2016年5月31日火曜日

就職氷河期女子大生の40年


自分を「女子大生」という枠組で考えるのは求職活動の時期くらいではないかしら?と大学卒業40周年の集いに参加して思いました。今どきの「女子大生」も求職活動では同じように「女子大生」という壁に阻まれているのでしょうか。40年前には「大卒の女子ができる仕事」がまだ?だったので男性が多い職場や製造業・流通は女子大生を敬遠しました。金融・マスコミ・商社・公務員・教育などに活路がありましたが大学の就職指導も男子学生に力をいれるので女子は後回し。自力や教授の紹介に頼るしかなかった時代です。氷河期とはいうけれど女子の就職活動の難しさはそのときに始まったことではありません。昭和28年前後は出生率も低かったので女子が少なかったことも拍車をかけました。
 就職氷河期と世間で騒がれていたにも関わらず私はのんびりしてました。卒業論文や卒業単位を取るので精いっぱい。卒後40周年の集いで同じクラスだった友達たちと昔話に花を咲かせることができてなによりでした。たしかその前は卒後25周年だったから15年前。求職活動をせず卒論を一生懸命やってたわりには講義やサークルのことで思い出せないことが多かったなあ。その話を聞いて妹は「お姉ちゃんは大学時代は楽しい思いばかりだったから」と僻んでいましたが。片思い・失恋・片思い・失恋を繰り返していて何が楽しかったのかなあ。って自分では思いますが。人の心なんて見た目じゃわからんよ。
 見た目じゃわからん。昔話に花を咲かせた友達の一人一人が氷河期を乗り越え仕事をし、家庭をもち、子育て・親の介護に奮闘していました。孫や家族に向き合いながら生活に没頭している姿は頼もしいかぎりです。約1名参加の男子はきっとおばさんたちに圧倒されて帰路についたかもしれませんが。それはにぎやかな会でした。同窓会で集まるのはやはり同学年、一緒に勉強したり遊んだりした友人たちです。還暦を過ぎると急にこうした機会も多くなります。論語では60は耳順
「耳に従う」意味は素直に人の話に耳を傾けられるようになるという意味のよう。なるほどにぎやかといっても我も我もという騒がしさではありませんでした。自分の話を優しく聞いてくれる耳がたくさんありました。そういう環境って自分の思い込んでいる記憶を少し離れて回想する機会にもなりますね。40年を数時間で振り返ってしまう経験はそう簡単にはできません。就職氷河期女子は しっかり氷河期を乗り越えています。いずれ会う友達も限られてくるのだから会えるときには会っておこう。健康寿命75歳を考えると友達に会いに出かけられのも後10数年です。
 

2016年5月27日金曜日

孫一 崖っぷち

 孫一 崖っぷち

 連休あけから孫一君は お母さんと近くのスポーツセンターに通い始めました。今日は3回目。出がけから、気配を察知。ぐずぐずの孫一君 お母さんはここが大事と孫一をだましだましスポーツセンターへと向かいました。あやうく孫一のぐずぐずに折れてしまいそうになったお母さんでしたがなんとかスポーツセンターにたどりつきました。えらい!! 毎回ぎゃんなきの孫一君。それでなくても目立つのに体格では一番大きく泣き声はプール中に響きわたっていることでしょう。お母さんの肩身の狭い思いはつのるばかりです。
 はてさて 今日も更衣室では「ママ~」「ママ~」「ダメ―」「ダメ―」とギャンギャン。「また来てるよ。あの子 今日はどうするかな?」とスイミングばあちゃんたちが耳をそば立てています。とそこへ指導員のお姉さんが「ママをたべちゃうぞ」と孫一君に迫りました。それまでママにしがみついていた孫一 今度はママに向かって「ママ 待ってて」「ママ ここで待ってて」と「僕 いってくるからママを食べないで」とお姉さんにすがるようについてプールに入っていったそうです。このままではママがたべられちゃう。ママを守らなくてはと勇気を振り絞ってプールに入ってゆく後姿にお母さんはウルウル。ラインで私に報告してくれました。「でかした!! 孫一」
 「この1週間でこの子成長したねえ。わたしゃ知ってるよ。」とスイミングばあちゃんがお母さんにエールを送ってくれたそうです。水中ウォーキングに励むばあちゃんたちとハイタッチしてプールをでた孫一。「来週もいくぞ」と固く誓うのでした。
 


がんばれ 事件記者!



