2023年11月28日火曜日

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一弘神父84歳、10月初旬には、「70歳前に個展をやりたまえ」と励ましてくださった日本画家中野嘉之先生が74歳で逝去されました。6月末に個展を実現し約束を果たすことができたのがせめても私の慰めです。

 私の60代は、母の看取りで始まりました。共働きだった私は、職業人・家庭人の2足の草鞋から家庭人どっぷりの生活になりましたが、職業人の緊張感がなかなか忘れられませんでした。仕事にかわる緊張感を求めていろいろやりました。ブログもその一つ、20代に始めた絵画制作の再開もそのひとつ、頭の緊張だけではバランスが悪いので「なぎなた」や「謡」もはじめてみました。運動しているのが好きなのですが、今思うと作業療法士の仕事は、リハビリテーションの職種のひとつで臨床と教育の現場を経験しました。どちらも「頭と体のバランスをとりながら動いてなんぼ」の世界でした。気分転換のスキルと瞬発力のような立ち上がりの集中力は、我ながら自信があります。

 職業人と家庭人のフィールドのほかに私には、もうひとつ自分活動のフィールドがあります。これは、「三位一体」「夜空にひかる東京タワーの3脚」など「3」を美しいと思う私の美意識からきています。自分活動のフィールドは、名古屋アイルランド研究会と息抜き時間をつかったお茶のお稽古と画廊周り。子供たちも高校、大学となると時間が作りやすくなりました。いかに自由時間を作るかにエネルギーをかたむけるのが50代の楽しみでした。夫は、きわめて個人主義の研究者ということもあり協働作業や接点は見つからぬまま、60代になり実家の父に続き母の看取りに突入しました。実家が遠方であれば、別居を余儀なくされそのまま実家を守っている私。「昨今こういう人多いのでは」と思ったりします。そうこうしているうちにいつのまにか60代を超えました。

 さてこの1年、2022年2月に始まるロシアのウクライナ侵攻は、終わりがみえない中、今年10月7日 ハマスによるイスラエルへの攻撃。災害では、アフガニスタンの大地震、大陸での大規模な山火事などなど、ワールド・ニュースは、すさまじいものがあります。島国日本のニュースは、きわめて平穏のように思えますが、国の安全保障は、かなり危うい、物価高騰、上がらぬ給料、目減りする年金、若い世代の労働力不足、教育環境の劣化?が「日本沈没」の映画をみているようです。 孫たちのためにもう人肌脱がなければ・・・!

 まったく明るい展望のもてない70代の始まりです。若いころには、「いつか自由になれる」という大きな希望がありました。現実を知りすぎている60代には、「自由になること」は、トラウマに近いものがあります。「今」を受け入れることが一番「自由」に近づくとわかっていますが、この「今」がなかなか受け入れられない。70代「幸せだなあ~」とみんなが、鼻頭を撫でる10年になれることを願って・・・「一銭5厘の旗」を掲げようと思う今日この頃です。


花森安治 暮らしの手帳社 昭和46年発行

★一銭5厘の旗 :「暮らしの手帖」編集者花森安治が「暮らしの手帳」創刊号から
執筆してきた記事を花森安治自身が選び一冊にまとめたものです。戦中派の花森は、戦争
をしないために「生活を大事に」「生活することをおろそかにしない」ことを掲げました。
 戦争の悲惨さを身をもって体験している著者だからこそ「生活」「暮らし」こそ青い鳥だというメッセージがひしひし伝わってくる本です。


70代は、終活を意識して 孫たちに残したい「ないならないなりに『生活』を豊かにする法」「高すぎるハードルを下げる方法」「運動で脳を活性化する方法」「自律神経と仲良くなる方法」などおばあちゃんの知恵袋を「作業療法的私生活のススメ」というブログでまとめてゆきたいとを考えています。

「作業療法的私生活のススメ」

https://www.blogger.com/blog/posts/4481439309255574967



バイバイ 僕の9歳

  


