2019年8月27日火曜日

日本の8月

熟したアバシゴーヤ(沖縄)
8月もあと一週間。8月は、なぜか日本人であることを強く意識する月のように思います。
 毎年、8月の始まりは、1日ではなく長崎、広島の原爆投下日だからです。私は、戦争を知らない世代ではあっても親の戦争の記憶をうっすらと感じながら育ち、中学・高校時代の反戦の授業は、記憶に残るものでした。
 今年印象に残るものは、NHKラジオの朗読の時間 菊池寛の「満鉄外史」全40回*15分、「平和式典の天皇のお言葉」、NHK・TVで放映された初代宮内庁長官 田島道治の昭和天皇「拝謁記」。そして8月下旬には、終戦まじかのミンドロ島に補充兵として従軍した作家大岡昇平「野火」を読みました。
 菊池寛は、異国の地で国益のため懸命に働く満州鉄道社員を敬意をこめて書きました。その後の満鉄の歴史を知る私には、草創期の気概というものが、一瞬であってその後は私利私欲、既得権益、パワーゲームになってしまうのだなあと思え、戦前のエリート日本男児の姿は虚勢を張っているように見えました。
 大岡昇平の「野火」は、戦場で追い詰められた日本男児が、日本という国と無縁の「人間」として生きていました。「日本」から開放され、生きのびることで精神を病んでしまう結末ですが、現地人と同胞の殺人、カニバリズムの選択を迫られた記憶を抹消しようとする主人公は、戦争を体験した世代だけでなく戦場に行かない、平和な生活を享受している私の中にもなにか居心地を悪くするものを感じさせました。
 日韓の歴史問題の両国の態度の違いが平行線をたどる中、NHKの天皇「拝謁記」は、
戦争責任を考えなおす手がかりになったと思います。天皇の「反省」という言葉は何を
意味していたのでしょうか。原爆の悲惨でしょうか、異国で国益のために一生をかけた
青年たちでしょうか。前線で作戦も武器もなく飢餓と恐怖と人間性を失うことと戦う兵士たちでしょうか。
 「拝謁記」の中で、「反省の言葉は、天皇の責任問題に火をつけてしまう。今はその時期でないので削除願いたい」という吉田首相の大いなる忖度の記述に、唖然としました。今も変わらぬ為政者の忖度体質。あの時、真摯に天皇が反省のお言葉を発していたら国民はどうしていたでしょうか。戦争のダメージからの復活はもっと時間がかかったかもしれませんが、虚勢を張らず、アジア文化圏らしい国造りも可能だったかもしれないと思うのです。
 それを選択しなかったので、日本に天皇家があるかぎり、戦争慰霊の旅を続けられるべきと思います。令和の天皇のお言葉にも「反省」の言葉があり、お父様からの意志が
伝わっていることが感じられほっとしました。安部さんは、もう忘れてしまいましたか?あえて言いいませんか。その心やいかに?

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