2014年4月18日金曜日

苦境でわかる私の限界

朝のニュースでボストンマラソンのテロ事件から1年の町の様子やテロには負けないという市民の意気込みを伝えていました。「苦境でわかった私の限界」はそのニュースの中で爆破により足を切断しリハビリに取り組む女性の発言でした。その女性は理不尽な被害にあったこと、足の切断という現実を人生の途上で抱えることになりました。その瞬間まで誰がそのことを予測することができたでしょう。それを思うと明日は我が身と思わざるをえません。
 私も60年の人生で何度も自分では苦境と思う状況を経験してきました。彼女のいうように確かにそのときに思わぬ知恵を発揮することができ出会いを得ることができたように思います。だから彼女の言葉が痛いほど心に残りました。もう一人被害にあい苦しい1年を過ごした女性は
「私にはこんなに力があったのだという知ることができた」と言っていました。なんと前向きな人たちでしょう。それだけに彼女たちの身に降りかかった理不尽さや痛みが想像されます。
 このニュースは力強く復活したボストンの様子を伝えるものでした。いまだ打ちひしがれて生活を立て直せない人たちは山ほどいるでしょう。ニュースは1面にすぎません。が苦境が人にいろいろなことを考える機会をつくりその人の人生を深めたことは確かのようです。苦境に立たされたことのない人はひとりもいないでしょう。テロや戦争のない社会をめざしつつも巻きこまれてゆく現代です。そのときになってみなければわかりませんがもし生き永らえることができたら「私」も彼女たちのように振り返えることのできる人間であってほしいと願います。 しかし どうかな? このヤモリのように尻尾をつままれて遠くに飛ばされてしまったら・・・。飛んでゆくヤモリは何を考えるのでしょう。「ヒエー」 か「鳥になったか?」「人間ども!!」 3択とすれば今の私は「鳥になったか?」と思うでしょうね。ここが対岸の火と思っているお人よしのお人よしたるところです。「人間ども!!」と思うのが当たり前の感情でしょう。
そこで人間に一矢を報うことができても解決できない問題が自分に残る。それが苦境です。苦境は自分という戦場かもしれません。お人よしには戦場が見えないでしょうね。戦場が見えないと生き残ることも難しいというものです。

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