 孫一君もいよいよ10歳になります。ここのところ会うたびに背が高くなっているような驚異を感じます。うっすらひげっぽい影も鼻の下にみえたりしています。 なんといってもしぐさやちょっとした表情がダディーに似てきました。 第2次性徴の始まりかな。

 孫一には、このブログ10年でときどき登場してもらいました。 おばあちゃんとしては忙しいママ・ダディーの代わりの成長記録のつもりでしたが・・・ 初孫バカのおばあちゃん日記にかわりありません。昨年孫一は、私の次女に孫美が生まれ従妹ができました。お兄ちゃんぶりがかわいい孫一です。体育大好き、サッカー部・バスケット部に所属し体育係をやったりしてます。夕食後のリビングは、コートになりリビングの柱に取り付けた即席ゴールめがけて孫一のシュートが家族を沸かせます。広いリビングではないのでドリブルは、驚異のスキルです。ダンクシュートも夢ではないでしょう。目指すは、八村か?

 いつの間にか本も読めるようになり、9歳になってからダディーの英語教室に通うようにもなりました。 小さいころは英語を嫌がっていた孫一も教室通いは楽しいようです。そのうち親子の英会話が聞けるかもしれません。楽しみです。とはいえ、日本語で自分の考えをまとめて話すところまでは日本語圏で成長しました。孫一は、今父母の話す英語・ダディーから教わる英語をどのように受け止めているのでしょう。孫一は、人に教えることに一方ならぬ集中をみせます。手品・ルービックキューブ・スイッチのゲームの数々、マリオゲームの作成などおばあちゃん相手に根気よく手順を説明してくれます。申し訳ないくらいおばあちゃんは、いわれたとおりにできましぇん。

 最近自分のベッドと机ができました。机の上には、ルービックキューブ15個のコレクションがきれいにならんでいます。3×3の最高タイムは1分をきりました。 部屋では、ヘルメットをかぶり水中眼鏡、黒の手袋、ヘッドフォンをしてゲームやマイクラに興じています。そして「亀」のカメオとレオナルドが住み着いています。孫一は毎日水槽の水をかえ小さな餌をつまんではカメオとレオナルドに与えています。餌を口に入れたかと思ったとたん小さな亀どもは、孫一の手の中で手足をばたばたするはめに。一人っ子の孫一には、ぬいぐるみのオランウータンに変わる子分ができたようです。大事にしています。

   バイバイ 9歳

 ハロー ハロー ティーンエイジャー!!

 おばあちゃんの孫日記 上の巻終わります。


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2023年5月11日木曜日

孫一 創作、リレー童話「どらえんもんの翻訳こんにゃく」

 おばあちゃん「昔々あるところに大きな山と大きな湖とおおきな野原がありました。そこに

       兎さん、猫さん、熊さん、寅さんが住んでいました。

孫一    「寅さんが湖に泳ぎにゆきました。 ジャボジャボ 楽しいな:

