2016年2月28日日曜日

スタビンズ君 久しぶりだね

 昼下がりの図書館で思いがけない本に出会いました。「ドリトル先生の航海記」 新潮社 2014年出版 福岡伸一訳です。 「ドリトル先生」は私の最初の全集に挑戦した本で井伏鱒二訳、小学校4年生くらいじゃなかったかと記憶しています。「ドリトル先生の郵便局」「ドリトル先生のアフリカ旅行」と続き怪盗ルパンのシリーズやシャーロックホームズ、宇宙戦争・海底2万里・地底探検・80日間世界一周など・・思い出されてきます。
 「ドリトル先生の航海記」を手にとって最初のページ水辺の町パドルビー、お話の進行役のスタビンズ少年の登場、町の風景、スタビンズ君のいでたちなどなど私の記憶はどんどん鮮明になってきます。オウムのポリネシア、犬のジップ、アヒルのダブダブ・・・その匂い、足についた泥の感触までが記憶として思い出されるのはどうしてでしょう。おかげですっかり虜になり毎夜毎夜就寝前に読書を楽しみました。 ドリトル先生の背格好と風体、おっとり構えているのにいろんなことができてしまう、極め付けは動物との会話。世界を股にかける活躍と今読めばおかしくなるほどのギャップも当時の小学生の目にはギャップでなく尊敬する大人の姿に映っていました。
 ドリトル先生は、スタビンズ少年をスタビンズ君と呼び、助手として頼りにしいろいろな事を任し意見を求めます。10歳の少年にはそういう大人扱いがうれしかったはずです。読者の少年少女もスタビンズ君に、自分をなぞらえて読みふけったに違いありません。いい本でした。60歳をすぎまた読む機会に恵まれるなんて、なんて幸せなことでしょう。ハリウッド映画でエディーマーフィーでドリトル先生が映画化されましたが私は見ていません。子供の頃の楽しい記憶が台無しになってしまうようで見る勇気がなかったのです。
 この小説は、ヒューロフティングが第1次世界大戦従軍中に息子あてに書いた物語を集めたものです。「夜間飛行」のサン・テグジュペリも従軍中にユダヤ人の友人にあて「星の王子様」を書きました。戦争の現実を受け入れざる得なかった人たちの心の支えが、家族や友人だったことがよくわかります。友人や子供達に何を伝えたいか、何を残したいかを考える事が、明日の命も知れないとわかったときの最後の力・知恵になったと思います。そういう時には人をひきつけずにおれない「物語」が生まれます。
 「ドリトル先生の航海記」の中では浮島クモサル島の2つの村の対立が物語の中心です。勧善懲悪の対立ですが、その結果負けてしまった悪人村に対するドリトル先生の演説がこの物語の目玉です。悪人に寛大で2つの村が末永く平和に暮らせるよう提案をしたものでした。この物語はドリトル先生が平和になり王様として自由に暮らせるクモサル島を捨て、ピンクの大ガラス海カタツムリに乗ってパドルピーに帰るところで終わります。
 読者の小学生はそこでドリトル先生の本来の使命に気づかされるのです。知らない生物を見つける博物学の旅の途中だったことを・・・。少年少女に夢を!が優しい父親ヒューロフティングの伝えたかったことなのだ。あのころの夢はいずこ?と60歳の読者は読み終わってぐすんとしてしまいました。あの頃私はほんとに動物と話しができるようになるのだと思いこんでいましたから。
 「10歳の孫一をスタビンズ君にしちゃおう。」 おばあちゃんドリトルは金魚・ウサギ・ハムスター、亀、クワガタなど飼ってスタビンズ君到来に備えよう。 いや 待てよ そのころにはほんとにDO Little「何もしない」になっているかも!?%$
 

2016年2月19日金曜日

瞳が回る!  X線観測衛星 「ひとみ」


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発射5秒前、4、3、2、1 轟音とともにアストローHが、種子島の宇宙センターから発射されました。 各地のパブリックビューイングにたくさんの人が集まりその発射を見守ったニュースが流れました。「重力波」の観測成功と合わせ、宇宙誕生の秘密に迫る科学者たちの新たな挑戦の始まりです。偶然とはいえ来るべくしてきている時の流れなのかもしれません。これからの20年、私が80歳になるころには、宇宙がもっと身近になっているに違いありません。「おばあちゃん ハネムーンは月だってさ」なんて成人した孫一が言うかもしれません。
私も孫一と一緒に、「ひとみ」に搭載された反射望遠鏡製作拠点大学内にある広報プラザで、発射から衛星が切り離されるまでを見ました。そこには開発と製作にかかわった人たちが大勢きており、静かな熱気に包まれていました。発射は静かに見守り衛星が切り離された瞬間会場に拍手が起こりました。ここにいる人たちの関心事は、ロケット飛ぶことより衛星が切り離される事にあったのです。実感!
「ひとみ」の観測が始まるのはまだ3か月も先になるようです。多くの成果をあげ、関わっている若い研究者たちの生活の糧になるといいなと思います。
アストローHの発射をみた子供たちは「宇宙」の存在を身近に感じ好奇心を燃やすに違いありません。今は「飛んだね」「おじいちゃんお話ししてたね」燃料タンクの切り離しをみて「こわれちゃったの?」あとは「○×△□○×・・・%#?」の孫一だってまた観測結果が話題になれば思い出すことでしょう。この日のことを。

