2016年5月20日金曜日

銀座の「黒い雨」

私は作家のステレオタイプな運動が見えてくる作品が好きです。繰り返される単純な運動の中に無限の力と命があるような気がするから。単純な作業の連続にみえるけど決して画一的にならず気持ちのゆらぎが手に伝わり微妙な綾をみせてくれるからです。大坪さんの今回の作品は細長い新聞をこよりのように撚ってゆく作業。真ん中がわすかに膨らんでいる細長い生き物にも見えるモノがこれまた目に見えないほどの糸で天井から床まで1連につなげられています。そのいくつかは黒く塗られていました。白と黒が簾のように壁面に沿ってつりさげられた作品は窓際で雨をみているような錯覚に私を陥らせ、いつまでも見て居たい気持ちにさせられます。私はこの作品が製作された背景を聞かせていただいてびっくりしました。大坪さんは この作品は「黒い雨」に着想を得ていると言われました。広島に原爆が投下された後焼けた大地に降り注いだ放射能に汚染された雨からフクシマにふる雨へとイメージされたそうです。
 この作品の対面の壁にはシンプルな額装の小品が並んでいます。新聞紙にしみこむように張り付いた葉、そして 人間。どれも朽ちるのではなく溶解してゆくような姿をとどめていました。葉は葉脈を人間は骨格が不完全な姿で平面の片隅に残されています。額ではなく箱の中なのかもしれないと思いました。どこかヨゼフ・コーネルの作品を思い出させるものがあります。画廊の奥の小さなスペースで鉛に閉じ込められた種が並んだ箱をみました。もしかしたら作家が今回の製作の中で一番苦労したものではないかしら。
作家から「種です。」といわれるまで何の形だかわかりませんでした。こちらには命が閉じ込められています。「痛い!」と瞬間感じました。
 今を生きている作家は何を感じ何を表現しようとしているのかと私は好奇心に任せていろいろ見ますが大坪さんの作品にはどこか「痛み」を共有したいという波動があるように思います。
大坪美穂個展カードから 風しものゆくえ 蜜蝋画
 世界のどこかで起こっている戦争、国を追われる人たち、人災に傷つき、天災に見舞われる人たちの痛みをわかちあう術はほんとうにないのでしょうか。大坪さんの作品はひとつの回答を投げかけてくれているように思いました。

 外に出るとそこは銀座4丁目交差点 初夏の日差しがまぶしかった。

大坪美穂展ー沈黙の庭ー 5月6日から14日まで
 
於:ギャルリ・プス 

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