2017年6月27日火曜日

水無月 涙・涙

   
                                       


 今年の6月23日は訃報が重なってしまいました。 従兄・同僚の夫そして麻央さんと・・みんなガンでした。こんなにガンを身近に感じた日はありません。偶然とはいえ・・・なんともやるせない気持ちでいっぱいです。
 麻央さんの夫の海老蔵さんのブログをはじめてみました。気持ちが痛いほど伝わってきます。いつものように写真を撮ってブログを書く、アップすることでひとつ気持ちに区切りをつけて前に進んだような気持ちになる。家族や友人、仕事に支えられていることに感謝する気持ちもよくわかります。
 家族や隣人を失う喪失感は自分が思っている以上の感覚を呼び覚まし、しばし翻弄されてしまうもの。そういうときいつもやっていることをいつものようにすることにとても深い意味があります。そうしないと悲しみから抜け出せなくなってしまうからでしょう。掃除・洗濯・調理・ゴミ出し・化粧・仕事・・・そのなかで仕事が一番いいかもしれません。事情はともかくやらなければならないことに気持ちが向きやすいからです。
 しかし心配なのが老々介護の場合 連れ合いの世話をやく仕事がなくなってしまえば途方に暮れてしまうのではないでしょうか。友人も先に逝き、支えてくれる家族もなく、耳目の力も衰え足腰も弱い身で感じる喪失感は、格別なことでしょう。そのときのために何を準備しておいたらよいのでしょうか。高齢者もまた、最後まで自分らしくあるために・・・・。なりたい自分になろうという気持ちをいつまでも持ち続けようと思います。
 ご冥福をお祈りいたします。

2017年6月19日月曜日

大好き! 孫一

孫一 はじめて 自画像を描く


大きな耳、クリクリヘヤ―、黒い目、 赤く大きな唇 と孫一の特徴をよくつかんでるようにおばあちゃんには見えます。眉毛は、おそらくアンパンマン。お鼻の形に迷いがあるもののクレヨンの力強さに圧倒されました。元気のでる一枚です。

2017年6月16日金曜日

自画像と孫一

保育園年少組 毎日燃焼しきっている孫一と仲間たち
今日のお題は 「自画像」 『3歳児になると自分というものを認識しはじめる』と保母さんがそんなテーマをクレヨンを投げ飛ばして遊ぶ子供たちに提案しました。
 さて孫一が真っ先に手にとったのがブラウンのクレヨン
「ぼくはだんだんこの色になったんだよ」と友達に説明する孫一。保母さんはお母さんがそういって説明しているのかなと感心したようですが、当のお母さんは ???。 実は孫一が自分で考えたことだったのです。顔の色 みんなと少々違うなあと思っているのかな?孫一君。どんな自画像を描いてくるか楽しみです。顔の中で一番色を必要とするのがお肌の色ですが線にするか面にするかそれぞれでしょうねえ。肌の色にこだわらず輪郭を描いて終わりもあります。おじいちゃんはアンパンマンを赤で描いたり、青で描いたりしています。自分の顔ということでアンパンマンよりはリアルに感じれるか 孫一! 
 大人が感じるほど肌の色に意味を感じているわけではない子供たちです。意味がでてくるのは大人たちの影響が大きいでしょう。これからですものね。
 お母さんたち、保母さん。肌の色の意味を考えるこんなプロジェクトがあることを知っていますか。
スペインの写真家 アンジェリカ・ダスのプロジェクト
「肌の色は肌色です。」と決めつけず、微妙な色の違いに気づかせてあげるのもこれからのグローバルで多様な世界を生きる子供たちには必要な感受性かもしれません。
 クレヨンの色を混ぜて使うというのは まだちょっと難しいテクニックかな? 色を混ぜる面白さが高じてみんな真っ黒になっちゃうかもねえ。
 3歳の自画像は 満艦飾の笑顔が並ぶことでしょう。保育園お迎えが楽しみです。

