2019年2月22日金曜日

軒端の梅 蘆花恒春園

徳富蘆花の裏庭の白梅
 謡曲「東北」の梅の木は和泉式部が愛しました。この庭の梅の木を愛でたのは、徳富蘆花夫妻。環状八号線沿いの芦花公園は、
徳富蘆花の母屋
徳富蘆花が田舎暮らしをしていた場所です。時は明治40年、私のおじいちゃん、おばあちゃんが所帯を持った頃です。同じ頃蘆花は奥さんを連れて都心から田舎暮らしにあこがれて移り住んできました。

母屋と書斎をつなぐ白い廊下


梅花書屋から庭を見る
この頃の晴耕雨読の生活を蘆花は「みみずのたわごと」に書いています。
   慣れない田舎暮らし、田畑の仕事に手を焼き、周辺粕谷村20余世帯のと
   の付き合いを悩ましくも楽しんでいる蘆花夫妻の生活が当時の日本語で
   書かれていて面白い。蘆花は、「みみずのたわごと」を徳富健次郎という
   本名で出版しました。「明治時代一世を風靡した「不如帰」の作者は、
   こうして素の自分を取り戻したわけだ。」
    環状八号線の喧騒、田畑を守った20余世帯はその数百倍に、都心
   から歩いて帰るのに、半日もかかったのが芦花公園駅まで都心から急行で
   30分もかかりません。どんどん都心は広がり、東京から田舎が消えた。
   
  
    
   

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