに何度もつきあってしまうわけです。今回は「わが人生自業自得」と笑い飛ばされました。今日の話の流れではいづれ「人間万事塞翁が馬」の心境にいたるのではないかと楽しみにしつつ、願っています。

「人間万事塞翁が馬」
   城塞にすむ老人の馬が逃げ出した。一家の収入の担い手をなくした老人を慰めると
老人は「このことが幸福にならないとも限らないよ」という。しばらくすると逃げ出した馬がたくさんのよい馬をつれてかえってきた。近所の人々が老人をお祝いすると老人は「このことが災いになるかもしれないよ」という。しばらくすると息子が馬から落ちて骨を折ってしまった。みんながお見舞いにゆくと老人は「ありがとう。このことが幸福につながるかもしれないね」という。しばらくして戦争がはじまった。息子は折れた足のせいで戦争に行かずにすんだ。
 人間(世間)の禍福は予測できないものだ。という中国の故事「淮南子」から

2017年12月23日土曜日

Merry Christmas はいづこに。

名古屋高島屋 
  どこもかしこも電飾、イルミネーションが美しく夜空を照らす年末です。
気ぜわしい気持ちも一息つくところですが。エルサレムの夜はいかがなものかと
思いをはせないわけにはいきません。クリスマスはキリストの生誕の祝日とされ、キリストが死、復活した地エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地です。
 エルサレムは、古来その所有をめぐって争が続き、政治も、人々の生活の面も微妙なバランスを保っていたはずでしたが・・・。利権は分かちあうのではなく分捕るもののようです。分捕り合戦の末では奪われた側も奪った側にも平和はないでしょう。
 
私の今年のクリスマス・プレゼントは、リサイクル・ハンドメイド+アルファがテーマです。 ニンジャ志願の孫一には ゴールド折り紙で作った手裏剣の数々。アーティスティックなワーキングマミーには、私の革細工工具。中年男性を相手にするミュージッシャンのダディーにはオールドポップスを私のコレクションから。サイエンティストからカーペンターに変身中の夫にはオールインワンの作業着をワークマンで。妹には祇園で買った転倒予防の舞妓さんのぽっくりのお守り。20代最後のお誕生日祝いを兼ねて次女には中村芝翫の襲名披露と勘九郎兄弟の酒呑童子。国境なき医師団と国境なき子どもたちにはワクチンとミルクの支援金を。

 本当のプレゼントは、物に託された私の気持ちです。聖書の一節 ローマ人への手紙5章から今年は、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み、希望は失望に終わることはない。」
「By whom also we have access by faith into this grace whrer: Andin we stand,and rejoice in hope of the glory of God. And not only so,but we glory in  tribulations also: knowing that  tribulation worketh patience;And patience,experience;and experience,hope.」をカードにしてみました。
                         
手裏剣ではこの気持ちは伝わらないと思うので孫一には「がまん」の文字をカードに。
そうだ!どこかの国の分捕りじいさんにも送ろう。「GAMAN」



2017年12月5日火曜日

どらこにあ⁉

世田谷文学館の澁澤龍彦 ドラコニアの地平展をみてきました。世田谷文学館は世田谷の芦花公園のすぐ近くにあります。
 澁澤龍彦は 昭和3年生まれのフランス文学者・翻訳家、マリキ・ド・サドを日本に紹介しました。57歳で亡くなるまで文学・美術・演劇に影響を与え続けました。亡くなってから「高丘親王航海記」で読売文学賞を受賞されています。
 企画展の多くは彼の原稿で占められていました。2B,3Bなどの柔らかい鉛筆で書かれブルーブラックの万年筆で校正されています。 字は丸く、優しい人柄が感じられます。決して執筆を急ぐことなく、静かに原稿に向き合っている後ろ姿が浮かんでくるようです。校正もわかりやすく、思わず原稿を読んでしまいました。私は最近原稿用紙に書くことはほとんどありません。みんなパソコンで文章を考えます。こうした手書きの原稿をみると「言葉」のもつその人らしさが伝わってきて興味深いものがあります。パソコンの活字を何度読み直してみてもなかなか自分にたどり着けないのはそのせいでしょうか。原稿用紙に書くには途方もない時間が必要な気がして今の生活ではむりだなあとあきらめてしまいます。ひと昔前の人は贅沢な時間をもっていたものです。
 澁澤龍彦の文章はとても読みやすく、難解そうな絵や演劇の謎めいた部分が伝わってつい読んでしまう作家の一人だったことが思い出されます。澁澤龍彦の40代は私の20代と重なります。「アンアン」「みづゑ」「文学界」などなど・・
 かなり老成した学者だろうかと写真をさがしてみれば パイプをくわえた黒いサングラスのおじさんでした。アブナイ、アブナイと20代の私の目には映りましたが・・・
 澁澤龍彦の部屋の一部も再現されていました。彼が偏愛したといったモノたちも
陳列されています。骨董的な価値があるものや必ずしも芸術作品ではなく、石や貝殻などもあります。彼の部屋に置かれていると何かそれに意味があるように見えてしまうから
不思議です。いまだ彼の魔術にかけられているのかもしれません。
 今回初めて彼が晩年病気によって声帯をなくしたことを知りました。多くの原稿と友人たちとの手紙や贈られたモノ、収集したモノたちに囲まれて過ごしたことが想像されます。原稿の魅力とあの時代の熱気が伝わる企画でした。
 彼が偏愛した石や貝殻には人の根っこに訴える何かがあるのでしょう。澁澤龍彦という人は石が宝石にみえる幼児期の思いをずーと持ち続けていたんだということをこの企画展を通して知ることができました。読むぞ「貝殻と頭蓋骨」「高丘親王航海記」。

企画展のポストカード





バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...