2017年6月13日火曜日

京のアジサイ 天文学街道

京都御苑のアジサイ
梅雨入りはしたけれど まだ爽やかな風に恵まれるグッドタイミングで京都に行く機会ができました。今回はNPO法人 花山星空ネットワーク主催の京都千年天文学街道 暦合戦コースの参加が目的。と年1回 娘の 生活探訪もかねています.まだまだ気ままに旅行に行くわけには行かず 自分と家族に言い訳が必要なしだい.
 原作冲方丁氏「 天地明察」の映画は江戸時代の暦合戦を題材にしています。月食 日食の日をあて暦の正確さを競うところが映画の肝になりました。暦に関連して観測機械を乗せる石台を見学しました。星空観察の歴史をまじかに見ながら陰陽道のお話しを聞くのもなかなかオツなものです。そもそも暦は、中国伝来の天体観察に始まります。日本も古く794年桓武天皇の御代に大将軍(北極星)を祭る神社が最初に遷都された平安京大内裏の北西角(陰陽道でいうところの天門)に建立されました。 
 陰陽道は当時自然界と人間界をつなぐ役割を果たし権力者の庇護を受け戦国、江戸時代を生き延びますが、欧米文化に傾倒する明治政府に切り捨てられるという運命をたどります。陰陽道のスター安倍晴明末裔のお話しには「映画のように安倍晴明は飛びません!」という現実が見えてきました。
若一神社 平清盛お手植えの木
コースは平清盛御手植えの木のある若一神社に始まりました。源平合戦の物語では
貴族がもつ陰陽道の知識により日食を予見できた平家が唯一勝利を収める下りがあります。平家滅亡のきっかけになる平清盛の熱病死と超新星(SN1181)の出現も有名な話です。そのときの星の輝きの名残りを私たちは空にみることができるそうです。平家物語が後世に語り継がれているのは星や宇宙と人間界をつなげ悠久の時間を感じさせるからでしょうか。
 
 今も昔も超新星や日食・月食、天変地異の事実を受け入れるにはなにかと理由が欲しいところ、理由を目で見た事から考えようとする人もいれば目に見えないものの仕業に求めようとする人もいます。理由など考えられないくらい圧倒されてボーっとしている人もいればそのときの自分に都合のよい理由に飛びつく人もいて人それぞれです。たぶん私は御都合派のような気がします。
 平安の人々の生活の中心にあった大将軍(北極星)や今いずこというところです。明るくなった都会の空に北極星は見えますが空を仰ぐ気すらならなくなってしましました。足元ばかり見ています。まして北斗七星など見つかるかしら。大将軍神社には、北極星と北斗七星を人型に著した等身大に近い8つの神像が、ほかの神像とともに安置されています。どの神像もギョロっと目をむいていて優しい仏像の目と違い意志の強さ、何かに立ち向かおうとする表情を今に伝えています。夜空の星を神に見立てて祈るものに畏敬の念を抱かせるためでしょうか。平安の世の人たちはこうして星々に守られて生活していたようです。夜になると満天の星が姿を現す時代、星に見守られていると思える時代です。今は
星でなく電気、自分で消します。見守るという意味では寂しい時代となりました。そういえば、東関東大震災の日の夜空には多くの星が見えて被災者を慰めたと聞きます。
 観光客でなく普通にお参りして神社の湧水を汲んでゆく人やまだ新しい季節行事の案内のちらし、ひっそりかんの安倍晴明を祭る稲住神社には昔から続く小道が残されています。都会の生活でなくしたものを発見したような新鮮な京都探訪でした。
大将軍神社 中央のモニュメントが北極星


  


2017年6月5日月曜日

詩の魅力 言葉で描くケルト的風景画

 W.B.イェイツの詩のファンは多いでしょう。特にアイルランドの自然や望郷、出地への自尊心、反植民地の反骨スピリットは長く世界中の人を捉えてきました。日本とも縁の深い詩人で松村みね子の日本語訳を通して芥川龍之介もその神秘的な世界に興味をもったらしいと何かの本で読みました。
 私は、学生時代に楽しんだ詩の数々もいつか生活の忙しさとリアルさに圧倒され忘れ、詩とは縁遠い生活をしています。今「言葉」は、「詩」ではなく「真実」だそうで「報告・連絡・相談」=「報連想」がもてはやされ「真実」を語れない人はメディアでは痛い目にあいます。「真実」を語ろうとしてたくさんの言葉で紙面や画面が埋め尽くされているのに、そこで使われる言葉は、読み手の強い思い込みで、誤解され広まりいつのまにか記憶の中から消えてゆきます。気分の赴くままに言葉を発して終わり。このブログの言葉もそうですねえ。
 「詩の言葉」は、不思議なものだなあと思います。イェイツが生まれた19世紀後半から20世紀前半の社会を知らなくても共感できます。わずかな言葉で・・・
蓼科 田舎暮らし
都会の喧騒の中に住んで、故郷の自然を思う気持ちは今も同じではありませんか。イェイツは詩のなかでアイルランドの故郷スライゴ―にあるギル湖に浮かぶ島を、「イニスフリー」(ゲール語でヒースの島という意味)と呼んでその自然をすごく魅力的に、深く思い描いています。まるで風景画を目の前にしているようです。イェイツの風景画は全体の風景と足元の生物が呼吸する自然が一度に画面に見え、感じられます。それが言葉で描くことの威力なのかもしれません。
 「イニスフリー」はイェイツが故郷への思いを象徴するためにギル湖の島につけた名前、今や済州島の自然をセールスポイントにした韓国コスメのブランド名になっています。それはさておき。詩は、蜂の羽音 ⇒ コオロギ ⇒ ムネアカヒワ ⇒ 湖岸のさざ波と読者をいざない最後の2行が以下のように結ばれます。
  
