澁澤龍彦は 昭和3年生まれのフランス文学者・翻訳家、マリキ・ド・サドを日本に紹介しました。57歳で亡くなるまで文学・美術・演劇に影響を与え続けました。亡くなってから「高丘親王航海記」で読売文学賞を受賞されています。
企画展の多くは彼の原稿で占められていました。2B,3Bなどの柔らかい鉛筆で書かれブルーブラックの万年筆で校正されています。 字は丸く、優しい人柄が感じられます。決して執筆を急ぐことなく、静かに原稿に向き合っている後ろ姿が浮かんでくるようです。校正もわかりやすく、思わず原稿を読んでしまいました。私は最近原稿用紙に書くことはほとんどありません。みんなパソコンで文章を考えます。こうした手書きの原稿をみると「言葉」のもつその人らしさが伝わってきて興味深いものがあります。パソコンの活字を何度読み直してみてもなかなか自分にたどり着けないのはそのせいでしょうか。原稿用紙に書くには途方もない時間が必要な気がして今の生活ではむりだなあとあきらめてしまいます。ひと昔前の人は贅沢な時間をもっていたものです。
澁澤龍彦の文章はとても読みやすく、難解そうな絵や演劇の謎めいた部分が伝わってつい読んでしまう作家の一人だったことが思い出されます。澁澤龍彦の40代は私の20代と重なります。「アンアン」「みづゑ」「文学界」などなど・・
かなり老成した学者だろうかと写真をさがしてみれば パイプをくわえた黒いサングラスのおじさんでした。アブナイ、アブナイと20代の私の目には映りましたが・・・
澁澤龍彦の部屋の一部も再現されていました。彼が偏愛したといったモノたちも
陳列されています。骨董的な価値があるものや必ずしも芸術作品ではなく、石や貝殻などもあります。彼の部屋に置かれていると何かそれに意味があるように見えてしまうから
不思議です。いまだ彼の魔術にかけられているのかもしれません。
今回初めて彼が晩年病気によって声帯をなくしたことを知りました。多くの原稿と友人たちとの手紙や贈られたモノ、収集したモノたちに囲まれて過ごしたことが想像されます。原稿の魅力とあの時代の熱気が伝わる企画でした。
彼が偏愛した石や貝殻には人の根っこに訴える何かがあるのでしょう。澁澤龍彦という人は石が宝石にみえる幼児期の思いをずーと持ち続けていたんだということをこの企画展を通して知ることができました。読むぞ「貝殻と頭蓋骨」「高丘親王航海記」。
企画展のポストカード |
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