2022年2月13日日曜日

COVID 19 vs 分配



 今年のキーワードの一つに「分配」があります。漢字と読み方からいろいろな事柄の連想を生むのが日本語の特徴です。「分配」から私が連想してしまうのは「長男・長女の業」ところ。

日本では、「長男・長女」は、家族、一族にとって特別な意味を持って利権もはっきりしていますが最初に生まれたというだけで責任も大きいものがあります。江戸時代に完成し、明治・大正、昭和の社会の秩序のもとになってきた家父長制の中で「長男・長女」は生きてきました。戦後民主国家となって公平・平等が謳われても「長男・長女」は生きているんじゃないかと思います。困ったときには責任を負わされ、頼られる「長男・長女」、気ままで甘えん坊、いいとこどりの「その他」。「お兄ちゃん、お姉ちゃんのものは僕・私のもの、分配は、公平よ」というわけでござんす。

 「分配」の方法は僕・私の責任でやってと押し付けられる「長男・長女」。ここで問われる「長男・長女」の器!小さいながらも一生懸命公平になるよう気をつかいます。「その他」は、公平かどうかを一生懸命吟味する立場。生き方もおのずと変わってきて当然。これは、昭和時代の一つのホールケーキを囲んだ兄弟姉妹の風景です。

 

 「分かち合う」という言葉を知ったのは、もっと私が成長してから。みんなで分け合う。その場面には、目に見える「ホールケーキ」ではなく、目に見えない何かがある「鍋」がありました。「鍋奉行」は、いても利権がらみの「長男・長女」、虎視眈々の「その他」はいません。度重なる自然災害、パンデミックは、生活の基盤を揺るがしています。公平ばかりに気を遣う甘いホールケーキの分配で相手の大きさを気にしながらのおやつより、鍋奉行の暖かい「分かち合い」で量より満腹感のある食事に魅力を感じる今日この頃です。

 

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