おばあちゃん「そこに熊さんがやってきました、」

孫一    「熊さんも一緒に泳がないかい。」熊さんは、寅さんと大の仲良しです。

       ジャボン、ジャボン、ジャバ、ジャバ

おばあちゃん「その様子を兎さんが見ていました」

孫一    「兎さんモ泳がないかい?寅さんが大きな声で兎さんを呼びました。」

おばあちゃん「兎さんはびっくり、熊さんや寅さんはいつも大きな声で小さな兎    

       さんを脅かします。 寅さんが呼べば呼ぶほど声が大きく、兎さん

       は逃げることもできないくらい震えてしまっています。」

孫一    「そのときどらえもんが空から降ってきました。ドラえもんは、ポケットから 

      「翻訳こんにゃく」をだして遊んでゆきましたが、しばらくするとそれを落と

       して飛んでいってしまいました。寅さんは、落とした「翻訳こんにゃく」を

       もってドラえもんの後を追いました。すぐおいついてドラえもんに「翻訳こ

       んにゃく」をわたすと どらえもんは、「やさしい寅さんだね。それあげ

       る」といってまた飛んでいってしまいました。寅さんは、その「翻訳こんに

       ゃく」を口にほおばりました。そして兎さんに吠えました。すると 

      「うさぎさ~ん あそぼうよ~ いっしょに泳がないかい~」という寅さんの

       吠え声になって兎さんに届きました。

おばあちゃん「ちゃん ちゃん めでたしめでたし」

2023年3月8日水曜日

祈りの力

カトリック教会内部
 トルコ・シリア地震は、ウクライナ侵攻1年を迎えようとしたときに発生しました。被害者数は、5万 あの2011年の3月11日を思い出さずにはいられない出来事です。 ウクライナ侵攻は、ますます過激化しプーチン政権のなりふり構わない攻撃、手段を選ばない外交に世界中が被害を受けています。戦争の大義は、「覇権主義の存続」にほかなりません。民主国家でも覇権国家主導権争いとは無縁にただただ生きること、特に貧困や感染症が蔓延する小さなアフリカ、アジアでは、生き延びるための戦いがウクライナの人々と同じように日夜続いています。

 災害も戦争も病気も怪我も人が理不尽な状況を迎えたときに、何が生活やメンタルを支えてくれるでしょうか。最近考えることが多くなりました。思い出したのは、小さいときに覚えた「お祈り」です。 集中できなくなって落ち着きがなくなってきたときや言い知れない不安をおぼえたときこのお祈りは効果的です。きっとウクライナでもトルコ・シリアでも多くの人が日々祈りの中にいるのではないかと想像に難くありません。

デューラー 祈り 鉛筆模写
 戦争や災害が,祈れば解決するというほど単純ではありません。祈ってもかなわぬことは山ほどあります。しかし今世界では「祈らずにおれない」人、自然に祈りが口に出る人々が数えきれないほど家族のため、命のために祈っているはずです。それなのに北の為政者は、自分の欲望と威信のために十字を切りながら非道な命令を発し続けています。自分のためでは、なく人のために祈る。これが神様への近道なのに。自分の威信をまもるため、奪った領土を失わないように祈るのではなく自分の決断で亡くなってゆく人たちの命の責任が自分にあることを認める勇気をもてるよう祈ってください。北の熊殿!

 東関東大震災から 12年がたった日本。トルコ・シリアの被災地の復興のために役立つ知恵を蓄えてきました。ウクライナの復興にもきっと大いに役立つことでしょう。周囲を海に囲まれ国境という楔のない日本ですが、侵略・敗北の過去をもつ日本、年がら年中地震に揺さぶられている国土を持つ日本、アメリカの民主主義の傘の下でこれだけ復興に必要な忍耐と知恵を蓄えた国も少ないのではないかと思います。日本人の宗教観は、キリスト教社会にくらべればはるかに寛容で、神様もいっぱい。他国を援助するネットワークを広げ深めることは、少子高齢化でお先まっくらな日本の希望、生きる道になるかもしれません。

 他人の不幸の上に自分の不幸を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるものだ。 トルストイ

 トルストイの名言には、なじみの言葉が多いです。「逆境が人格をつくる」もそう。開国以後日本文化に深く根付いているロシア文化でもあるのです。

2023年2月20日月曜日

LGBT理解を増進するための法案 と あなた


 人類は、生物学的に多様だ。多様でなければ生存し続けられない。地球上に繁栄できない。という前提で欧米は性的マイノリティーの人たち、人種への差別を乗り越えようとしていいます。

 世界の人口は、80億を超えました。寿命は80歳を超えているのに子供世代の人口が少ないだけでなく人口も減少傾向にある日本の将来は、差別などしている場合ではないように思いますが、為政者の社会では、石橋をたたいても渡らない風があるようにみえます。日本は、国境は、海で交流は、欧米のように激しくありません。人種も多様ではありません。それが欧米のように多様性を受け入れられていない理由の一つだと思います。陸続きの国境、人種間の激しい交流をもつ欧米に比べて日本社会は、多様性の経験値が低いと思われます。がそれでいいのでしょうか?

