2022年11月23日水曜日

おばあちゃん 東京に帰る


 孫美生後1か月,体重4㎏,一回り大きくなりました。若いパパ、ママに孫美を託しおばあちゃんは、東京にかえります。

 70歳まじか、東京で単身生活を満喫しているおばあちゃんには、この1か月久しぶりのご公務となりました。新生児を抱えた新人パパ・ママ応援の足手まといにならないよう頑張ったおばあちゃんです。時間があれば散歩、ストレッチ、昼寝にいそしみ、東京生活の延長になるよう心掛けましたが、最低限の家具・調度のコンドミニアム、スープの冷めない距離での生活に、なかなか慣れないまま東京に帰る日を迎えました。
 若母に作る食事は、母乳がでるように汁物メニューのオンパレードも2週間が限界。母乳がでるようになってよかったです。頸のすわりまでもう少しです。

 自分の40年前の出産のときを思うと、産科のサービスもきめ細かくなりました。若い親には、助産師の訪問や携帯電話での検索機能の進化、育休制度は、多いに助けになっているように思えます。それでも見守り、声をかけてもらえる家族の存在は、心強いのではないでしょうか。私のときどき出産・育児経験談も今なら素直に聞いてもらえるようです。いづれ自分たちの経験、工夫で育児スタイルを構築してゆくでしょう。
 素直な親たちは、孫美からいろいろな事を学んでいます。私たちがそうであったように。孫美の力は絶大で親たちに元気と平和と幸福を与えています。おばあちゃん鏡をみながら「皺ふえたんじゃない?」。世界人口80億になりました。若い生命はどんどん先人たちのエネルギーを吸収して成長していくようです。くわばら!くわばら!おばあちゃん ここでいったん撤退です。
 いろいろな育児情報と社会サービスが彼らを助けてくれると思いますが、スキマスイッチのおばあちゃんの役割もまだまだありそうです。



 

2022年11月22日火曜日

今年の紅葉狩り(鶴見緑地公園)

小鳥の来る街
大阪市環境局ゴミ収集車のメロディ
歌:島倉千代子
大池付近 秋まじか

国際庭園の秋の始まり

鶴見緑地駅から中央通りのメタセコイヤ並木

こどもの森付近の紅葉

アメリカフウ(モミジバフウ)

モミジバフウの実は、まっくろくろすけ



楓に囲まれたこどもの森


今年一番の赤

2022年11月21日月曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 天神橋繁昌亭・枝さんの会

 大坂に来たら上方落語を聞いて帰らないわけにもいくまいと、天神橋に出かけました。雨の御堂筋ならぬ

天神橋!




女の好むものに「芝居・浄瑠璃・芋蛸南瓜」と言ったのは、井原西鶴でした。今日の
落語の枕にもでてきました。「いもたこなんきん」は、2006年の田辺聖子の自伝を
ベースにした朝ドラのタイトルにもなりました。あのドラマの商店街のモデルはこの
あたりの天満北商店街とか。
 上方落語は、見台をバチバチたたいて語るものと枝雀の姿が思い出されましたが
今回は見台がなく・・・。枝三郎師匠の説明では、近頃マイクの感度がよくなって
バチバチは、必要なくなったということのようです。落語初心者にも興味がもてる
ような落語の筋の背景を面白おかしくネタにしながら話してくれました。この辺り
さすがです。 背景になる時代、生活を知らないと何が面白いかわからない落語、
お蔭で最後まで楽しめました。 工夫、苦労あってこその落語です。コロナ禍で、
空席にお客の写真をかけるという工夫をして空席分を売って凌いだという話も
大阪らしいなあ。ちゃんと落ちもついての枕になってました。
 工夫といえば枝三郎師匠、二人の若手を盛り立てるのにもウルトラCが。
たたいて見せ、やって見せ。ここかしこで「ちゃんとみてろよ」サインを楽屋に送り。
お客を味方につけての若手育成、お見事でした。

