2014年4月13日日曜日

参上!ギャートルズ

ギャー
孫一 4ヶ月 ギャーギャーも近頃はバラエティーにとんできました。日本ではギャーギャーは泣き声と言いますが婿のアメリカでは叫び声と言います。泣き声と叫び声ではだいぶニュアンスが違いますね。日本人はウェットな精神構造だといわれています。ギャーギャーは「泣いている」と聞こえ可哀想という感情を引き起こして強く抱きしめる行動に親が出がちになります。
 同じ状況でギャーギャーの声が叫び声に聞こえると「どうしたの?」と近寄るか「何!!」という危機感をあおられたりします。泣き声にしても叫び声にしても親の感情はぐっと引き寄せられますが目の前の赤ちゃんに対しての構えには違いがでるように思うのです。この構えの違いが子供の育ち方にも大きく影響している思います。自分は親から「かわいそうに」と思われて近づかれてこられたか「なんだ?なんだ?」と好奇心の塊になって見つめられていたか。どちらがどうということはありませんが「なんだ?なんだ?」と赤ちゃんと一緒に同じ方向を見るという気持ちも成長には必要な関わり方に思います。どちらの眼差しに偏ることなく見つめられたら赤ちゃんものびのびと育ってゆくように思います。若い親は抱きしめたくなるような気持ちと何だろう?という気持ちに翻弄されながら赤ちゃんと一緒に人への距離感を育ててゆくのですね。
とるぞ
「かわいい」も「可哀想」と同じように相手に強く向かってゆく眼差しです。おばあちゃんは「かわいい」に偏りますよ。だって「なんだ? なんだ?」はだいたい答えに検討がついてしまいますもの。
 自分の子供特に長女のときは何もかもが初めてで子供がとんでもない生き物のように思えていました。今でも子供たちは「なんだ?なんだ?」の世界ですが。孫は違う。「かわいい かわいい」です。
 といっても孫は孫 自分の子供ではないので娘の遺伝子、婿の遺伝子、社会の荒波でどんなふうに展開するのか未知数ではあります。「かわいい」「かわいい」ばかりでなく「フォローミー」のように後ろからついてゆく眼差しもおばあちゃんには欠かせません。そういえばギャートルズはいつも草原をみんなで列を作って走り回っていましたね。もうすぐ孫一の後をお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさんが追いかけまわる日も近いでしょう。追いかけまわせるほどの草原が身近にあるといいのになあ。

はじめ人間ギャートルズ
 歌詞 園山俊二
 作曲 かまやつひろし
http://www.uta-net.com/movie/39513/


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