2015年3月2日月曜日

南無阿弥陀仏

寒緋桜(カンヒザクラ)
親戚の法要にでかけました。 春雨の一日でしたが親戚30人ほどが集まり7回忌・23回忌・33回忌のトリプル供養をいたしました。親戚の家は昔からの農家で2つの分家があります。分家とは江戸時代からのお付き合いとか。本家には近頃珍しく敷地内に先祖代々の墓があり防空壕もあります。法要のあとみんなでお墓にお参りし会食となりました。 私の母の実家になりますが母は7人兄弟の末っ子私は従兄妹のなかでも末席に連なります。お気楽な立場ですっかり楽しんでしまいました。従兄妹の年長は80歳です。母の世代はどこも兄弟が多く親戚もたくさんですが次の世代の子供の数は半減しています。こうした集まりもしだいに少なくなっていくのでしょうか。私たちの世代になると子供の数は 3人いれば多い方独身の方も増えてきます。3回忌、7回忌などの行事も家族だけで行うことが増え、親戚一同が会することもなくなってしまうのかとさみしい気持ちになってしまいます。親戚づきあいより友人づきあいに花咲く昨今これもしかたがないかと思いますがまだまだ血のつながりが感じられるうちはこのお付き合いを大事にしようと思いました。今のところみんな私があまりに母に似ているので驚いてくれてます。
昔のように隣近所が助け合って農作業を行うこともなくなりました。私たちの世代の人たちは親の残したものを守りながらサラリーマン生活をしています。それぞれ介護や健康のこと財産のことなど悩みはつきませんが楽しく真摯に生活しています。どうも各種地域の行事がある中で一番のイベントは夏のバーべキュウらしいです。私お誘いいただけることになりました。また防空壕をワインセラーにしようという企みも進行中のようで こちらも楽しみ。
 親戚づきあいもその世代に合わせた工夫をすれば昔そうであったようにひとつの拠り所になるはずです。私の仕事柄「地域」という言葉をよく使いますが「地域」は隣近所だけではないことを実感しました。ほどよい距離を保っていきましょう。お互い助け合うとき信頼の基盤くらいは持っていたいと思いました。もうひとつの拾い物は本家は「浄土真宗」だということがわかった事です。若い背の高いお坊さんの講和はとてもわかりやすく「心の目を開かなければ深海魚の目と同じだ」というお話 その心は「深海魚のように光が届かないと目が退化してしまうから光を受けられるよう願いましょう」「浄土真宗はめざめの宗派」で自我に目覚めるのではなく目覚めさせていただくということが本質です。」ということでした。私はキリスト教ですが「いいお話でした」と感想をもらすと分家のおじさんがキリスト教も親鸞率いる浄土真宗も共通項は「迫害」 だねということで盛り上がりました。
 なるほど このお互いの共通項を見出すことがこうした集まりには大事なことです。おじさん ナイス!
こちら 法然の浄土宗の九品仏境内


2 件のコメント:

  1. 浄土真宗とキリスト教との共通点面白いです。

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  2. コメント第1号 ありがとうございます。宗教の違いばかりでなく共通のテーマも考えていきたいと思っています。

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