2015年2月26日木曜日

プラント・ハンター バンクスの花譜集

絵葉書 バンクシア・セラルータ

友達と渋谷のbunkamuraザ・ミュージアムに行きました。バンクス花譜集の展示をみるためです。ジョゼフ・バンクスは 18世紀イギリスのアマチュア・ジェントルマンでキャプテン・クックの第1回航海に同行しオーストラリア・ニュージ-ランド・ポリネシアのさまざまな文物を採集しました。彼に雇われたシドニー・パーキンソンという博物画家が植物だけでなく風景、土地の人たちや生活など沢山のドローイングに取組みました。バンクスは帰国後それらを銅版画にしようとしました。彫版まで進んだところで彼の死とともに計画は頓挫。印刷に至らず大英博物館に収められたままになっていました。1980年100部限定で印刷された。というストーリーとともに120点の精緻な銅版画と珍しい植物の姿を楽しみました。マメ科やイネ科の植物は日本でもその似姿をみることができます。耳馴れないラテン名ばかりなのでどれと思いだせませんが美しい形は印象に残りました。多色刷りの美しい色彩には統一感がありますが当時採集したものは南方の光を受けて鮮やかでみずみずしく多様な色彩を放っていたことでしょう。
 200年前 キャプテン・クックは未開をめざし科学者を同行させて航海にでました。今 未開といわれるところは地理上にはないでしょう。宇宙から地球全体がくまなく見えてしまう時代です。残るは海の底と人間の脳の中くらいでしょうか。現代のキャプテン・クックはどこにいるのかな。バンクスやパーキンソンは? 14世紀から続いた大航海時代の富があればこそのキャプテン・クックの大冒険でした。が大航海がもたらしたものは富だけではなかったようです。お金の使い方がご立派!冒険は資金があるから達成できるというものでもなくそこには好奇心・執拗なこだわり・野心・ポジティブシンキング満々の人たちが集まってこその熱き想いがあるようです。初めてみたものを描く緊張感が展示された作品から伝わってきます。写真のように見たものを余すところなく写すのだという使命感も感じます。ところで当時クック船長たち西洋の人たちが未開と呼んだ社会・文化にも冒険心・野心・好奇心に満ちた人たちがいたことでしょう。未開は西洋人にとっての未開です。飛び道具や科学の知識は西洋と異なって当然です。西洋と環境が違うところで育つ植物も違って当たり前です。私も博物学は好きですが博物学の領域を超えて知らない相手を未開としてしまったことに西洋の驕りを感じずにはいられません。博物学がなかったら西洋の自然科学の発展もなかったでしょう。でもその代償は他民族の文化や経験を弱体化させ追い詰め西洋人の未踏の自然に西洋人がこぞって踏み込む結果となりました。写実を追及した絵には画家の思惑とは別の誘惑と毒もあるように思います。
雑誌National geography に紹介されたオーストラリアの古代壁画から
精緻な多色刷り銅版画の植物が見せる自然へのこだわりとアボリジニやマオリ族の日用品のおおらかな文様が見せる自然。どちらもありと思います。西洋の人にはアボリジニやマオリの人たちの描くおおらかな線は描けなかったことでしょうし,アボリジニやマオリの人たちもまた西洋人のようには自然の形はとらえないでしょう。それでいいのになぜか風は西から吹いてしまいます。
 
  

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