2019年5月31日金曜日

サバンナ・テラス


 5月は改元行事の狂騒が落ち着く間もなく様々な痛ましい事件が続いてしまいました。
特に理不尽に命を絶たれてしまった幼児・児童の事件は痛ましく、手を合わせずにいられないものがあります。連日のニュースは、どのチャンネルも事件の現場の様子をナマナマしく伝えました。幼い命を失った家族のことを思うとテレビを消してしまうこともしばしばです。被害を受けた子どもと同世代の子、子を持つ親、交通事故を起こした同世代、引きこもりから大量殺人に至ったといわれている加害者、現場を目撃した人たちと様々な
気持ちがニュースを受ける側に襲いかかる5月でした。
サバンナ・テラスのシマウマ
 いったい何が起こっているのでしょうか。
感じやすい人は、こうした社会的な事件の影響を受けやすく、自分も当事者に共感したような気持ちになり不安定になる人もいます。
感じやすいとは言えない私も今月ばかりは、集中できない気持ちと悲哀に襲われました。
 たまたま約束していた友達と月末にズーラシア(よこはま動物園)で一日をすごしました。アフリカを想定したサバンナ・テラスで
シマウマやキリン、ライオンののびのびした姿を追ううちに気分が晴れて元気がでてきました。
 元気がでればこうした事件の事実や背景に目をむけることができるでしょう。大きな事故の背景には小さなケアレスミスの積み重ねがあるはずです。大きな犯罪の背景には、個人ではどうにもならない社会のひずみがあるはずです。
 改めて事故・事件で亡くなられた子供たちと青年のご冥福をお祈りします。また病院で
治療を受けている方々の一日も早い回復を願います。
 


2019年5月10日金曜日

令和の薔薇  港の見える丘公園


 神奈川近代文学館の「松本清張展」にゆきました。松本清張氏は明治42年に生まれ平成4年に亡くなるまで大正・昭和・平成にわたり執筆活動をした作家です。会場には大きくたっぷりした体格を示すような自筆の原稿が並びます。取材ノート、写真、愛用のペンや映画になった作品のポスターなど、作家の日常に触れる展示でした。「西郷札」にはじまり、評伝や生涯興味をもって取り組んだ森鴎外の著作や2.26事件、下山事件など社会問題をテーマにした作品。映画化、ドラマ化された「砂の器」「点と線」などのポスター。新聞連載の挿絵の数々。松本清張氏は推理作家としての代表作が多い作家ですが、作家の興味は単純な犯人捜しではなくもっと深い人間の性をテーマにしていたのだと改めて思いました。
 文学館の外は港の見える丘公園 今そのバラ園・イングリッシュガーデンが見頃です。
 平成から令和へ改元に合わせた10連休も終わり
日常が戻ってきた昼下がり。栗の花のむんむんする匂いの中薔薇の香を求めて散策をしている人たちも楽しそうに見えました。
 改元前後は、街はかなりのフィーバーぶりでした。日本人ってこんなに天皇家が好きだったんだなあとテレビ番組を見て思いました。バラエティーだけでなくニュースや特別番組までも改元・改元を連呼するばかりであまり印象に残る番組がなかったのが残念です。
 その中で一般参賀での雅子皇后さまの「覚悟の笑顔」が清々しく映りました。
 平成から令和に積み残された問題はたくさんあります。外国人労働者の問題、貧困、人口減少、就労困難、少子高齢化、地域・健康格差、災害支援など「象徴」としての天皇家の役割も戦争犠牲者の慰霊、被災者の慰問だけにとどまらないことでしょう。
 こうしたテーマをもっとマスメディアが率先して取り上げることがあってもいいのではないでしょうか。
「なんか変わらないなあ」と思うのは私だけでしょうか。
 毎日休日の我世代の10連休は、公立保育園の休みに伴い保育要員として大いに働かされたのではないでしょうか。デパートやコンビニは、いっせい休業とはいかずいろいろ工夫していました。おかげで日常に困ることはありませんでしたが・・・。10連休まるまる楽しめた人たちは、どういう人たちだったのでしょう?
ちょっと気になるおばさんでした。
 

早春の妙高




妙高

連休前半の妙高高原は早春。静かな日本でした。

フキノトウ

フキノトウの天ぷら、こごみのお浸し、つくしの煮つけ、鳥の声
フキノトウの苦みは、アメリカ人の婿には??? これはわからないだろうな!

