2017年6月4日日曜日

藍さんに 花束を!

 私は ゴルフファンではないが、宮里藍さんは知っている。藍さんの引退会見をみた。潔いと思ったが、負けを知らないプレーヤーが勝てなくなる寂しさも伝わってきてさびしかった。最後は涙でしたが30代の女性がしっかり自分を語る姿は、「立てば芍薬、座れば牡丹の風情がありすがすがしいものがありました。
 「なりたい自分を目指して人生半ばでなりたい自分になれました。」という境地をときどき若いアスリートに見てそれをうらやましいと思いひがみたくなる気持ちもないわけではありません。小さいころからこの道一筋に本人も家族も応援する人たちも一丸になって目指した結果にほかならないとも思います。藍さんだけでなく彼女を支えた家族や周囲の人たち、ファンもそれぞれの思いで藍さんの決断を受け止めていることでしょう。
 この道一筋に生きれなった私もこの「なりたい自分・アイデンティティー」という言葉に導かれ、翻弄されながら今もって生きています。
 小学校の頃なりたい自分は「魔法使い」「考古学者」を経て「宇宙飛行士」でした。中学生は「東洋の魔女」高校生は「ジャーナリスト」 卒業すれば「自由恋愛・自由人」結婚すれば「良妻賢母」共働きの自分はいつしか「ひたすら歯車」退職すれば「空飛ぶ芸術家」。末は「いじわるばあさん」か「町内のご隠居」におさまるつもりでいます。
 アイデンティティーはそのときの自分の都合でいくらでも自由にきめればいい。と思うわけで、大いに先人のイメージを借用しようじゃありませんか。アイデンティティーをもっていた方が楽しいし目標も作りやすい。目標があれば時間を短く感じるし達成感に浸ることもできます。失敗が次の力や知恵になるでしょう。そのアイデンティーの組み合わせの人生がたぶん誰にもまねできない「なりたい自分」なのだと思っています。さすが還暦すぎるとずるいねえ。
 「アイデンティティー」が見つからないときは、本でも読み映画をみたり旅してみたりぶらぶら、ごろごろしているといつの間にか向こうから「なりたい自分」がみえてくるように思います。このごろ日本の社会は窮屈になりすぎました。だれもかれもが「アイデンティティー」。目標がないことに耐えられなくなってしまったのでしょうか。
 まっすぐな若きアスリートに学ぶべきは 絶え間ない体力づくりとあきらめない気持ちだろう。と姿勢を正し新聞の藍さんの30代のきれいな横顔の写真を眺めながらここのところ忘れていたストレッチをしています。「なりたい自分」のさだまらなかった時間がこれから役立ちそうな予感・・・人生 無駄なことはなにひとつありません。

 

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