2015年3月25日水曜日

海界(うなさか) を過ぎて漕ぎ行くに・・

2008年香美市立美術館大坪美穂展リーフレットから
    知人に紹介された大坪美穂さんの海界 (うなさか)という個展を六本木ストライプハウスのギャラリーに見に行きました。ポストカードの写真の作品は黒く染められタグがつけられた衣類を着せた椅子が整然と並べられたものです。入り口入ってすぐ目に入りました。写真は作品の一面にしかすぎませんからこうして作品を前にしたときに感じることって大切だといつも思います。写真の硬質なイメージと違い衣類の柔らかい形や布の材質が黒一色に染めきらないニュアンスのある空間を作って饒舌です。饒舌ですが沈黙の重さのような空気が漂っています。在廊されていた大坪さんからアウシュビッツをイメージされているとお話を伺い'やっぱり!'と作家さんに共感を覚えました。布つながりで目を移すと2階にわかれた空間に2つの布玉のインスタレーションがあります。階下の作品は大小の布玉が中央に集められ周囲を大きなシルクスクリーンの作品が囲んでいます。吹き抜けの一階の作品は山積みの白い布玉から'こより'でできたネットが天井に向かって広がっています。私はこういう作品をみるときはできるだけ自分の位置を変えて見ます。見上げるよう作品は上から見れるよう配慮されていると嬉しいものです。インスタレーションは見る側に冒険を迫ってくるので楽しいです。
    大坪さんはさりげなく布玉を作り始めるきっかけになった事件を話してくださいました。「長年支えてくださったお母様の死とアイルランドのヌーラニ ノゴールの詩との出会いがで母の衣類を裂き黒く染めて布玉に変えその時の海界を越えられた」。私自身の体験にもつながるお話です。母親という存在は「つながり」ということを生理的に伝える存在なのかもしれません。大坪さんの近年の作品づくりは布玉をいろいろな人達を巻き込んで作りつながりをイメージするこよりのネットとつなぐということです。招かれる地域で集まった人達を巻き込ん作品づくりをするということが今のテーマになっていると話されました。布玉もネットの広がりもその作品全体のイメージもそのときどきで変わって行くのでしょう。何か大きな船が大海原にこぎ出してゆくのを見送ったような気持ちでギャラリーを後にしました。

2008年香美市立美術館大坪美穂展リーフレットから

  

2015年3月22日日曜日

地獄八景亡者戯


  桂米朝さんが亡くなりました。これから落語を楽しもうという私には寂しいかぎりです。知っている噺家たちの元気な頃は演芸場に足を運ぶ暇もなくやっと時間ができてきたなと思うことになると次々に鬼籍に入ってゆかれます。「地獄八景亡者戯れ」はNHKの朝の連続ドラマの「ちりとてちん」の渡恒彦演じる師匠の十八番で地獄めぐりをする大旦那の一行を面白ろおかしく語っています。そのストーリーが面白かったので米朝の弟子の枝雀の紙一重的落語でこの噺を聞いたことがあります。これがめっぽう面白かったです。死ぬことにハードルが無くなってしまう錯覚に襲われました。そしてこの古典的な噺を復活させた元締め米朝さんのご供養にと思って昨夜米朝さんの「地獄八景亡者戯れ」を YOU TUBEで楽しみました。11万回アクセスされています。私と同じような気持ちで聴いている方が多かったのでないかと思います。
 この噺 真面目に聴くときわめて不謹慎な噺です。三途の川で死因を聞かれ鬼がそれに値段をつけるというくだりなど病気を抱えていると身につまされてしまいますが、ここは落語大きな心で聞かなくては。米朝さんは当時の病気の数々を取り上げ鬼に勝手に値段をつけさせます。たとえば「肺がん なんぼ 腎臓病はおしっこの病気でんな なら なんぼ」ってな具合です。これが落語じゃなかったら????
 この噺なんと約1時間の長丁場 噺家の体力も試されます。米朝さんもマクラで最後まで自分もいけるか心配だといってみんなを笑わせていました。この噺のように地獄の沙汰も金次第という世相を笑い飛ばす精神はもっと見習ってもいいものと思わされます。

 箸が転んでもおかしかった10代の頃からだいぶ月日がたち身の回りに「笑い」の種が少なくなってしまったように思うこともしばしば 私の小さい頃にはよくラジオから落語が聞こえてきていましたから。テレビの漫才やドラマも落語ネタが多かったように思います。小学校の謝恩会の一人一芸で
私は「寿限無」をやりました。いまだに「寿限無」のくだりは覚えています。友達の一人は「よいとまけ」を歌っていました。戦後20年くらいはそんな時代でした。今戦後70年になろうとしています。
「笑って元気になろう」みたいな風潮も影を潜めてしまっているように思えて寂しいです。
 
