2015年2月27日金曜日

恐るべき子供達


黄色のフリージア 花言葉は無邪気
一人の少年の死が今日本社会、マスコミを大きく揺さぶっているように思います。大人たちが知らないところで思春期の子供達が傷ついています。自分の事でいっぱい、いっぱいの思秋期の私たち大人、虚を突かれたと思う大人もいれば責任の所在を巡って他人事にしてしまう大人もいます。受け止め方は人それそれですが一人の少年は河川敷で裸にされて死んでしまいました。やりきれない事実です。それだけでも十分なのにTVのニュースは頻回に事件の残虐性となりゆきをことこまかに報道しています。目をまん丸くして冷静さを装うキャスターやコメンテーター、ヒステリックに聞こえるトーンの高い女性アナウサーの声に思わずTVのスイッチを切ってしまいます。視聴者が果たして望んでいることなのであろうかと???

 昔見た一つの名画座でみた映画を思い出しました。ジャン・コクトーの「恐るべき子供達」です。この映画は1950年にジャン・ピエール・メルヴィルによって映画化されました。日本では1980年代に萩尾望都の漫画で再ブレークしました。シュールなコクトー 1929年の作品で二人の姉弟の関係が一人の美しい少年の出現で崩壊してゆく物語です。思春期の危うさや残虐な行為に自分の運命を受け入れてゆく悲劇で救いはありません。コクトーはこのときアヘン中毒の治療のため入院していました。その療養生活の中で描かれた物語です。物語は大人にならない子供達の閉鎖的な空間の出来事です。大人になることを拒んでいる。または大人になるきっかけを逃しつかめない子供達、子供の世界は純粋で無邪気にみえますが許しのない攻撃性と貪欲さをはらんでいます。この事件の少年たちの間に起こった出来事にこの映画のテーマに似た心のダイナミックスを感じました。

 大人になるきっかけはなんでしょうか。閉鎖的で密度の濃い人間関係から奥深くお互い心を開いた人間関係をつくり成長を続けるきっかけやチャンスは誰にもあるように思います。どうにもならない自分の気持ちをコントロールするためには何が必要なのでしょうか。 思春期も思秋期も共通しているのは季節の変わり目に立たされ孤独感と向き合う時間をもつことではないかと思います。若年ながらも孤独と真摯に向き合えればきっと力強い青年に育ちます。親兄弟友人との死別・離別でなくても生活の時間や空間の使い方でいやでも愛着のあるものから離れなければならない。そういう体験に上手に取り組ませ、注意力を養い危機を避けられる力をつける責任が若い親や家族・社会にはあるように思います。
 そして日々流れるマスメディアの責任 清濁入り混じった情報や殺人・犯罪の容赦のないTVや映画・漫画・ゲームの残酷場面の氾濫を子供の目線で考えてみてはどうだろうか。「子供は大人の鏡です。」 この少年の死が思い出させてくれました。ご冥福を祈ります。


 

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