2016年8月15日月曜日

8月15日の花森安治と田中角栄

皇居外苑 今
  炎天下の皇居前広場に花森氏
はいた。そのとき37歳だった
と書いています。 田中角栄 27歳
  戦後の日本を引っ張ってきた世代
の代表格の2人です。今年はNHKが
この二人を取り上げています。花森
安治は朝ドラの準主役の花山さん
のモデルとして 田中角栄氏はNHK
スペシャル昭和未解決事件ロッキ
ード戦後最大の疑獄事件の主役と
して「 田中角栄」についてはすでに
巷でも再評価ブームが起きています。
   バラエティやグルメ旅、ドラマや
ニュースなど多種多様な番組の中
この二つの番組にメディアの隠された意図を感じるのは私だけでしょうか? 何事も振り返るのは大事。時が経って見えてくるものあり です。特に還暦の私にはこの二人の社会に果たしてきた役割や仕事が懐かしく感じられます。
「暮らしの手帖」は家にありました。りんご箱も重宝してました。部屋の模様替えや手作り
洋服に執着があります。一方大学生の頃、紀尾井町の福田屋にお出ましの角栄さん
に群がる報道陣に遭遇。ヘリコプターが児玉邸に墜ちて事件がおこり自分の家の近くに
丸紅ロッキードラインがあることがわかり 政治の世界が一挙に身近になりました。
   なぜ 今その時代?  この2人の共通項はなんだろうと考えるとそれは 敗戦日8月15日
ではないかと思うのです。37歳と27歳 が受けた敗戦という事実  焦土と化した首都 原爆
投下 天皇の人間宣言、二人とも平和な時代であれば心身ともに充実期を迎えるはずの
年頃です。今私たち還暦組の親はその二人の世代です。物資が不足する中焼野原で家
庭をもち生活を始め社会の復興の担い手になった人たちでした。昭和28年には、テレビ
が誕生し戦後の苦しい生活から社会にやっとめどがたってきた頃です。遺伝子が伝える
のでしょうか私にも8月15日は特別な日という思いがあります。.  花森安治が書いているよ
うに戦争の前線に立った人たち、それを支えた家族にはこの日は「終戦.」です。「負けたん
でしょ」と他人事のように言える世代には「敗戦」でしかありません。.日本語は微妙な立場
の違いを写します。
   そして「敗戦」組の役割は 当時の出来事を多角的に明らかにすることだと思うのです。
私も含め日本の文化は「和を以て貴しとなす」という世界に類を見ない価値観を持てる国
と思います。あいまいさも大事ですが何と何の和なのかを説明することをもとめられている
ときそれに答えられているだろうか?と考えざるをえません.
 「終戦」組との世代交代はすすみ「敗戦」組の時代です。戦争を生き残ってきた人たちの
活力に比べたら「敗戦」組はどこかひ弱です。「戦争を知らない子供達」は頭でっかちで
被害者意識が強く自己評価が低い。」って言われます。それは仕方がないと近頃は思う
ようになりました。しかし戦争に替わって震災や犯罪、倫理観を揺さぶる科学技術の
進歩・清濁入り乱れる情報の洪水、それはそれで重くのしかかってきています。。
   「暮らしの手帖」のコンセプトは神格化した天皇という存在が消えた国民が二度と戦争
の轍を踏まないために守るべきものを持つことにありました。。.守るべきは天皇でなく
自分の暮らし、 その暮らしを豊かにすることが戦争をしないことになると花森氏は考え
行動したのです。たしかに当時の夢は実現し暮らしに物が溢れ豊かになりました。
戦後70年、その暮らしを見直して豊かさのバージョンアップを図りたいところです。
物が溢れること・自分の満足・経済的指標だけが豊かさでしょうか? !
「暮らし」が「暗し」にならないよう。ねっ 安倍さん!!

  
 

皇居前広場の松並木

2016年8月12日金曜日

おばあちゃんの「ジャングルブック」と夏の孫一 

 この夏のビッグムーヴィーはなんといっても「ジャングル ブック」だとおばあちゃんは思ってる.。映画館に連れ出すには未知数の孫一を置いておばあちゃんは一人映画館に向かいました。
 まだ孫一は、映画館というものを知りません。映画館でみると映画の世界にどっぷりつかれます。還暦組は、映画世代でもあります。強い刺激は映画館でと思います。テレビやスマホの小さな世界で満足するほど人間が小さくありません。2歳の孫一にはジャングルブックの映像は刺激的でしょう。毎週行っている動物園の動物たちと話ができると思っても不思議ではありません。オオカミに近づいてしまうかもしれません。主人公モーグリの冒険と自立の映画はいづれ見る機会はあるでしょうから今日はおばあちゃんだけの楽しみにしようと思いました。長女は、たしかに5歳だったと思いますが職場と保育園に仮病を使って休み「オズの魔法使い」を見に行行きました。ドロシーのような女の子になってほしいと思ったかどうか定かではありませんが初めて親子で見る映画というのは少し思い入れがあるでしょう。ちなみにこの長女 は小学校4年のとき「ボディーガード」を父親と見ています。不思議だ。相手が違うだろう。と私は思っていますが.? それはさておき
作 magoichi 
  夏本番 孫一の生長ぶりは素晴らしく。よく食べ よく寝ます。.帽子を頭に乗せるとひょいとつばを後ろに回して生意気なかぶり方をします。朝いそいそ出かけるママを追いかけて行く姿がなんとも可愛いかぎりです。夜はカブトムシもそっちけでニンニンジャーになりきっておおはしゃぎ。オリンピックが始まり 柔道や体操の選手の技にはさすがのニンニンジャー孫一も驚愕! 「孫一くん できなーい」といいますが言いながらもニンニンジャーのジェスチャーに磨きがかかってきていることは確かです。
  手抜きを知らない2歳9カ月 手抜きばかり考えてるおばあちゃんには新鮮な生き方です。マネが真似らしく なってきています。明らかにアレだろうというマネをします。お母さん、お父さん おじいちゃん お行儀気をつけてね.とおばあちゃんは、 叫びたい.!!
  マネといえば 丸もかけるようになりました。おじいちゃんがアンパンのキャラクターを描いてみせるとじっと見ています。つぎは自分だ。と思うのでしょう画用紙いっぱい の丸ができあがりました。それまでは左右には鉛筆をゆらすだけだったのに コントロールしてる!!!

