2015年3月22日日曜日

地獄八景亡者戯


  桂米朝さんが亡くなりました。これから落語を楽しもうという私には寂しいかぎりです。知っている噺家たちの元気な頃は演芸場に足を運ぶ暇もなくやっと時間ができてきたなと思うことになると次々に鬼籍に入ってゆかれます。「地獄八景亡者戯れ」はNHKの朝の連続ドラマの「ちりとてちん」の渡恒彦演じる師匠の十八番で地獄めぐりをする大旦那の一行を面白ろおかしく語っています。そのストーリーが面白かったので米朝の弟子の枝雀の紙一重的落語でこの噺を聞いたことがあります。これがめっぽう面白かったです。死ぬことにハードルが無くなってしまう錯覚に襲われました。そしてこの古典的な噺を復活させた元締め米朝さんのご供養にと思って昨夜米朝さんの「地獄八景亡者戯れ」を YOU TUBEで楽しみました。11万回アクセスされています。私と同じような気持ちで聴いている方が多かったのでないかと思います。
 この噺 真面目に聴くときわめて不謹慎な噺です。三途の川で死因を聞かれ鬼がそれに値段をつけるというくだりなど病気を抱えていると身につまされてしまいますが、ここは落語大きな心で聞かなくては。米朝さんは当時の病気の数々を取り上げ鬼に勝手に値段をつけさせます。たとえば「肺がん なんぼ 腎臓病はおしっこの病気でんな なら なんぼ」ってな具合です。これが落語じゃなかったら????
 この噺なんと約1時間の長丁場 噺家の体力も試されます。米朝さんもマクラで最後まで自分もいけるか心配だといってみんなを笑わせていました。この噺のように地獄の沙汰も金次第という世相を笑い飛ばす精神はもっと見習ってもいいものと思わされます。

 箸が転んでもおかしかった10代の頃からだいぶ月日がたち身の回りに「笑い」の種が少なくなってしまったように思うこともしばしば 私の小さい頃にはよくラジオから落語が聞こえてきていましたから。テレビの漫才やドラマも落語ネタが多かったように思います。小学校の謝恩会の一人一芸で
私は「寿限無」をやりました。いまだに「寿限無」のくだりは覚えています。友達の一人は「よいとまけ」を歌っていました。戦後20年くらいはそんな時代でした。今戦後70年になろうとしています。
「笑って元気になろう」みたいな風潮も影を潜めてしまっているように思えて寂しいです。
 
 最近は女性の落語家もちらほら目にとまるようになってきましたが話芸は男性社会の義理人情や生活をテーマにしていることが多い点世の中高年男性の楽しみに打ってつけではないかと思います。会社や組織でガチガチになってしまった思考パターンを崩すには女の愛嬌も効果的ですが
話芸で気分転換を果たすのも一策かと思います。演芸場やTVで落語を聞いていると同じところでみんなが笑う一体感は気持ち良いものです。笑いの質も高いような気がします。お腹の底から笑っている声に聞こえます。笑い方も人それぞれですがやっぱりお腹から笑える人は幸せなような気がします。落語の世界は普段の生活の世界です。普段自分たちの生活で感じていることを言葉にしてくれるありがたさがあります。落語が絶滅危惧種と自虐に陥らず生き残っていってほしいと思ってます。

 米朝さんの一番弟子のざこばさんが「上手に死ぬというのはこんなにきれいなもんなんか」と
米朝さんの最後をテレビのインタビューに答えて涙を詰まらせて話されていたのが心に残りました。私も人間国宝にならなくてもいいのでそうありたいと思います。
 米朝さんのご冥福をお祈りします。

 

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