 株式・日経平均・消費税・年金・金利・社会保障・保険・春闘・ベースアップなどなど経済だけでなく教育・芸術までもが市場・マーケットで語られる今日このごろ。大人がしばし「宇宙の誕生」を考え、探求する気持ちを取り戻すことができたら、社会にとってこんな幸せなことはありません。「これなあに?」「これなんだろう?」の孫一もすくすく伸びるというものです。パブリックビューイングに参加している子供たちと大人たちを見てまだまだ大丈夫と思いました。私、ここのところというより数十年前から日常些事に追われ「探求心」なるものがあることをすっかり忘れておりました。
プラネタリウムでX線の宇宙の姿を見てみたいものです。きっと可視光線で見る宇宙よりダイナミックに動いている宇宙が見える気がします。まるでイザナミ・イザナギが海をかき回しているような・・・!




男の花道、女の花道

  X線観測衛星アストローHの発射が悪天候のため延期になりました。春の到来とともに,衛星成功の吉報が流れるのを待ってます。
 サイエンス音痴の妻を持つ夫は,この衛星の反射望遠鏡の製作に長年携わってきました。いよいよこれが,退職前の最後のプロジェクトです。さすがの私も最後の花道が成功するよう願っています。私は宇宙への関心がないわけではありませんが,長年携わった仕事が人間相手でしたので現実とのギャップが大きすぎ,話の接点が見つからなくなってしまっています。きっと若いころには面白がって宇宙の話を聞いていたのでしょうに・・・。
 私たち共働き夫婦が,お互いの仕事に踏み込むことはありませんがこうして無事退職の時期を迎えることができそうでなによりです。昨今は私たちが結婚した頃に比べて共働き夫婦も多くなりました。家族で家事や育児、介護を分担しながら生活しています。回りを見渡せば同世代の女性には、専業主婦あり独身仕事一本とそれぞれに年齢と経験を重ね、頼もしく自立している人が多いことに気づかされます。
 私は介護で中途退職して5年目、看取りも卒業しセカンドライフも軌道に乗ってきたところです。それでもまだまだ仕事に追われる生活や、緊張感が忘れられないようで勝手に仕事を作っては忙しがっています。
 大きなプロジェクトや組織に、長年かかわってきた男性諸氏の退職後生活を、何が支えになってゆくのでしょう。図書館で調べものをしている中高年の男性、車いすを押して母親を介護する男性も、病院の待合い室で多く見かけます。ボランティアに参加している男性も増えているようです。小旅行の男性グループも、よく見かけます。 今まで女、子供が中心の町の集まりもしだいに男性が加わるようになりました。バス旅行を楽しむ人、美術館、音楽会に一人でいらしている男性もよく見かけます。じわじわと退職された団塊世代が、会社から地域社会に浸透してきている感じがします。
 84歳でなくなった父の日記には、退職を控えてこれからやりたいことを実現するんだという気持ちが綴られていました。あ~みんな感じることは、同じなのだなと励まされますが、自分の半生・仕事を振り返る時間はあるようでないもの。結局退職しても何も切り替わらないというのが今の私の感想です。
と言いながら、結局仕事と同じように自分で勝手に目的を作りだし日々を過ごしています。組織やプロジェクトという大きな枠組みが家庭や地域社会に代わるだけです。退職したくらいで自分は変わるものではありませんから仕事をしていたときのように目の前のことに取り組めばいつのまにか新たなプロジェクトや新たな人間関係や環境が見えてくるような気がします。還暦、健康寿命はよくてあと20年かな? 車もあと10年運転できれば立派です。先延ばしせず男も女もそれぞれの花道をどんどん進みましょう。


2016年2月7日日曜日

節分に泣く 鬼は外だあ~!

