フライヤー |
おじいちゃんは、昔冷やかし夫婦と嫌味を言われた骨董屋の消息を店番をしている娘から知ります。 店頭のラジオを持帰りスイッチをひねると開戦や戦況、 玉音放送が聞こえおじいちゃんの記憶をよびおこさせました。
おじいちゃんは、 ふと骨董屋を見舞いに孫を連れて老人施設へ行きます
そこで亡妻に似た老女に会い、 彼女の戦争体験の紙芝居を聞かされ、 軍国少年だった自分を鮮明に思い出します。 老女の戦争体験を紙芝居にして学童に戦争反対を伝えようとする若い女 性と出会い、おじいちゃんと孫は、 彼女の活動に参加することになります。その紙芝居は、3歳の女の子が父からもらったドロップの缶を抱きしめて戦火を逃 げ惑う母の背中で死んでしまうという物語です。おじいちゃんは、物語の女の子役をかって出て、 自分の戦争体験を追体験することになりました。劇は、成功します。子どもたちは、おじいちゃんたちの熱演を食い入るようにみつめていました。劇を仕掛けた若い女性は、子供たちに「戦争」が伝わった実感ををもつことができたようです。
心のわだかまりを知って、吐き出す機会がありました。
それがどういうものかは、受けとる側に任せようという優しい気持ちにもなり亡妻の幽霊と手をつないで去ってゆきます。そして舞台は幕を下ろしました。
当事者であることも、自分に起こった事実も受け入れるには時間がかかるものです。受け入れられないことこそ、本当に伝えなければならなことかもしれません。伝える気持ちを実現するには、励ましや熱意が必要なんだということもこの劇は、謳っているように思いました。
最初に 障碍のある方の詩の朗読があります。屈託のない朗読から伝わるものは青い空の爽やかさでした。劇を見終わって、もう一度この詩と朗読を聞いてみたくなりました。演劇は、絵画や音楽と違った脳細胞に記憶されそうです。
高齢の前田昌明氏と岩崎加根子氏の戦争体験を知る思いがしました。私は、すでに戦争の後片付けが終わりつつある時代、社会全体が前を向き始めた時代に育ちました。終戦時に二十歳、結婚、妊娠、大学進学、就職を抱えた人たちを親に持ち、今最後の時間を一緒に過ごしている友人も多いです。少しの気持ちが母の父の戦争体験をポロッと話すきっかけになるかもしれません。それを受け取る責任が次世代にはあるのです。
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