 最近は女性の落語家もちらほら目にとまるようになってきましたが話芸は男性社会の義理人情や生活をテーマにしていることが多い点世の中高年男性の楽しみに打ってつけではないかと思います。会社や組織でガチガチになってしまった思考パターンを崩すには女の愛嬌も効果的ですが
話芸で気分転換を果たすのも一策かと思います。演芸場やTVで落語を聞いていると同じところでみんなが笑う一体感は気持ち良いものです。笑いの質も高いような気がします。お腹の底から笑っている声に聞こえます。笑い方も人それぞれですがやっぱりお腹から笑える人は幸せなような気がします。落語の世界は普段の生活の世界です。普段自分たちの生活で感じていることを言葉にしてくれるありがたさがあります。落語が絶滅危惧種と自虐に陥らず生き残っていってほしいと思ってます。

 米朝さんの一番弟子のざこばさんが「上手に死ぬというのはこんなにきれいなもんなんか」と
米朝さんの最後をテレビのインタビューに答えて涙を詰まらせて話されていたのが心に残りました。私も人間国宝にならなくてもいいのでそうありたいと思います。
 米朝さんのご冥福をお祈りします。

 

仰げば尊し

仰いでミモザ
卒業式のシーズンになりました。自分の最後の卒業式からはもう40年になってしまいます。小学校のときの卒業式は印象に残っています。極度の緊張感と何か乗り越えた感の複雑な達成感に包まれたことを50年たって思いだします。その緊張感は小さいながら大人になる試金石のように思えました。名前を呼ばれて舞台にたって校長さんから卒業証書を押し戴くというパーフォーマンス 見守る親も階段で躓かないかちゃんと礼ができるかハラハラドキドキの一瞬です。

 今子供が育つ学校の環境は変わりつつあり式典も簡素化する方向にあると聞いています。忙しい親が増えたことも一因にあるでしょう。小学校の卒業式は親にとっても親業のひとつのけじめになるはずです。共働きだった我が家では年度末の仕事でそれでなくても親は気持ちに余裕がなくなります。子供達の卒業式・入学式が重なった年にはおじいちゃん、おばあちゃんも動員して大騒ぎとなりました。今思えば楽しい思い出ですが私は出費は重なるわ、仕事はたまるわで必ず極度の腰痛に見舞われました。そういうこともあって腰痛は最近の知見に先んじて心身のストレスからくるものといういうのが私の持論になっていました。もともとの呑気な性格が幸いして3,4月の春の空気も私の落ち込みそうな気持を支えてくれなんとか乗り越えさせてくれました。なんとかなるものだなあとこの季節になると思います。助けられながら、私自身は無理してみんなと同じように卒業式・入学式に参加できました。今となれば自信になっているのでしょうね。外で仕事をしている母親も父親も卒業式に一緒に参加し子供の成長の喜びを共有できる家族・社会になってほしいと思います。

 とはいうものの成長を喜びあう形はそれぞれです。学校は学校のスタイル、家族は家族のスタイル、自分は自分で卒業を祝えばいいわけです。卒業は何かを達成した証しにすぎません。人生にはいろいろなところに卒業に似た体験があり卒業式に相当するものが用意されています。小学校の卒業式は自分が意識できる最初の体験です。その前に日本では七五三があります。こんなに成長の節目ごとになんだかんだ祝い会う文化も今は昔になってしまうのでしょうか。お祝いの恩恵に預かる人とそうでない人が今まで以上に入り混じって生活してゆくのがこれからの日本の社会のように思います。

 ふと「仰げば尊し」の歌を涙して歌ったときの気持ちを思い出す機会があり青春のさわやかだった頃の自分に出合うことができました。少なくとも私はそうだったと勝手に思えるまでに成長できたことがなんか嬉しい日和になりました。


 
 
 

