2017年6月13日火曜日

京のアジサイ 天文学街道

京都御苑のアジサイ
梅雨入りはしたけれど まだ爽やかな風に恵まれるグッドタイミングで京都に行く機会ができました。今回はNPO法人 花山星空ネットワーク主催の京都千年天文学街道 暦合戦コースの参加が目的。と年1回 娘の 生活探訪もかねています.まだまだ気ままに旅行に行くわけには行かず 自分と家族に言い訳が必要なしだい.
 原作冲方丁氏「 天地明察」の映画は江戸時代の暦合戦を題材にしています。月食 日食の日をあて暦の正確さを競うところが映画の肝になりました。暦に関連して観測機械を乗せる石台を見学しました。星空観察の歴史をまじかに見ながら陰陽道のお話しを聞くのもなかなかオツなものです。そもそも暦は、中国伝来の天体観察に始まります。日本も古く794年桓武天皇の御代に大将軍(北極星)を祭る神社が最初に遷都された平安京大内裏の北西角(陰陽道でいうところの天門)に建立されました。 
 陰陽道は当時自然界と人間界をつなぐ役割を果たし権力者の庇護を受け戦国、江戸時代を生き延びますが、欧米文化に傾倒する明治政府に切り捨てられるという運命をたどります。陰陽道のスター安倍晴明末裔のお話しには「映画のように安倍晴明は飛びません!」という現実が見えてきました。
若一神社 平清盛お手植えの木
コースは平清盛御手植えの木のある若一神社に始まりました。源平合戦の物語では
貴族がもつ陰陽道の知識により日食を予見できた平家が唯一勝利を収める下りがあります。平家滅亡のきっかけになる平清盛の熱病死と超新星(SN1181)の出現も有名な話です。そのときの星の輝きの名残りを私たちは空にみることができるそうです。平家物語が後世に語り継がれているのは星や宇宙と人間界をつなげ悠久の時間を感じさせるからでしょうか。
 
 今も昔も超新星や日食・月食、天変地異の事実を受け入れるにはなにかと理由が欲しいところ、理由を目で見た事から考えようとする人もいれば目に見えないものの仕業に求めようとする人もいます。理由など考えられないくらい圧倒されてボーっとしている人もいればそのときの自分に都合のよい理由に飛びつく人もいて人それぞれです。たぶん私は御都合派のような気がします。
 平安の人々の生活の中心にあった大将軍(北極星)や今いずこというところです。明るくなった都会の空に北極星は見えますが空を仰ぐ気すらならなくなってしましました。足元ばかり見ています。まして北斗七星など見つかるかしら。大将軍神社には、北極星と北斗七星を人型に著した等身大に近い8つの神像が、ほかの神像とともに安置されています。どの神像もギョロっと目をむいていて優しい仏像の目と違い意志の強さ、何かに立ち向かおうとする表情を今に伝えています。夜空の星を神に見立てて祈るものに畏敬の念を抱かせるためでしょうか。平安の世の人たちはこうして星々に守られて生活していたようです。夜になると満天の星が姿を現す時代、星に見守られていると思える時代です。今は
星でなく電気、自分で消します。見守るという意味では寂しい時代となりました。そういえば、東関東大震災の日の夜空には多くの星が見えて被災者を慰めたと聞きます。
 観光客でなく普通にお参りして神社の湧水を汲んでゆく人やまだ新しい季節行事の案内のちらし、ひっそりかんの安倍晴明を祭る稲住神社には昔から続く小道が残されています。都会の生活でなくしたものを発見したような新鮮な京都探訪でした。
大将軍神社 中央のモニュメントが北極星


  


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