花巻農業高校敷地内の宮澤賢治像と羅須地人協会の家
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変えよ
春と修羅 第4集 生徒諸君に寄せる から |
羅須地人協会の家の教室 |
現在この家が農業高校敷地に移築されています。家の中に入ると木造家屋の強い匂いが戦前日本の生活にタイムスリップするのを助けます。2階に妹トシが臥せっていました。賢治はここで自炊し 賢治に共感する若い人たちと暖を取りながら交流を楽しみました。
羅須地人は宮澤賢治の造語 地人は農民を指すようですがきっと土・大地とともに生きる人すべてを意味しているように思います。羅須についてはいくつもの説があるようです。 決め手はなく賢治も取り立てて説明していないようです。
この板書はただ自分の居場所を教える伝言だけでなくその言葉には「おやつがあるよ」というという意味を含んでいるというエピソードがあることを知りました。「いるよ」でなく「居ります」という襟をたださせるような言葉遣いと合わせ宮澤賢治がいつまでも愛される才能と人柄を持ち合わせた人だったことを思わせるエピソードです。
明治29年から昭和8年の37年間は日露戦争・第1次世界大戦、世界恐慌・米騒動・関東大震災東北の凶作、冷害が度重なります。賢治が生まれた明治29年の明治三陸大地震・津波そして亡くなる昭和8年の昭和三陸大地震・津波賢治は2つの大地震の間を生き抜きました。賢治の感受性は大地と宇宙と交流し続けざるをえなかったでしょう。
盛岡・花巻を旅行してイーハトーブ(岩手)の自然は人格を感じさせるものがありました。突き放すようなあっけらかんとした大地と北上川、岩手山と周囲の山々は厳しさと輝きを同時に放っていました。また訪れてみたい土地・人宮澤賢治です。
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