2021年11月19日金曜日

covid19 vs あ・し・た


 感染者数が 東京で一桁を記録した日。ランチタイムは、女子会花盛りです。私たちも富士山を肴にコロナ自粛からの解放感を味わうことにしました。私たち3人の共通項は、夫です。「夫の職業は、宇宙物理学の研究で、妻は、宇宙物理学は?」というところが共通しています。お付き合いは、40数年におよびます。海外の学会の同伴や外国の研究者一家のオモテナシ、後輩のお世話なので妻も妻なりの役割を果たし、たくさんの楽しみとご苦労をお持ちの方々です。夫婦別行動の共働きの妻も先輩諸氏のご教示のもとお手伝いをさせてもらい、研究者の妻の心構えを教えていただきながらも実践できず今にいたっています。



昔、妻を「かみさん」という人がいらして、結婚したばかりのシャイな研究者の方々は妻のことを「かみさん」と呼んでいました。女子会も夫たちからすれば「女子会」でなくかみさんの集まり、ただの「井戸端会議」にすぎません。

 よく食べ、よく話しました。それぞれのご家庭の様子が走馬灯のように流れてゆき、楽しい時間をすごすことができました。走馬灯のように流れる景色をながめるというのがストレス解消には、いいようです。結論は、「割れ鍋に綴じ蓋」どちらが割れ鍋か綴じ蓋かは、わかりませんがそれぞれの今をポジティブに納得しました。コロナ自粛でこもりがちの家庭生活。どんなに上手にお互い、距離をとっても加齢とともに夫婦は近くなってゆくものかと思います。「考えてわからないことはない」と言い切る科学者の夫をもつ妻たちも手を取り合ってこれからのステージを乗り切りたいものです。 

 今回のコロナ・パンデミックではうつ症状を訴える人が急増しました。うつの原因は、不安といわれます。日常の喪失が社会不安を招きました。不安の核は、喪失体験だそうです。仕事の喪失、家族の喪失、財産の喪失など・・、その中での最大の喪失体験は、伴侶との死別ということが統計的にいわれています。「割れ鍋に綴じ蓋」でもどちらかがなくなったら寂しいものです。

*「割れ鍋に綴じ蓋」 破損したなべにもそれにふさわしい綴じ蓋があるように どんな人にもふさわしい配偶者があるというたとえ 旺文社 国語辞典  出典 江戸いろはがるた

2次会に向かう途中「殿ヶ谷庭園公園」を散策しました。まだ紅葉にははやかったですが国分寺崖線を使い武蔵野の湧水が流れるダイナミックな作庭の別荘庭園です。井戸端会議のポジティブシンキングを味わうには、ちょうどよい空間でした。


 表題のあ・し・たは、「歩く」の「あ」「しゃべる」の「し」「食べる」の「た」になります。不活動によるフレイル(虚弱体質)を作らない3要素で、高齢者の健康教室で取り上げられるキーワードです。

今回は、フレイル予防の実践報告をさせていただきました。


             ご清聴ありがとうございました。






2021年11月12日金曜日

COVID-19 vs 軍国少年

フライヤー
リーディング公演です。ストーリーは、亡妻とおじいちゃんの会話から始まります。亡妻の幽霊から死ぬ前に伝えるべきことがあるだろうと謎掛けされるおじいちゃん。一人住まいになったおじいちゃんの安否確認に派遣される孫、孫の報告からおじいちゃんの心中を推し量ろうとする子供たち、いまどきの家族の平凡な日々が描かれてゆきます。