      犬の目      三太郎
      6尺棒        枝三郎 
      おばけ白洲      枝三郎
      お忘れ物承り所
         (三枝作) 枝之進
      いたりきたり                  枝三郎
      出囃子                 糸京子




 追伸:枝三郎師匠の 「いたりきたり」は、新作のようです。
  「いったりきたり」「でたりはいったり」「のらりくらり」「・・・・・・・」
と反対の言葉を並べて名前をつけ、ものごと視点をかえれば同じことだよ
 という落語 落ちは「願ったり、かなわなかったり」 気持ちはわかる!
 精進してください。きっといい落語になると思います。
 私のような「大阪に来たから上方落語いってみよ」から「米朝知ってる、枝雀も
聞いてた。三枝一門だからきいてやろう」まで聞き手も多様な朝の会。きっと若手
にはよい道場なのでしょう。それも含めて楽しかったです。
特に朝いちばん「犬の目」というシュールな落語を枕なしで、いきなり始めたお兄
ちゃんの不思議な噺が、醸す目が点の客席。2番手、枝三郎師匠が上手に軌道修正
したところシニアのあるべき姿をみたようで勉強になりました。枝雀、春団治、
米朝、三枝のもの真似をさりげなくこなす師匠もすごいが、シーンとする客席を
相手に最後までやりきった若手もまた別の意味ですごいなと思いました。

 

2022年11月19日土曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 大坂天満宮

 

天神様で有名な大阪天満宮 七五三のお参りでにぎわっていまし
た。孫美のかわいい着物姿がみれるといいなああ。 
 天満宮の歴史は、ふるく奈良時代孝徳天皇の難波宮の西北の守り
として立てられました。650年ごろのことです。その後菅原道真が
大宰府に下向するときによられ、旅の無事を祈願しました。
 903年菅原道真が亡くなり、50年後松の木がこの社の前に7本生えて毎夜光ったといわれます。飛梅といい、松の木といい菅原道真公は、なかなかの天神様だったようです。
 天神様と牛 なぜ牛? 菅原道真が誕生された845年は、乙丑(きのとうし)。道真公は、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言されました。墓所は、丑寅の方向に天神さんと丑の繋がりがこうして生まれたとのことで、境内に2匹の牛の彫像が鎮座していました。

 七夕神事も行われていました。星合池には、梅の花を模した皿が浮かんでいて梅玉を投げて出会いや運を占うというスポットがあります。今は枯れてしまいましたが大阪4大清水「天満天神の水」の湧水もありました。
星合池
 天満宮の主祭神は菅原道真公です。天満宮の紋は、かわいい梅鉢紋。菅原道真との関係は・・・ない。天神さん、天神さんと大阪庶民に愛され、神様に祀られた道真公と都落ちを強いられた才能へのオマージュなのでしょう。境内の梅の木も古く太くどっしりしてこの地に根付いています。

 天満宮で忘れてならないのは、6月下旬から7月25日までの約1か月行われる天神祭。京都祇園祭り、東京神田祭りとならぶ3大夏祭りです。25日の淀川船渡御は、一度はみてみたい祭りです。天神の神は、菅原道真公。天満は、★の事です。これで天神なのか天満なのか旅人は混乱しないですみそうです。

 京都は陰陽との関係で★にちなんだ旧跡がいろいろあって面白いのですが、大阪の
★は、陰陽ではなく近世天文学ではないでしょうか。というのも江戸後期この天満宮
近く御堂筋あたりに浅田剛立という天文ずきが「先事館」という天文塾を開いていま
す。緒方洪庵の適塾も徒歩圏内にあります。彼らもまた天神祭りを楽しみ、天神さん
に祈願をしていたことでしょう。
大坂メトロの情報誌「アルキメトロ」秋号特集「大阪ヒーロー推しの旅」で
理系ヒーローが紹介されていました。浅田セブンズ(浅田剛立・高橋至時・
間重富・中天游・緒方洪庵・橋本宗吉・山片蟠桃)といわれる理系ヒーローの
旧跡はこのあたり一帯にありました。

 やっぱり天神さんは、学問の神様のようです。 受験生よ集まれ!