「9:00に鬼が来るから来てくださいね。」と保母さんに言われ 水曜日休みの母親は息子孫一を連れ保育園に。いきなりの鬼の登場に保育園は阿鼻叫喚の世界に。がぜん張り切って鬼にたちむかうリンゴ組のお兄ちゃんたち。日頃の孫一アンパンマンもどこへやらひたすら泣き叫び母親のおしりに逃げ隠れるイチゴ組、ポカーンとみているさくらんぼ組と孫一の通う保育園の節分の朝。母親が面白そうにその日の朝の様子を話してくれおばあちゃんは家の中を鬼になりきってウォーウォーいいながら歩き回る孫一を見ながら目を細めます。「泣いてたんじゃないの?」
 さてその夜お風呂で孫一は浴槽の中で自分からしゃがみ湯につかると1、2、3、・・・・10と数えるではありませんか。いつも浴槽では立つことしかしないのでひたすら湯をかけるだけだったのに。捕まえて一緒に湯につかり数を数えるのがやっとだったおばあちゃんはびっくりです。
 鬼のせいでしょうか。孫一がぐっと大人になった気がしました。あまり怖い思いをさせるのはトラウマになると心配する向きもあるかもしれませんが。トラウマは命の危険にさらされるときの恐怖の体験が引き起こすもの。節分の鬼の怖さにくらべたら比べものにならない体験の結果です。
 昔の人は鬼を使って恐怖を擬人化してきました。鬼のお面をとったらいつもの保父さんやお父さん 鬼は退散してゆき後に残ったお豆さん。泣いても隠れるところ、守ってくれる人がある。しかし節分は2歳の孫一にとっては最初の「怖~い」体験になったようです。なんとかその「怖~い」という感情を自分の中で消化しようとしたのでしょう。鬼の真似をしてみたりもらった鬼のお面を投げつけたりして帰ってきてから鬼退治にいそしんでいる姿は真剣そのもの。ひとしきり鬼退治をしてから夕食・お風呂へ 彼の気持ちはしだいに力強くなっていったのだと思います。今晩の入浴だけでなく続くといいな。ねっ 孫一!
 
 
 

冬の贅沢 桂離宮

 
回遊の始まり 松琴亭
広大な回遊式庭園に点在する茶室、どっしり構える書院、その空間で見上げる空は今も昔も同じかと思うと宮家の人々と肩を並べたような気分になります。四季折々に用意された茶室から楽しむ風流と交流を楽しむことを許されたごくわずかな人たちの生活を垣間見る思いがしました。
回遊の終わり 御殿 中書院・古書院
日本家屋の空間の心地よさや意匠へのこだわりに驚き、しばし時間のたつのを忘れてしまいます。いや時間を忘れさすことを桂離宮の建設はめざしていたかもしれません。それほどこの主たちは現実から逃避したかったのではないかと穿った見方をしたくもなりますが。自分の好みにあった気持ちの良いものや相性のよい人だけに囲まれて過ごしたい。その思いは今も昔も変わらない人の思いです。自分の好みがはっきりしているほど強く求めたくなるものです。こだわりは自分の好みに気づいたときや強い印象の体験で生まれてくるものではないでしょうか。下世話な話 お金があればできるというものでもないように思わせてくれる桂離宮の佇まいです。参観したグループには外国の方も交じっていました。今、離宮は一般参観のほかは外国の高官や要人への日本文化紹介のおもてなしに利用されることが多いと説明を受けました。外国の人たちは桂離宮から何を感じて帰っていくのでしょう。
 17世紀の皇室の趣味を大切に保存してきた背景には残さずにいられない美意識の表現があります。結局のところ残るもの、残されるのは「美」なのでしょうね。桂離宮の「美」は「時間」。四季移ろいを水面に移すことで「時間」「時」を流れとして表現したように思います。その時の流れを演出する仕掛けのこだわりが桂離宮に保存されているようです。我が家にもそのこだわりを持ち帰えれないかしら。古書院や茶室のような空間がなくても季節を楽しむ気持ちがあり、一緒に楽しんでくれる人がいればできるような気がします。
行の石畳

草の石畳

真の石畳

   華道・茶道・庭園・俳諧の表現方法の3体、格式ある表現を「真」、自由闊達に格式に
 とらわれない表現を「草」、その中間を「行」 桂離宮の回遊式庭園のスタートは「行」に始まり
 「真」に終わりました。庭園はすべて飛び石を踏んで廻るというもの歩くときは足元ばかりに目がいき止まって初めて眼前の広がりに驚きが感じられるという仕掛け?でしょうか。普段足元に目が向かずつまずくことの多くなった私にはちょうどよい歩き方でした。寒さ真っ只の中 ミスター宮内庁さんのご案内もご苦労さまでした。



バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...