2015年3月10日火曜日

死の淵 あれから4年

死の淵をみた男

 死の淵をみた男は福島原子力発電所 所長吉田昌郎氏のことです。「人の上にたつ」という言葉について考えさせる一冊を読みました。この本はそのとき現場で何が起こっていたかを少しでもあきらかにしたいというジャーナリスト門田隆将氏の思いの結晶ですが同時にあの津波に襲われた原子力発電所の中の出来事を教えてほしいという読者の期待に応えるものでもありました。副題は吉田昌郎と福島第一原子力発電所の500日です。
gigazineサイトから 2011年3月20日 
エアフォートサービスによる空中写真
 当時の官邸、東電、保安院の「上にたつ人」から現場の防災職員・事務職員・その家族といろいろな人に取材し、いい悪いの物差しをあてずそれぞれの立場でなされたことを伝えています。原子力発電所の事態収拾では、情報不足・伝達不足・知識不足・曲解・思い込み・独善と人々が自分の弱さをさらけだして局面を乗り切ろうとした極限の姿が浮かび胸を打ちます。 自然災害では不信・猜疑心すら入り込む隙のないほど突然に猛スピードで襲ってくる脅威なのだと痛感します。 その渦中では自分の判断に迷っている時間は許されません。日頃「人のうえにたって」働いている人はその時さらに多くの人の命を左右する立場にたたされていることを思い知らされその重圧を感じないわけにはいきません。なのに少ない情報、情報の真意さえわからない状況と限られた時間の中で判断・決断をしなければならない。その是非をまた保身に走る姿をだれが評価することができるのだろうかというのがこの著者の読者へのメッセージでしょう。現場の想像を絶する状況に想像力が追いつかないマスコミや人々の安易な非難に対する著者の無言の楔のような本です。年月がたつほどに意味を持つ内容のように思います。
 自然災害時では「人の上にたつ」困難さだけでなく「人の先頭にたつ」ということも同じくらいに困難なことではないかと思います。災害の現場ではだれもが先頭に立ちうることをあの震災が教えてくれています。 人前に出るのは苦手、旗振りはできない。向いていない、男の仕事だなど呑気なことは言ってられません。地震が多い東京では震災グッズをそろえたり地震に備えて住宅を補強したり、避難訓練に参加したり地域の防災訓練に参加したりと被災したときの準備をしようと思えばできる環境が整ってきています。がだれもが先頭に立てる経験をして備えることは災害訓練だけではないと思います。日々の生活の中でも他人に依存しない。自分で考えて行動する。少ない情報でも落ち着いて吟味して判断するというような経験をすることが一人でも多くの人が生き残る手立てになるのではないかと思いました。


 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...