黒姫高原スキ―場でそり遊び 遠方に野尻湖
            ロングコースのそり遊びを満喫。雪がとければスキー場は
          畑に。東京では味わえない土の香りです。孫一絶好調!!




          おばあちゃんの歌う早春賦から婿のピアノで
             ビートルスメドレー 孫一乱舞!!

2019年5月8日水曜日

謡曲「経正」初舞台


日本刺繍に彩られた能装束
「風古木を吹けば、晴天の雨。月平沙を照らせば夏の夜の。霜の起居も安からで。仮に見えつる草の陰。露の身ながら消え残る。妄執の縁こそ。つたなけれ」

 琵琶の名手の平家の若武者が西海に一命を落とす.惜しんだ高僧の供養の琵琶の音に惹かれて冥途から立ち戻る若武者。もっと琵琶が弾きたかった!悔しい思いを舞い消えてゆく切ない物語が謡曲「経正」です。
 謡のお稽古では先生がワキを私がシテの「経正」の繰り返しの練習でした。発表会の当日、地謡の方々が後方に控えシテ・ワキを盛り立てます。地謡のシャワーを浴びてこんなにも能の世界が身近に感じられたことはありませんでした。
 客席は真っ暗で舞台から見えなかったこともありどっぷり声の世界につかったのがよかったのでしょうか。「言葉の意味はよくわからないが、何を言いたいかはよくわかった」という感想をもらうことができました。
 客席側とはちがい演じる側でライトを浴びた経験は、小学校の謝恩会の一人一芸(私は落語の寿限無をやりました。)以来、大人になって仕事で人前にたつ経験があるとは言え、感情を表現するというのは初めてでした。
 お稽古は、個々の役割の謡の形をきっちり学ぶというもの。人に言われたようになぞるなどもってのほかの年齢になりつつある身には、先生のだめだしが応えますが、すなおに聞いてよかった。きっちりできれば申し合わせで舞台は成立するということがよくわかりました。能はこうして650年の歴史を積み重ねてきているのですねえ。
形を踏襲することで「妄執の苦しみと癒し」を「経正」の言葉を借りて伝えてきているのです。すごいですねえ。



2019年5月7日火曜日

記憶は巡る


   六本木交差点から芋洗い坂の緩やかなカーブを道なりに下ってゆくと
 六本木中学校の桜の木が満開。その向かいのストライプハウスの大坪美穂さんの
 個展会場に入り、四方の壁の作品を見ながらゆっくり階下に下ってゆく。ここまで
 来て正面の大きな作品に出合う。大坪さんの大きな作品で印象的なのは、
 輝くような空気感。この前の個展の作品もそうでした。たぶん黒の線に苦労された
 のだと思う。描かれなかった空間から不思議な空気が伝わってきます、彼岸とでも
 いうのでしょうか。
  ここからまた作品を見ながら戻ると螺旋階段を上るような面白さがありました。
 会場の構造だけでなく、大坪さんの作品がそれぞれに表情を変えるからです。
 ブラックホールを彷彿させるような原点ともいえる作品群、年輪が
 消えてしまった木、インスタレーションは、?。そして鉛の作品。大坪さんの
 作品に横たわる痛みは、静かです。でも深い。
  大坪さんは、表現することを生業にして過去・現在・未来を自由に行き来している。
 作品を見る楽しみは、自分が経験したことのないような感覚を味わえることだと
 思います。鉛色ののっぺりした肌理を手掛かりに痛みの記憶が巡ってきます。
 螺旋階段を上っているのか下っているのか。もしかしたら水平移動している
 のかもしれない。 次はどんな世界に連れて行ってくれるだろうか。
 

 

おじいちゃんのコレクション



           いわずもがな 孫一アート  増殖中

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...