2022年11月16日水曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 中央区中之島「大阪市中央公会堂」

 北浜は、淀川を利用した交易の中心地「船場」といわれたところです。山崎豊子の「ぼんち」の舞台になったところです。その活気、商業都市大阪の象徴のような建物が「栴檀木橋」をわたったところにありました。「大阪中央公会堂」。


  高い天井、大理石の壁、ばりばりの西洋建築です。近代日本の経済を先導した人たち、フロックコートを着こなした渋沢栄一たちの姿が見えるようです。

1909年渡米実業団の足取りも知るこ
とができます。この建物では、近代
日本経済の光と影を知ることができ
ました。この建物に私財を投じた
岩本栄之助(1877-1916)の人生
は、39年。この建物の完成の2年前
になります。第1次世界大戦後の
高騰相場の莫大な損失を抱えての
ピストル自殺でした。「義侠の相場師」であった岩本氏は、投機での儲けを公共に還元することを矜持としていました。建築目的は、自身の資産としてではなく公共に資する建物をめざしました。 大阪市に寄付したお金を自分の窮地に補填することもしませんでした。
 今日大ホールでは、新学期にむけての教科書展示会を小学校  の先生対象に開催されていました。小会議室には、市民団体のグループが活動していました。地下のレストランには、予約待ちの市民が並んでおりました。公共施設の役割を十分果たしていると思います。生きている国重要文化財というところです。


 

2022年11月14日月曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 中央区北浜「適塾」

  小春日和を満喫しています。 京阪本線の淀屋橋駅から長く昭和の空気の残る通路を通って19番出口を出るとそこは、雪国ではなく川沿いに開けた高層ビル群の街でした。川は、淀川。目の前にかかる橋は「栴檀木橋」です。多くの医学者・政治家の卵たちが洋学を学んだ「適塾」の建物は、橋を渡らず南側の北浜2丁目の信号からすぐのところにありました、

 この建物は敷地464㎡、木造2階だてです。 重要文化財として大阪大学が管理をしています。「適塾」の主は、緒方洪庵(1810~1863)岡山県で生まれ、16歳で元服し父に伴われて大阪に。54歳と短命な生涯でしたが「太く短い」人生でした。が、なしたことは、6男7女の父、開いた学塾には全国から1000人近い若者を集め、輩出した塾生が日本の近代化の原動力として働いたことは、周知のごとくです。医者として種痘の普及に多大な貢献もしています。もちろん夫人「八重」さんの一方ならぬ貢献あればこそと思います。江戸末期女性は、武士の家の要の役割を全うしました。八重さんの肖像写真に、前を向いた凛とした御姿が残っていました。
急な階段

 
 畳に座って塾生が起居した大部屋を眺めていると汗臭い若者たちの活気や袴をたくし上げて急な階段を威勢よく昇り降りする姿がよぎります。和蘭語の辞書をひく塾生の熱気と緊張感も交じって、往時この建物の2階はいかなる空間だったのかと思うとわくわくしてきます。整然とした室内と決して多くない展示物が語りかけてくるものは大きいものがありました。
 









勝手口 そこに「仁」がいるのでは?