 欧米から見て日本が人権問題に鈍感に見える背景には、鎖国時代に培われた家制度と階級制度にもとづく利権構造が根強くあります。特に家制度は、武家社会にとっては都合がよく男女の役割に線引きをしました。開国後の日本は、西欧に追いつけ追い越せの明治・大正時代、その後の大戦と敗北、敗戦後の復興と高度成長、バブルの崩壊と少子高齢化社会の到来。どの時代の為政者の組織も、江戸時代に固められた家の作り方を壊すことをしませんでした。家制度は、戦うのにも利権を守るのにも都合のよい仕組みだからです。男子にとって自ら構築した利権構造を壊すなど容易ではなく旗振るジェスチャーはできても国民に人権問題を提起をするビジョンのある人材を、輩出できませんでした。その弱さが今にも続き、長期政権を許してしまっているのだと思います。いまだにそこかしこに家父長的なリーダーシップが求められています。為政者に家父長以外のリーダーシップの経験がないからです。天皇制がこの家父長社会の蚊帳の外というのがさらに日本の在り方を複雑にしているように思います。人権が語られない天皇制が存在するので日本社会は、いつまでも人権に鈍感でいられるのです。


 私は、家父長制を支えているのは、男ではなく、実は女だと考えています。「男は、外にでれば7人の敵がいる。という言葉にごまかされるな。女がかわらなければ家父長制は、崩壊しないでしょう。」とジェンダーの問題提起を私は40歳のときの職場研修で初めて学びました。それから30年女性の社会進出は増え、人権、差別に関する話題がマスコミにも上るようになってきました。昨今のパラリンピックの成果は、社会的弱者に位置付けられる障害者がメディアでポジションを確保したことです。30年前には、女性や社会的弱者の将来は、明るいと思いましたが、思ったより牛歩の進歩でしかありません。すすんでいないわけではないので私は、いい社会、いい方向に進んでいると思っています。

 私のこの30年は、共働き女性は、家事をこなしながら7人の外敵とも戦わなくてはならず夫は戦友でした。結局戦友の女は家庭を守るため戦線を離れることに、専業主婦は、子供の自立後自己実現にめざめても時遅し、独身女性は、出る釘が打たれ。男性ほどの社会的地位を得るのはごく恵まれた能力の女たちでした。この人たちが次世代の里程標として女性のステータスを高めてゆくことと思います。さてこの間男性は、女性と協力関係を作ろうとどれだけ努力したのでしょうか。自分の利権、仕事を犠牲にして家事に時間を使うことを考えたでしょうか。そういう行動にでようとした同性の男性を応援しようとしたでしょうか。60代、70代の男性は、胸に手をあてて考えてほしい。私は遅れてきた学生運動世代だからなおさらそう思います。ゲバ棒をもって反体制を旗印に走り回っていた気概が続けば、人権に対してもっと敏感で行動的な社会になったのではないかと思います。フェミニストだと言っていた学生運動家は、なおさらです。今の日本の社会の抱える問題の一端にわれわれ60代70代の無関心 無行動、没価値、説明不足、議論下手、効率優先、金銭優先することなかれ主義がありませんか。シニアよ 書を捨てて町にでよ。

 LGBT理解を増進するための法案が成立するためには、無事退職された男性シニアの地域社会への積極的参加が不可欠です。 職業集団から外されて一匹オオカミとしての自分を知る男性が増えればマイノリティーや多様性に対する共感と理解を深める機会がふえ社会全体のムードも変わってくるように思います。上意下達ではないフラットな協力関係、新しい信頼関係を得るスキルを得る最後のチャンスです。 60代70代の男性の行動変容は、日本社会のリノベーションに役立つはずと思います。男性シニアの頑張りに期待します。




 



2023年2月14日火曜日

声の力

  気がつくと早2月になってしまいました。遠くトルコ地震のニュースに2011年の3月を重ねてしまいます。一日も早く、一人でも多くの人が助けられることを願ってやみません。

