2019年11月17日日曜日

五穀豊穣の祭祀

 今年は、外憂さておきという感の日本の秋になりました。近場のお寺もいまだ紅葉せず暖かい小春日和が続いています。巷は台風の傷跡ナマナマしく、行方不明者の捜索が続いています。報道される社会面の事件は、あおり運転を始め脅しや恐喝、詐欺、強盗殺人、
子殺しばかりです。スポーツ選手の活躍が唯一の救いのような昼のテレビ番組です。ビジュアルの刺激が強すぎるのは、年齢のせいでしょうか。ラジオが優しく思えます。
 外憂さておきの日本、令和元年の天皇即位の催しものも大嘗祭でひと段落、天皇家の
皆さまも一息つかれていらっしゃることでしょう。大嘗祭で改めて天皇家が日本の国の成り立ちに果たしてきた役割を考える機会になりました。
 私としては五穀豊穣を祈る祭祀の継承者という線をこえないようにお願いしたいものです。だれに? もちろん政府の保守系の方々にお願いです。王室交流は別としてだれを国賓にするかの責任は、時の政府にあるのでしょうから、よく考えてください。桜を見る会にお招きするわけではないのです。
 そして日本人の信心は、神道ばかりでなく、仏教、キリスト教、・・といろいろで節操は、ないのです。天皇家は、戦争終結の段階で国の象徴となりました。神道の宗主に合わせて国の象徴の役割を担われたので、無理があります。無理を承知したのは国民です。
国民も国民の代表の政府も慎重に天皇家のお仕事を考えないと天皇家の存続は難しい時代に入るでしょう。「日本は平和で寛容な国、歴史を継承できる国である」という象徴を正倉院にある貴重な文物や祭祀の継承とともに天皇家の人たちに担っていただけることを願っています。

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