 おじいちゃんは、昔冷やかし夫婦と嫌味を言われた骨董屋の消息を店番をしている娘から知ります。店頭のラジオを持帰りスイッチをひねると開戦や戦況、玉音放送が聞こえおじいちゃんの記憶をよびおこさせました。
 おじいちゃんは、ふと骨董屋を見舞いに孫を連れて老人施設へ行きます
そこで亡妻に似た老女に会い、彼女の戦争体験の紙芝居を聞かされ、軍国少年だった自分を鮮明に思い出します。老女の戦争体験を紙芝居にして学童に戦争反対を伝えようとする若い女性と出会い、おじいちゃんと孫は、彼女の活動に参加することになります。その紙芝居は、3歳の女の子が父からもらったドロップの缶を抱きしめて戦火を逃げ惑う母の背中で死んでしまうという物語です。おじいちゃんは、物語の女の子役をかって出て、自分の戦争体験を追体験することになりました。劇は、成功します。子どもたちは、おじいちゃんたちの熱演を食い入るようにみつめていました。劇を仕掛けた若い女性は、子供たちに「戦争」が伝わった実感ををもつことができたようです。 
 そして軍国少年だったことをずーと心の奥底ににおしこめてしまっていたおじいちゃんは、自分が立派な軍国少年だったことをやっと受け入れます。おじいちゃんは、
フライヤー裏面から出演者
心のわだかまりを知って、吐き出す機会がありました。
 それがどういうものかは、受けとる側に任せようという優しい気持ちにもなり亡妻の幽霊と手をつないで去ってゆきます。そして舞台は幕を下ろしました。

 受け入れがたい事実を抱えることは、人生にとってだれでもあることです。戦争も、パンデミックも災害も受け入れがたい事実をばらまいています。
当事者であることも、自分に起こった事実も受け入れるには時間がかかるものです。受け入れられないことこそ、本当に伝えなければならなことかもしれません。伝える気持ちを実現するには、励ましや熱意が必要なんだということもこの劇は、謳っているように思いました。
 
 最初に 障碍のある方の詩の朗読があります。屈託のない朗読から伝わるものは青い空の爽やかさでした。劇を見終わって、もう一度この詩と朗読を聞いてみたくなりました。演劇は、絵画や音楽と違った脳細胞に記憶されそうです。

 高齢の前田昌明氏と岩崎加根子氏の戦争体験を知る思いがしました。私は、すでに戦争の後片付けが終わりつつある時代、社会全体が前を向き始めた時代に育ちました。終戦時に二十歳、結婚、妊娠、大学進学、就職を抱えた人たちを親に持ち、今最後の時間を一緒に過ごしている友人も多いです。少しの気持ちが母の父の戦争体験をポロッと話すきっかけになるかもしれません。それを受け取る責任が次世代にはあるのです。
 

2021年11月5日金曜日

COVID 19 VS  ヒーロー

上野恩賜公園 とらわれた男


 孫一が学校の授業で「人の思いを考えてたすけてほしそうなときに、はなしをきいてもんだいをかいけつする。」という文章を書いてきました。孫一 小学2年生の秋。どういう授業がわからないのでコメントのしようがありませんが・・ 「へえ~ いつのまに『思い』という言葉を知ったのだろう。とおばあちゃんは、きつねにつままれたような不思議な気持ちになりました。人には、『思い』という目に見えないものがあると漢字で書いたところが!・・・・おみそれしました。

 孫一は、「たすけてほしそうなときに、はなしをきいてもんだいをかいけつする。」といってます。先日の選挙の街頭演説からもよく聞こえてきました。「はなしを聞いて解決します」。孫一は、ヒーロー思考まっただなかの小学2年生。同じように宣言していた政治家のみなさんには、ぜひ子供たち、市民に問題解決の手本をみせてもらいたいです。問題解決とは、切って捨てることではないですよね。切って捨てていいのは、バーチャルの世界ですよ。世界の未来を担う子供たちがかっこいい!というような問題解決をめざしましょう。国民をうならせるような問題解決と政策をみせてください。忖度しなければならないのは国民ですよ。お間違いないように。

 中学生のとき、社会科の先生から「人間は、政治的動物である」とは、どういうことかという宿題をだされました。この年齢(耳順)になってやっとそのレポートが書けそうな気がします。政治家だけが政治をしているわけでは、なく。人を動かそう、関わろうとする気持ちは、だれにもある。孫一のようにだれでもヒーローになりたい気持ちは、もっている。どんなヒーローになるかは、孫一自身の問題でもあり、それをとりまく家族や社会の問題でもあるわけだから。政治は、みんなのものなのです。

政治を生業にしている人たちへ

  「選挙に勝った、負けたより大事なことがあることを忘れないで!!!」

                                 黄桜 河童


バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...