ポーラ・ミーハン選詩集 思潮社

昨年11月26日 青山ブックセンター「ヨーロッパ文芸フェスティバル・アイルランド編 「ポーラ・ミーハン選詩集」での翻訳者朗読から 詩の冒頭を集めてみました。

私は、この小道を知っている 目でなく魔法の力で・・・
 Well 「泉」 山田久美子訳

母さんが わたしに6ペンス硬貨を渡しながら言った・・・ 
 Buying Winkles「巻貝を買いに」河口和子訳

ブライダル・ヴェール滝へと 男は向かっていった・・・
 The Man who was Marked by Winter「冬の刻印を受けた男」 大野光子訳

まずはーー戦う用意を整えて・・・
 The Wounded Child「傷ついたこども」河合利恵訳

っていうのは 上の階の騒音が天井をがたがた揺らして・・
 Thunder in the House「雷が家でなっているよ」栩木伸明訳

 冒頭だけでもその詩の情景だけでなくその時の雰囲気も思い出されます。朗読の
力でしょうか。ポーラ・ミーハンさん自身の朗読、こちらは英語。意味より気分が
伝わってきました。またリズミカルな跳ねるような英語と空気の流れのようにつつみこむような日本語の雰囲気の違いも面白く印象に残りました。

 12月まだ年末の喧騒前の浅草大黒家倶楽部では、

なごみの語り 
  

   弥生半ばの花の雲 鐘は上野か浅草の
 利生は深き宮戸川 誓いの網のいにしえや
 三社の氏子中 もれぬ誓いや網の目に・・・
         (清元 三社祭 詞章)



   



 詩は、アイルランド詩人の詩を翻訳者たちが朗読したもの,  唄や物語の朗読は、何のつながりもありませんがふと思い出すのです。声が耳の奥に残っているのですね。ニュースからトルコ地震で被災している人たちの声が聞こえてくるように。NHKニュースではときどきAIによる音声放送を流しています。最初に「AIによる音声でお伝えします」と説明が入らなければ「抑揚のない人だなあ」というくらいでアナウサーの声に聞こえることがあります。いつのまにかAIのこの声も浸透してしまうのかもしれませんが、AIは果たして悲しい、沈んでいるときに思い出せる希望の言葉を発せられるようになるのでしょうか? 

 よく読みこまれた朗読の声、詩人の声、よく練られた翻訳と翻訳者の声は、言葉の上になにかを乗せて伝えてくれます。聞き手は、その言葉だけでなく、情景や気分を受け取り創造力を発揮して楽しみます。言葉は、情景や気分と一緒に記憶の底に収まります。トルコの言葉は、意味がわからないけれど映像から悲痛な叫びが私の記憶からひっぱりだされてきます。命をかけた言葉を乗せた声の力は、世界に共感の輪を広げてゆくでしょう。トルコ地震の災害ニュースは、年末の朗読を聞く機会とリンクして意味や論理に縛られない言葉を乗せた声に力があることを改めて感じさせてくれていました。

 孫美(孫一のいとこ)生後3ヶ月になりました。音のする方に顔を向けられるようになりお父さん、お母さんの声に「うむうむ・・ ぶちゅぶちゅ・・むにゅむにゅ・・」と口を動かしている動画が送られ、おばあちゃんは、きゃっきゃと喜んで思わず顔がほころんでいます。孫美は、身近な両親の話声から何かを聞き取っているように思えます。わかってもわからなくてもいっぱいお話ししてあげたくなります。がヨーロッパの空の下空襲警報や被弾の大きな音、泣き叫ぶ人たちの声が大きく聞こえる中で子供たちは何を聞き取っているのだろうかと思うと悲しくなってしまいます。孫美たちが育ってゆく社会や世界では、言葉や声の力は、どう伝わってゆくのでしょう。意味や論理に縛られない優しい、人をいたわり。楽しませる声にのった言葉は、生き残っていけるでしょうか。身近な人が発する言葉が子供たちの気持ちを育てることを思うと大人こそしっかりしなければなりませんね。

梅 ほころぶ



watashi

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...