   「 ジャングルブック」は ウォルト・ディズニーの遺作になった映画です。1967年に上映されました。私はそのとき12歳 私はそのちょっと前1961年ごろテレビで放送されていた「少年ケニヤ」に夢中だったのではないかと思います。「少年ケニア」のようにジャングルを走り回る原っぱが家の周りにいっぱいありました。思いっきり走り回わる快感はコンクリートジャングルで育つモーグリたちにはないだろうなと寂しい気持ちになります。いまどきのモーグリだけでなく足元にあやしさを覚えるおばあちゃんにも「ジャングルブック」は動かずして走る身体感覚を思い出させてくれる楽しい映画になりました。

2016年8月8日月曜日

忙中閑 2016

   CDジャケットから 
  サラリーマンの生活から離れて早3年やっと年金生活になりました。が左団扇の隠居生活とは縁遠い日々を送っています。
  毎年この頃になると蓼科フォーラムで開催される小林研一郎音楽事務所企画のレクチャーコンサートのお誘いを受けます。蓼科なので宿泊をして楽しむことになりますので忙中閑の贅沢な暑気払いです。
  レクチャーコンサートの楽しみは若手の音楽家たちの技と小林研一郎さんが指揮者独特の表現と指揮棒で彼らの演奏を指揮者のイメージに引っ張って行く姿を身近に感じられることです。
  小林研一郎さんは急所をぐっと抑えて優しい言葉で褒めながら演奏方法を提案します。「自分で考えろ!」なんて少なくとも聴衆の前では言いません。自らもピアノ演奏をよくされる小林さんだから演奏の難しさや求めていることの高さがわかるのでしょう。
 指揮者は時としてリーダーシップを考えるときのシンボルに挙げられます。リーダーシップに不可欠な信頼を得るというのは相手の言葉で語るということなのだとこういう場面をみると気づかされます。
 今回は「タンホンザー」序曲ワーグナーの名曲です。オーケストラの演奏では要求される演奏テクニックが極めて難しい曲の一つと解説されました。ワーグナーの曲は壮大さとヒトラーを思い出させてしまうので最初どうかなあと躊躇していました。
   レクチャーが始まってみると昨年のようにダメ出しで聴衆がストレスフルにならずに聴くことができました。この曲がそうさせてしまうのか小林研一郎さんのサービスでもあったでしょうが。金管楽器を始めオーケストラが奏でる音はナイアガラの滝のように迫ってきて聴衆を魅了しました。音楽はイデオロギーを超えるということですね。
  鳴りやまない拍手に応えてヴァイオリンの瀬崎明日香さん、トロンボーン の藤原功次郎さんが 愛の讃歌と定番になったモンティのチヤルダッシュ などを披露。アットフォームなアンコールもスペシャルでした。レクチャーコンサートは今年限りということもあったのかもしれません。印象に残るコンサートでした。こうして今年も私の夏が始まります。頑張ろう!!!!


メルヘン街道沿いのサラダ野菜専門店から蓼科の空





ウルフ逝く  千代の富士

ウルフ 土俵入り
北の湖の訃報の記憶もまだ新しいのに千代の富士の訃報をきくことになってしまいました。
    同世代の代表的存在を失うのはなんとも寂しいかぎりです。私たちの世代は戦後に生まれ高度成長期の社会の中で親共々振り回されて育ってきました。今のように多様な文化や価値観が許される社会と違い「 どっちか選べ!」の時代を生き抜いてきたような気がします。生きるか死ぬかから 嫌いなものを食べるか 食べないか?結婚か進学か  働くか嫁入りか?遊ぶか勉強か?どの年齢になっても2者択一でものを考えていた記憶があります。それだけに緊張しないと考えられないタイプの人も私たちの世代は多いのではないかと思います。
  優柔不断で決められないタイプだった私が好きなものから食べ、リラックスや気分転換や楽しみに後ろメタさを感じなくなったのは結婚したころからだったと思います。このままいったら子供や家族や職場に使い古されてしまうという危機感が現実のものになってきてからでした。
 それはさておき 北の湖と千代の富士2人の相撲取りの人生も私たちの世代を写して面白いです。基本に忠実 四つに組んだら圧倒的な強さの横綱相撲の北の湖 小柄な体格を引き締まる筋力と技でバージョンアップさせた取口の千代の富士、引退後 北の湖は相撲文化の継承者を全うし千代の富士は、親方として後進を育てることもろもろを楽しんだと聞きます。
  今 千代の富士タイプの楽しんでなんぼを選択する時代になってきています。効率よく能力を発揮することも当然の時代です。千代の富士はイケメンでスマーで土俵を降りても勝負事から離れられなかった相撲取りだったと思います。 しかし両横綱とも忘れてはならないのは、地道な練習に耐え百戦で鍛えたメンタルとピカッと光るセンスではないでしょうか。引退後の人生、過去の栄光に振り回されることもあったかもしれませんが自分らしく切り開いていったのではないかと偲ばれます。同世代として早すぎるお二人の死ではありますが誇らしく思ってます。ご冥福をお祈りします。


今年の名古屋場所で

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...