2017年11月27日月曜日

One Day Trip Gifu


岐阜公園入口から見た五重の塔


金華山ロープウェイから岐阜市内

長良川眺望
岐阜城の石垣

僕は4歳

孫一は4歳になりました。 110cm、17kgです。手も足も大きい4歳。保
育園でもひときわ目立つ男の子です。なりたいものは「ニンジャ」。ママは何を
おいても一番好き。着替えはバッチリ独り立ち。小さなボタンも大丈夫。たたむの
はどうかな? 縦に並んだ衣装ケースの4つの引き出しを上から顔、胴体・足で立
ちながら同時に押し込む技をもっています。
 朝はNHKの「花がっぱ」で目覚め、「ピタゴラスイッチ」でご機嫌を直し、
食卓へ夕食は、口うるさいおじいちゃんの前から皿をもって消え、ソファーの後ろに
自分で作ったマイルームで孤食。もちろん完食。
 お絵かきや象形文字をならべ、呪文を
となえています。ときどき壁に向かって
胡坐をかき、しきりに頭を下げるのは
何のまね?
 自分でやってみたい気持ちも強く
なりました。その分自分のことが話題
になっていると耳をダンボにして聞い
ています。少しでも大人が笑い声
をあげると大きな声で泣いてしまうのは、
少々自意識過剰だよ。孫一さん!
 誇らしげに指を4つだして
「僕4歳」
じゃんけんにいたっては「おばあちゃんは
グーだしてね」と指令をだし自分はパーを
だします。 チョキでもだそうものならとびかかってきますよ。
 朝「おなかいたい。おなかいたい」と
ごろごろして食事をいやがってみせるのにママの
耳元で「僕 パンならたべられるよ」だって。かけひきをします。
 そういえば 今朝出がけにはさみを使って何かを夢中できっていました。
帰ったらゴミ箱をのぞいておきましょう。気になる4歳です。
 
 
 
 

紅葉狩り 東山公園




ああ! 戦友

戦友というのはおこがましいですが・・・・ 
戦地は共働き、子育て最前線。30数年前は女性が働くには
まだまだ厳しい環境でした。
 バギーの乗車拒否、子連れ入場制限、アレルギー食などなど
子連れで外出すれば障害の数々。まして働き続けるとなれば
産休、育児休業と休職中の手当、0歳児保育所探し、
保育所の公認可の運動、学童保育の家や指導員さがし、
と仕事や家事以外に解決しなければならない日常の問題がやまほど
ある時代でした。
 大卒女子学生の就職は氷河期と言われる反面、女性の社会での
役割も大きくなってきた時代でもあります。良妻賢母教育の
賜物のような私も親元を離れ新しい家族をもつようになりました。
良妻賢母教育の割には家事・行儀見習いの経験の乏しい私には
家庭外の方がやりがいが感じられていたのかもしれません。
 戦友は、私にさきがけそれこそ子育て最前線に立って育児休業に先鞭をつけ
私には0歳児保育所を紹介され、学童保育立ち上げに邁進されながらも
組織の中で重要な仕事を担っていました。学童保育所立ち上げに苦労話を
本人から聞くまで気がつかなかったほど鮮やかな仕事ぶりでした。
 彼女が上等兵、私は少年兵といったところ、戦場に当てはめる
のはどうかな?と思いますが毎日に必死で明日が見えない日々を過ごすという
緊張感は人それぞれです。 これが私の最初の戦争体験でありました。
彼女の投げるボールを必死に受け止めることで仕事と矜持を身に着けることが
できたように思います。彼女が異動になってからも組織の中で自分の役割を
まっとすることができたのはタグを組んでくれた彼女のお蔭です。
 人が亡くなって気が付くものがたくさんあるように思います。両親や
祖父母たち、若くして死んだ友人たちも私の中で生きていることが実感できます。
彼女もまた同じように私の中で復活してくるように思えてなりません。
 享年 67歳 深く優しい思いやりと強さを持ち、毅然とした態度のとれる女性でした。ご冥福を心からお祈りします。病床の彼女から最後に投げられたボールはしっかりキャッチしましたよ。みててくださいね。

2017年11月18日土曜日

富士よ!