      While I stand on the roadway, or on the pavements gray,
      I hear it in the deep heart's core.
                    The lake Isle of Innisfree
  
  
都会の街角、灰色の歩道にたたずむ僕の
  心臓の真ん中の一番奥で、その音が聞こえているから。
                    湖の島イニスフリー 栩木伸明訳

 この詩が鑑賞できたのは、昨日開かれたイベント『芸術をめぐる物語 特別講演シリーズ言葉で描くケルト的風景 W.Bイェイツとアイルランド詩』のおかげです。
 町の煉瓦づくりの瀟洒な建物のアトリエの一室、洋画材の匂いや石膏モデルに囲まれながらアイルランド文学者の大野光子先生のお話しを聴きました。先生の英詩の澄んだ朗読が素晴らしく束の間アイルランドの透明感ある空を見上げることができました。
セカンドライフに田舎暮らしを夢見ている諸氏にささげたくなる詩です。
 先生はもうひとつ詩を紹介されました。「The Stolen Child  さらわれた子」です。
この詩もイエーツの代表的な詩のひとつです。私は実はこの詩の方に興味があるので、
もう一度 鑑賞してみたいと思っています。戦争や事故に巻き込まれる子供、家庭内暴力や貧困の犠牲になる子供が絶えない昨今です。ロンドンの喧騒の都会に住みながらも植民地時代のアイルランドに希望を見出したイエーツの言葉が知りたくなります。 19世紀後半から20世紀前半、イェイツの生きた時代と今21世紀、人間あまり遠くにいっていないような気がします。




    
 
 

2017年6月4日日曜日

藍さんに 花束を!

 私は ゴルフファンではないが、宮里藍さんは知っている。藍さんの引退会見をみた。潔いと思ったが、負けを知らないプレーヤーが勝てなくなる寂しさも伝わってきてさびしかった。最後は涙でしたが30代の女性がしっかり自分を語る姿は、「立てば芍薬、座れば牡丹の風情がありすがすがしいものがありました。
 「なりたい自分を目指して人生半ばでなりたい自分になれました。」という境地をときどき若いアスリートに見てそれをうらやましいと思いひがみたくなる気持ちもないわけではありません。小さいころからこの道一筋に本人も家族も応援する人たちも一丸になって目指した結果にほかならないとも思います。藍さんだけでなく彼女を支えた家族や周囲の人たち、ファンもそれぞれの思いで藍さんの決断を受け止めていることでしょう。
 この道一筋に生きれなった私もこの「なりたい自分・アイデンティティー」という言葉に導かれ、翻弄されながら今もって生きています。
 小学校の頃なりたい自分は「魔法使い」「考古学者」を経て「宇宙飛行士」でした。中学生は「東洋の魔女」高校生は「ジャーナリスト」 卒業すれば「自由恋愛・自由人」結婚すれば「良妻賢母」共働きの自分はいつしか「ひたすら歯車」退職すれば「空飛ぶ芸術家」。末は「いじわるばあさん」か「町内のご隠居」におさまるつもりでいます。
 アイデンティティーはそのときの自分の都合でいくらでも自由にきめればいい。と思うわけで、大いに先人のイメージを借用しようじゃありませんか。アイデンティティーをもっていた方が楽しいし目標も作りやすい。目標があれば時間を短く感じるし達成感に浸ることもできます。失敗が次の力や知恵になるでしょう。そのアイデンティーの組み合わせの人生がたぶん誰にもまねできない「なりたい自分」なのだと思っています。さすが還暦すぎるとずるいねえ。
 「アイデンティティー」が見つからないときは、本でも読み映画をみたり旅してみたりぶらぶら、ごろごろしているといつの間にか向こうから「なりたい自分」がみえてくるように思います。このごろ日本の社会は窮屈になりすぎました。だれもかれもが「アイデンティティー」。目標がないことに耐えられなくなってしまったのでしょうか。
 まっすぐな若きアスリートに学ぶべきは 絶え間ない体力づくりとあきらめない気持ちだろう。と姿勢を正し新聞の藍さんの30代のきれいな横顔の写真を眺めながらここのところ忘れていたストレッチをしています。「なりたい自分」のさだまらなかった時間がこれから役立ちそうな予感・・・人生 無駄なことはなにひとつありません。

 

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...