自分を「女子大生」という枠組で考えるのは求職活動の時期くらいではないかしら?と大学卒業40周年の集いに参加して思いました。今どきの「女子大生」も求職活動では同じように「女子大生」という壁に阻まれているのでしょうか。40年前には「大卒の女子ができる仕事」がまだ?だったので男性が多い職場や製造業・流通は女子大生を敬遠しました。金融・マスコミ・商社・公務員・教育などに活路がありましたが大学の就職指導も男子学生に力をいれるので女子は後回し。自力や教授の紹介に頼るしかなかった時代です。氷河期とはいうけれど女子の就職活動の難しさはそのときに始まったことではありません。昭和28年前後は出生率も低かったので女子が少なかったことも拍車をかけました。
就職氷河期と世間で騒がれていたにも関わらず私はのんびりしてました。卒業論文や卒業単位を取るので精いっぱい。卒後40周年の集いで同じクラスだった友達たちと昔話に花を咲かせることができてなによりでした。たしかその前は卒後25周年だったから15年前。求職活動をせず卒論を一生懸命やってたわりには講義やサークルのことで思い出せないことが多かったなあ。その話を聞いて妹は「お姉ちゃんは大学時代は楽しい思いばかりだったから」と僻んでいましたが。片思い・失恋・片思い・失恋を繰り返していて何が楽しかったのかなあ。って自分では思いますが。人の心なんて見た目じゃわからんよ。
見た目じゃわからん。昔話に花を咲かせた友達の一人一人が氷河期を乗り越え仕事をし、家庭をもち、子育て・親の介護に奮闘していました。孫や家族に向き合いながら生活に没頭している姿は頼もしいかぎりです。約1名参加の男子はきっとおばさんたちに圧倒されて帰路についたかもしれませんが。それはにぎやかな会でした。同窓会で集まるのはやはり同学年、一緒に勉強したり遊んだりした友人たちです。還暦を過ぎると急にこうした機会も多くなります。論語では60は耳順
「耳に従う」意味は素直に人の話に耳を傾けられるようになるという意味のよう。なるほどにぎやかといっても我も我もという騒がしさではありませんでした。自分の話を優しく聞いてくれる耳がたくさんありました。そういう環境って自分の思い込んでいる記憶を少し離れて回想する機会にもなりますね。40年を数時間で振り返ってしまう経験はそう簡単にはできません。就職氷河期女子は しっかり氷河期を乗り越えています。いずれ会う友達も限られてくるのだから会えるときには会っておこう。健康寿命75歳を考えると友達に会いに出かけられのも後10数年です。