 
 九州場所が始まった と思うまもなくの横綱の暴行事件報道。酒の席 、スマホから
目が離せない若手力士、 聞く耳を持たないと切れる先輩 、 強打されても大丈夫と
出勤してしまう過信 、時間外の出来事は上司に報告する必要なしの身勝手な判断
 など 加害者、被害者ともに九州場所前の緊張感とは無縁の出来事に相撲ファンは
呆気にとられるばかりです。
  社会的影響力のある人の暴行事件の報道はとかく バッシングで炎上し、世論は
排除する方向に流されて終結になりますが、同じような事件が繰り返えされる
ということはバッシングだけでは社会は、変わらないということではないので
しょうかねえ。
   ジャーナリストを自負する方々の見識ある報道を期待しています。記者が
自分の目 耳で集めた情報を右から左へと自分のフィルターを通して情報を流し
早い者勝ちを競うばかりでなく、当事者、関係者の多様な人間関係に踏み込んで
事件に至るまでの経緯を掴んで欲しいとは思います。
 反社会的事件の背景には社会全体の歪みや軋みが見えてくると思うのですよ。

2017年11月13日月曜日

芸術の秋 音楽の秋 心の飽き

秋の夜長 地元で企画されたクラッシック音楽祭にいってみました。2日にわたり
2つの私邸を利用して23人の音楽家が多彩なプログラムを展開しました。私は
日曜日の最後の2つのプログラムです。平井千絵さんのピアノで「セブラックの世界Ⅱ休暇の日々」から「ショパンの泉」「鳩たちの水盤」など4曲と三界秀実 クラリネット、森田昌弘 ヴァイオリン、田中雅弘 チェロ、ピアノ 安田正昭でオリヴィエ・メシアン(1908~1992)の「世の終わりのための四重奏曲」を楽しみ秋の夜長がさらに長く感じられる体験をしました。平井さんの演奏会場と4重奏団の演奏会場が異なるので会場間を歩いて移動。この時間があったので曲想の違うプログラムも無理なく受け入れられました。
 セブラックという作曲家(1872~1921)は知りませんでしたので、明るくおしゃれな優しさが演奏家の持ち味とミックスされ気持ちよい時間を過ごしました。20人ほどの聴衆と演奏家の距離は2mほどで、演奏家の表情や華奢な指先も目に入ってきて目も耳も楽しませてくれました。音楽の仕事をしている人の自室に忍び込んだ猫はきっと贅沢な時間を
過ごしているのでしょうねえ。猫になりたい!

 「男のメシアン」というプログラムだけあり、ミドルエイジの演奏者たちの醸し
出す雰囲気に会場の緊張感が高まります。そして現代音楽の先駆けともいわれる
オリヴィエ・メシアンの四重奏、緊張はさらに高まり最後の弦の音が消えてからの
演奏者と聴衆の沈黙の時間のなんと豊かだったこと。沈黙が自然にとけてゆく瞬間
も美しかったです。
オリヴィエ・メシアンと私の接点は学生時代にまでさかのぼります。面白半分に
受けた米国美術史の先生が神父であり、現代美術家という方でした。70年代後半
の芸術界は活発に古典からの脱皮を重ねていた時代でした。メシアンは長く音楽界
で活躍し鳥の声や色彩や宗教をテーマに作曲、演奏を貫いていました。私の美術史
の先生はメシアンを高く評価されていて熱く語られ、演奏を聞かせてくださいま
したが私は?????。
 のちにジョン・ケージ、高橋悠治の演奏や曲に興味を持つことができたのは
その授業のおかげでしょうか。
 家にかえってからメシアンをYOU TUBEで探して聞いてみました。
がやはりあの臨場感の印象に勝るものではありませんでした。そういえば学生時代
にはこの手の音楽にCDなどはなくライブしかありませんでしたね。それを探して
出かけてゆくのは田舎のネズミにはすごい冒険だったことを思い出しました。
 
 



バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...