2022年11月11日金曜日

おばあちゃん 大阪を行く 天王寺区餌差町真田丸

 小春日和の日曜日、大阪城の南 森ノ宮にある大阪カトリック玉造教会にゆきました。正面入り口に、高山右近と細川ガラシアの彫像があり秋の空を仰いでいます。教会の中には、堂本印象の大きな聖母子の金箔の日本画がかかっています。


高い天井をさらに高く周囲のステンドグラスの大窓からの日差しが堂内を満たし仏教とは違う天国を表現しています。
 ここから南方へ緩やかな坂を下ってゆきます。途中大阪女学院大学。こちらは創建明治。アメリカ人宣教師によるものです。大阪カトリック教会は、戦国時代を生き抜いたヨーロッパからのキリスト教。大阪女学院大学は、明治の女子教育を支るアメリカのキリスト教。キリスト教文化が根づいてきた歴史を感じさせる坂道です。
 


 下りの坂道は、空堀町という信号と広い車道で終わります。入り組んだ道を通り今度は上り坂になります。ここが餌差町、大阪夏の陣の主戦場となった出城真田丸跡になってきます。坂を上りながら大阪城を背負って戦った真田軍の覇気に思いをはせたくなる坂です。真田丸碑、真田信繁墓碑がある寺は、この坂のてっぺんにあります。名残はこれだけではありません。坂の東にある三光神社には、真田丸から掘られた抜け道の石造りの出入り口跡があります。坂を挟んで風景は、今昔大きく変わっていますが、大阪城を背に坂をくだり、再び上ったところから見る大阪の空、町に、「来てよかった!歴史は歩いて感じるものだ。」この地の利の実感は、小説や映画では、得られない空気感のようなものを補ってくれました。
真田丸からの抜け道
三光神社境内









 

 徳川幕府は、大阪城、真田丸をことごとく破壊してしまいましたがこの坂の登り口には、歌舞伎「阿波の鳴門」で有名な生き別れた母子が再会する舞台となったどんどろ大師善福寺(真田軍戦死者慰霊の寺が廃寺になったあとに建てられたそうです)坂の上のお寺には、真田軍後藤又兵衛の子孫ともいわれ、江戸時代大阪の博学者・文人画家の木村兼葦堂の書斎跡があります。往時様々な文化人がこの坂を往来したのでしょうか。
 この界隈 禁教令に迫害され、殉教する人々、太閤さんの御威光、燃える大阪城、迫る徳川軍、はためく無数の六文銭がいまだに感じられる町でした。
 三光神社向かいの狸狸亭(ぽんぽこ亭)でビールにお好み焼きのランチ。 充実の俄・歴婆ちゃんでした。
坂下のどんどろ大師「阿波の鳴門」

 
 


2022年11月9日水曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 東大阪 鶴橋~下小坂 司馬遼太郎記念館

 東大阪には、司馬遼太郎記念館があった。 アプリの地図をみながらおばあちゃん、one day hikeを物色中に思わぬ発見。近いじゃないか

 近鉄奈良線河内小坂の駅を降りると商店街に大きな看板 わかりやすい!が
商店街が終わったところでまっすぐ行ってはいけない。小坂神社脇の小道を道なりに行くと秋色に染まる雑木林が見えてきました。

 書斎をガラス越しに外からながめ、安藤忠雄氏設計による司馬遼太郎記念館に。趣味はないという司馬氏が執筆の傍ら疲れをいやした庭が広がります。庭というより、雑木林に住むという感じでしょうか。司馬氏の好んだ花は、菜の花で2月の命日は、菜の花忌といってこの館を愛するご近所さんが菜の花を持ち寄るそうです。


壁一面書籍に囲まれた記念館の空間は、整然としています。並べられている書籍の題名を読んでいるだけで1冊の本の世界に入り込んでしまったような錯覚にとらわれ、出口を見失ってしまいそうになりました。
 ガラス越しにみられる書斎は、1996年に2月12日に亡くなった日から26年、そのままだそうだ。その部屋も整然としていたのが印象的でした。おそらく同時代のダークサイド松本清張は、こうはいかないだろう。とキャラの違いは、どうだったのだろうなどといらぬ興味がわきました。
 