 沖縄で夜間ウォーキング中の女性がアメリカ人の男性に襲われる痛ましい事件がありました。新聞記事では加害者の男性は翌々日に逮捕されたことを伝えていました。薬物を大量に飲んで救急搬送、退院後さらに飲酒を重ね逮捕時は義父に抱えられていたという記事でした。サミットで来朝されたオバマ大統領もこの事件に触れ被害者を悼みました。今日の新聞には加害者はアメリカ軍属の男性、動機は黙秘ということになっています。
 被害にあい死亡された女性 その家族のことを思うといたたまれません。ご冥福をお祈りするばかりです。若い女性を家族に持つ私も他人事ではありません。娘どもよ。夜間出歩かないでほしいと願います。
ブログの表題を「がんばれ 事件記者!」としました。 沖縄では米軍関係の事件が続いています。日本の政治家もこぞってアメリカ大統領に在留米軍の規律を守るようにと訴えています。もっと踏み込んで加害者の背景の取材の結果は報じられないのでしょうか。新聞や雑誌がこの事件を政治の材料で終わらしてしまってはいないでしょうか。
 婿がアメリカ人のこともありこの事件のことを聞いてみると彼は日本の新聞でクローズアップされない情報を使って意見をいいました。「加害者は軍人ではない。アメリカで日本人女性と知り合い彼女が妊娠したため生活基盤を日本にもつために来日していた。仕事を探していたのだろう。言葉がわからず文化も違う地域での生活で彼は追い詰められていたはずだ。経済的にも精神的にも苦しかったと思う。」と
 人が死ぬということ、人を殺すということはとても大きなエネルギーが必要なことです。だれでもそれだけのエネルギーをもって生きていることを気づかせる婿の話でした。
この話を聞いてから加害者の背景の取材をもっとしてほしいと思うようになりました。駐留軍に関わる人たちが何を考えなぜ追い詰められるのか。なぜ弱いものを攻撃するのか。なぜ繰り返すのか。同じ事件を繰り返さないためには加害者が殺人にいたった背景の取材に力をいれるべきです。若くして命を絶たれた女性は「なぜ殺されたか」を知る権利があります。「米軍が駐留しているからこういう事件がおこるのだ」では米軍がいなければ事件はおこらないということになります。その議論だけでは被害者が置き去りにされてしまうのではないでしょうか。殺人は人間の根源にある問題をはらんでいます。 駐留軍という文化の中で生活する者の問題に踏み込めなければいつまでも痛ましい事件を解決することはできません。情報過多の時代だからこそ冷静に粘って事実を探り報じる姿勢を新聞には期待します。新聞がかつて「悪魔のささやき」になってしまった反省を思い出してほしいと思います。事件記者よ。がんばって!

 

2016年5月20日金曜日

2歳半の鯉のぼり






 孫一はすっかり大人になっています。昨年の連休では抱っこされて鯉のぼりを見ていたのに今年は 100円ショップの店頭を飾るたくさんの鯉のぼりを抱きしめて「欲しい、欲しい」と大泣き。空高く泳ぐ鯉のぼりは「とってほしい」と駄々をこねる始末。なんでも「ダメ―」ダメダメ期まっただなかだけど「鯉のぼり」はOKの孫一。伸長95cm、体重15kgの2歳半となりました。保育園は一番大きなリンゴ組。遊びも変身ごっこ。孫一のお気に入りはなぜかドラえもんのしずかちゃん。おばあちゃんはあわてて「孫一は男の子だよ」とたしなめますが孫一は気にすることなく「ふ~ん ピンクかわいいね」だって。


インディアンテント ティピー

連休にはキャンプを体験しました。インディアンのティピーテントで一泊、新緑に囲まれてバーバーキューを楽しみました。やっぱり男の子です。 お父さんについて野山を探検にゆき薪に火をつけるのを手伝おうとしました。さすがにしずかちゃんにはならずおばあちゃんとランタンを担いで「里山にいってきま~す。おばあちゃんはこっち」と指図をします。体格のいい孫一はきっと保育園の外遊びではいつも最後尾を固めているのでしょう。
機関車 孫一
 孫一は人懐こいようで同じキャンプに来ている子供たちに興味津々。やっと毛虫を介してとなりのテントの小さな姉妹に近づくことができ楽しそうに一緒に毛虫をつついて遊ぶことができました。家にはカブトムシの幼虫4匹のビートルズが孫一の帰りを待ってます。楽しい楽しい2歳半 おばあちゃんは血圧計を片手に大サービスの連休となりました。
謎のグランマ キャッスル


銀座の「黒い雨」

私は作家のステレオタイプな運動が見えてくる作品が好きです。繰り返される単純な運動の中に無限の力と命があるような気がするから。単純な作業の連続にみえるけど決して画一的にならず気持ちのゆらぎが手に伝わり微妙な綾をみせてくれるからです。大坪さんの今回の作品は細長い新聞をこよりのように撚ってゆく作業。真ん中がわすかに膨らんでいる細長い生き物にも見えるモノがこれまた目に見えないほどの糸で天井から床まで1連につなげられています。そのいくつかは黒く塗られていました。白と黒が簾のように壁面に沿ってつりさげられた作品は窓際で雨をみているような錯覚に私を陥らせ、いつまでも見て居たい気持ちにさせられます。私はこの作品が製作された背景を聞かせていただいてびっくりしました。大坪さんは この作品は「黒い雨」に着想を得ていると言われました。広島に原爆が投下された後焼けた大地に降り注いだ放射能に汚染された雨からフクシマにふる雨へとイメージされたそうです。
 この作品の対面の壁にはシンプルな額装の小品が並んでいます。新聞紙にしみこむように張り付いた葉、そして 人間。どれも朽ちるのではなく溶解してゆくような姿をとどめていました。葉は葉脈を人間は骨格が不完全な姿で平面の片隅に残されています。額ではなく箱の中なのかもしれないと思いました。どこかヨゼフ・コーネルの作品を思い出させるものがあります。画廊の奥の小さなスペースで鉛に閉じ込められた種が並んだ箱をみました。もしかしたら作家が今回の製作の中で一番苦労したものではないかしら。
作家から「種です。」といわれるまで何の形だかわかりませんでした。こちらには命が閉じ込められています。「痛い!」と瞬間感じました。
 今を生きている作家は何を感じ何を表現しようとしているのかと私は好奇心に任せていろいろ見ますが大坪さんの作品にはどこか「痛み」を共有したいという波動があるように思います。
大坪美穂個展カードから 風しものゆくえ 蜜蝋画
 世界のどこかで起こっている戦争、国を追われる人たち、人災に傷つき、天災に見舞われる人たちの痛みをわかちあう術はほんとうにないのでしょうか。大坪さんの作品はひとつの回答を投げかけてくれているように思いました。

 外に出るとそこは銀座4丁目交差点 初夏の日差しがまぶしかった。

大坪美穂展ー沈黙の庭ー 5月6日から14日まで
 
於:ギャルリ・プス 

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...