2019年5月8日水曜日

謡曲「経正」初舞台


日本刺繍に彩られた能装束
「風古木を吹けば、晴天の雨。月平沙を照らせば夏の夜の。霜の起居も安からで。仮に見えつる草の陰。露の身ながら消え残る。妄執の縁こそ。つたなけれ」

 琵琶の名手の平家の若武者が西海に一命を落とす.惜しんだ高僧の供養の琵琶の音に惹かれて冥途から立ち戻る若武者。もっと琵琶が弾きたかった!悔しい思いを舞い消えてゆく切ない物語が謡曲「経正」です。
 謡のお稽古では先生がワキを私がシテの「経正」の繰り返しの練習でした。発表会の当日、地謡の方々が後方に控えシテ・ワキを盛り立てます。地謡のシャワーを浴びてこんなにも能の世界が身近に感じられたことはありませんでした。
 客席は真っ暗で舞台から見えなかったこともありどっぷり声の世界につかったのがよかったのでしょうか。「言葉の意味はよくわからないが、何を言いたいかはよくわかった」という感想をもらうことができました。
 客席側とはちがい演じる側でライトを浴びた経験は、小学校の謝恩会の一人一芸(私は落語の寿限無をやりました。)以来、大人になって仕事で人前にたつ経験があるとは言え、感情を表現するというのは初めてでした。
 お稽古は、個々の役割の謡の形をきっちり学ぶというもの。人に言われたようになぞるなどもってのほかの年齢になりつつある身には、先生のだめだしが応えますが、すなおに聞いてよかった。きっちりできれば申し合わせで舞台は成立するということがよくわかりました。能はこうして650年の歴史を積み重ねてきているのですねえ。
形を踏襲することで「妄執の苦しみと癒し」を「経正」の言葉を借りて伝えてきているのです。すごいですねえ。



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