2017年6月5日月曜日

詩の魅力 言葉で描くケルト的風景画

 W.B.イェイツの詩のファンは多いでしょう。特にアイルランドの自然や望郷、出地への自尊心、反植民地の反骨スピリットは長く世界中の人を捉えてきました。日本とも縁の深い詩人で松村みね子の日本語訳を通して芥川龍之介もその神秘的な世界に興味をもったらしいと何かの本で読みました。
 私は、学生時代に楽しんだ詩の数々もいつか生活の忙しさとリアルさに圧倒され忘れ、詩とは縁遠い生活をしています。今「言葉」は、「詩」ではなく「真実」だそうで「報告・連絡・相談」=「報連想」がもてはやされ「真実」を語れない人はメディアでは痛い目にあいます。「真実」を語ろうとしてたくさんの言葉で紙面や画面が埋め尽くされているのに、そこで使われる言葉は、読み手の強い思い込みで、誤解され広まりいつのまにか記憶の中から消えてゆきます。気分の赴くままに言葉を発して終わり。このブログの言葉もそうですねえ。
 「詩の言葉」は、不思議なものだなあと思います。イェイツが生まれた19世紀後半から20世紀前半の社会を知らなくても共感できます。わずかな言葉で・・・
蓼科 田舎暮らし
都会の喧騒の中に住んで、故郷の自然を思う気持ちは今も同じではありませんか。イェイツは詩のなかでアイルランドの故郷スライゴ―にあるギル湖に浮かぶ島を、「イニスフリー」(ゲール語でヒースの島という意味)と呼んでその自然をすごく魅力的に、深く思い描いています。まるで風景画を目の前にしているようです。イェイツの風景画は全体の風景と足元の生物が呼吸する自然が一度に画面に見え、感じられます。それが言葉で描くことの威力なのかもしれません。
 「イニスフリー」はイェイツが故郷への思いを象徴するためにギル湖の島につけた名前、今や済州島の自然をセールスポイントにした韓国コスメのブランド名になっています。それはさておき。詩は、蜂の羽音 ⇒ コオロギ ⇒ ムネアカヒワ ⇒ 湖岸のさざ波と読者をいざない最後の2行が以下のように結ばれます。
  
      While I stand on the roadway, or on the pavements gray,
      I hear it in the deep heart's core.
                    The lake Isle of Innisfree
  
  
都会の街角、灰色の歩道にたたずむ僕の
  心臓の真ん中の一番奥で、その音が聞こえているから。
                    湖の島イニスフリー 栩木伸明訳

 この詩が鑑賞できたのは、昨日開かれたイベント『芸術をめぐる物語 特別講演シリーズ言葉で描くケルト的風景 W.Bイェイツとアイルランド詩』のおかげです。
 町の煉瓦づくりの瀟洒な建物のアトリエの一室、洋画材の匂いや石膏モデルに囲まれながらアイルランド文学者の大野光子先生のお話しを聴きました。先生の英詩の澄んだ朗読が素晴らしく束の間アイルランドの透明感ある空を見上げることができました。
セカンドライフに田舎暮らしを夢見ている諸氏にささげたくなる詩です。
 先生はもうひとつ詩を紹介されました。「The Stolen Child  さらわれた子」です。
この詩もイエーツの代表的な詩のひとつです。私は実はこの詩の方に興味があるので、
もう一度 鑑賞してみたいと思っています。戦争や事故に巻き込まれる子供、家庭内暴力や貧困の犠牲になる子供が絶えない昨今です。ロンドンの喧騒の都会に住みながらも植民地時代のアイルランドに希望を見出したイエーツの言葉が知りたくなります。 19世紀後半から20世紀前半、イェイツの生きた時代と今21世紀、人間あまり遠くにいっていないような気がします。




    
 
 

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