2015年3月10日火曜日

死の淵 あれから4年

死の淵をみた男

 死の淵をみた男は福島原子力発電所 所長吉田昌郎氏のことです。「人の上にたつ」という言葉について考えさせる一冊を読みました。この本はそのとき現場で何が起こっていたかを少しでもあきらかにしたいというジャーナリスト門田隆将氏の思いの結晶ですが同時にあの津波に襲われた原子力発電所の中の出来事を教えてほしいという読者の期待に応えるものでもありました。副題は吉田昌郎と福島第一原子力発電所の500日です。
gigazineサイトから 2011年3月20日 
エアフォートサービスによる空中写真
 当時の官邸、東電、保安院の「上にたつ人」から現場の防災職員・事務職員・その家族といろいろな人に取材し、いい悪いの物差しをあてずそれぞれの立場でなされたことを伝えています。原子力発電所の事態収拾では、情報不足・伝達不足・知識不足・曲解・思い込み・独善と人々が自分の弱さをさらけだして局面を乗り切ろうとした極限の姿が浮かび胸を打ちます。 自然災害では不信・猜疑心すら入り込む隙のないほど突然に猛スピードで襲ってくる脅威なのだと痛感します。 その渦中では自分の判断に迷っている時間は許されません。日頃「人のうえにたって」働いている人はその時さらに多くの人の命を左右する立場にたたされていることを思い知らされその重圧を感じないわけにはいきません。なのに少ない情報、情報の真意さえわからない状況と限られた時間の中で判断・決断をしなければならない。その是非をまた保身に走る姿をだれが評価することができるのだろうかというのがこの著者の読者へのメッセージでしょう。現場の想像を絶する状況に想像力が追いつかないマスコミや人々の安易な非難に対する著者の無言の楔のような本です。年月がたつほどに意味を持つ内容のように思います。
 自然災害時では「人の上にたつ」困難さだけでなく「人の先頭にたつ」ということも同じくらいに困難なことではないかと思います。災害の現場ではだれもが先頭に立ちうることをあの震災が教えてくれています。 人前に出るのは苦手、旗振りはできない。向いていない、男の仕事だなど呑気なことは言ってられません。地震が多い東京では震災グッズをそろえたり地震に備えて住宅を補強したり、避難訓練に参加したり地域の防災訓練に参加したりと被災したときの準備をしようと思えばできる環境が整ってきています。がだれもが先頭に立てる経験をして備えることは災害訓練だけではないと思います。日々の生活の中でも他人に依存しない。自分で考えて行動する。少ない情報でも落ち着いて吟味して判断するというような経験をすることが一人でも多くの人が生き残る手立てになるのではないかと思いました。


 
 

2015年3月2日月曜日

南無阿弥陀仏

寒緋桜(カンヒザクラ)
親戚の法要にでかけました。 春雨の一日でしたが親戚30人ほどが集まり7回忌・23回忌・33回忌のトリプル供養をいたしました。親戚の家は昔からの農家で2つの分家があります。分家とは江戸時代からのお付き合いとか。本家には近頃珍しく敷地内に先祖代々の墓があり防空壕もあります。法要のあとみんなでお墓にお参りし会食となりました。 私の母の実家になりますが母は7人兄弟の末っ子私は従兄妹のなかでも末席に連なります。お気楽な立場ですっかり楽しんでしまいました。従兄妹の年長は80歳です。母の世代はどこも兄弟が多く親戚もたくさんですが次の世代の子供の数は半減しています。こうした集まりもしだいに少なくなっていくのでしょうか。私たちの世代になると子供の数は 3人いれば多い方独身の方も増えてきます。3回忌、7回忌などの行事も家族だけで行うことが増え、親戚一同が会することもなくなってしまうのかとさみしい気持ちになってしまいます。親戚づきあいより友人づきあいに花咲く昨今これもしかたがないかと思いますがまだまだ血のつながりが感じられるうちはこのお付き合いを大事にしようと思いました。今のところみんな私があまりに母に似ているので驚いてくれてます。
昔のように隣近所が助け合って農作業を行うこともなくなりました。私たちの世代の人たちは親の残したものを守りながらサラリーマン生活をしています。それぞれ介護や健康のこと財産のことなど悩みはつきませんが楽しく真摯に生活しています。どうも各種地域の行事がある中で一番のイベントは夏のバーべキュウらしいです。私お誘いいただけることになりました。また防空壕をワインセラーにしようという企みも進行中のようで こちらも楽しみ。
 親戚づきあいもその世代に合わせた工夫をすれば昔そうであったようにひとつの拠り所になるはずです。私の仕事柄「地域」という言葉をよく使いますが「地域」は隣近所だけではないことを実感しました。ほどよい距離を保っていきましょう。お互い助け合うとき信頼の基盤くらいは持っていたいと思いました。もうひとつの拾い物は本家は「浄土真宗」だということがわかった事です。若い背の高いお坊さんの講和はとてもわかりやすく「心の目を開かなければ深海魚の目と同じだ」というお話 その心は「深海魚のように光が届かないと目が退化してしまうから光を受けられるよう願いましょう」「浄土真宗はめざめの宗派」で自我に目覚めるのではなく目覚めさせていただくということが本質です。」ということでした。私はキリスト教ですが「いいお話でした」と感想をもらすと分家のおじさんがキリスト教も親鸞率いる浄土真宗も共通項は「迫害」 だねということで盛り上がりました。
 なるほど このお互いの共通項を見出すことがこうした集まりには大事なことです。おじさん ナイス!
こちら 法然の浄土宗の九品仏境内


バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...