2016年2月7日日曜日

冬の贅沢 桂離宮

 
回遊の始まり 松琴亭
広大な回遊式庭園に点在する茶室、どっしり構える書院、その空間で見上げる空は今も昔も同じかと思うと宮家の人々と肩を並べたような気分になります。四季折々に用意された茶室から楽しむ風流と交流を楽しむことを許されたごくわずかな人たちの生活を垣間見る思いがしました。
回遊の終わり 御殿 中書院・古書院
日本家屋の空間の心地よさや意匠へのこだわりに驚き、しばし時間のたつのを忘れてしまいます。いや時間を忘れさすことを桂離宮の建設はめざしていたかもしれません。それほどこの主たちは現実から逃避したかったのではないかと穿った見方をしたくもなりますが。自分の好みにあった気持ちの良いものや相性のよい人だけに囲まれて過ごしたい。その思いは今も昔も変わらない人の思いです。自分の好みがはっきりしているほど強く求めたくなるものです。こだわりは自分の好みに気づいたときや強い印象の体験で生まれてくるものではないでしょうか。下世話な話 お金があればできるというものでもないように思わせてくれる桂離宮の佇まいです。参観したグループには外国の方も交じっていました。今、離宮は一般参観のほかは外国の高官や要人への日本文化紹介のおもてなしに利用されることが多いと説明を受けました。外国の人たちは桂離宮から何を感じて帰っていくのでしょう。
 17世紀の皇室の趣味を大切に保存してきた背景には残さずにいられない美意識の表現があります。結局のところ残るもの、残されるのは「美」なのでしょうね。桂離宮の「美」は「時間」。四季移ろいを水面に移すことで「時間」「時」を流れとして表現したように思います。その時の流れを演出する仕掛けのこだわりが桂離宮に保存されているようです。我が家にもそのこだわりを持ち帰えれないかしら。古書院や茶室のような空間がなくても季節を楽しむ気持ちがあり、一緒に楽しんでくれる人がいればできるような気がします。
行の石畳

草の石畳

真の石畳

   華道・茶道・庭園・俳諧の表現方法の3体、格式ある表現を「真」、自由闊達に格式に
 とらわれない表現を「草」、その中間を「行」 桂離宮の回遊式庭園のスタートは「行」に始まり
 「真」に終わりました。庭園はすべて飛び石を踏んで廻るというもの歩くときは足元ばかりに目がいき止まって初めて眼前の広がりに驚きが感じられるという仕掛け?でしょうか。普段足元に目が向かずつまずくことの多くなった私にはちょうどよい歩き方でした。寒さ真っ只の中 ミスター宮内庁さんのご案内もご苦労さまでした。



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