生前のまま残されている書斎

 私の母と同世代で戦後混乱期を生き抜いた作家の作品は、子供世代の私の思春期を大いにわかせてくれたものです。大河ドラマや親の読む週刊誌にその名をよく見ていたからです。それだけでなく司馬氏の日本人論は、戦争に負けた大正生まれの父たち戦前派世代に勇気と気概をあたえたのではないでしょうか。司馬遼太郎氏の黒縁眼鏡とモンブランの万年筆、虫眼鏡になつかしさを覚えました。
 

 この記念館を訪問する前に鶴橋の商店街にある司馬遼太郎実家跡を尋ねました。鶴橋の商店街をみていなかったら司馬氏の蔵書群に圧倒されるだけで終わってしまったのではないかと思います。司馬氏の蔵書・資料に見られる底なしのエネルギーの原点は、まさに商店街の福田薬局の実家にあるのではないかと思い当たりました。少年時代を過ごした商店街、卸市場界隈の雑踏が好奇心を底なしに育てたのではないかと思います。
 鶴橋の駅を東西南北に縦横無尽に広がる商店街が全体像をつかみたくなる衝動を育てたのではないかと思いました。

 司馬氏は、産経新聞に入社した当時、新聞記者の仕事を「こんな面白い商売は、ない」と思ったそうです。新聞記者から歴史小説家へ。彼のフィールドは、いつまでも走り回れる商店街の中なのかもしれないと鶴橋と下小坂を歩いて思わずにいられませんでした。司馬遼太郎の本領が発揮されたのは「国盗り物語」「城塞」「関ケ原」の戦国3部作といわれます。混沌とした時代を主人公の生き方を通してこだわり続けて見える景色は、今の時代の迷える子羊に、なにかを示してくれるかもしれません。「燃えよ剣」「峠」が映画化されたのもそんな時代のアンコールからかも。

福田薬局跡
 
 司馬遼太郎は、晩年若い人たちの未来に希望を託していることを今回の展示で知りました。「21世紀に生きる君たちへ」 若い命がないがしろにされる社会になりつつある日本。
司馬遼太郎生誕100年企画を前に「世界の中の日本人とは、」を問いなおすムードが高まることを期待したいと思いました。
 

2022年11月5日土曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 旭区新森

 孫一に従妹ができました。孫美が生まれて3週間 おばあちゃんは

大阪に滞在してママとパパのヘルプをしています。といってもママもパパも
一生懸命に孫美の世話をするのでおばあちゃんは、近頃、朝食と
あやし方アドバイスとよいしょに徹し、散歩と昼寝と・・読書三昧 
ときどきパソコンという贅沢な生活をしています。東京の生活とそう
変わりませんが、赤ちゃんの寝顔や泣き声と一喜一憂する若い親に
接せられるのが新鮮で贅沢です。同時に自分の年齢を感じてときどき
さみしくなりますが・・



 この町は、なかなか味わいのある町のようで
散歩も楽しいものがあります。
 大きな公園には、乗馬クラブがあり毎朝私の
散歩時間に10頭ほどの馬が馬場を軽快に走っています。
それだけでも気持ちの良いもの。天高い秋には馬が
よく似合います。



 

 商店街は、南北東西に軒を並べてにぎやかです。昭和の匂いがプンプン
しています。遅くまで公園であそんでいる子も多く見かけます。やんちゃ系
のお兄さん、おじさんたむろして楽しそうに話している姿もよく見かけます。
ここでは井戸端会議が顕在です。子ども食堂が近隣に2つ、保育園と
デイサービスが道路をはさんでむきあっています。お巡りさんたちと自転車の
接触事故も残念ながらよく見かけます。
 孫美は、この町で大きくなってゆくのでしょう。土の匂い、木の匂いのする
大小の公園が点在し、隣近所のおばちゃん、おじちゃんが朝早くから動きまわる
気配が感じられるこの町、アミューズメントパークのような商店街。
散歩すればするほど発見がある町です。今日は、商店街にちょっとした古本屋を
みつけました。人気の回転焼き屋は、今日は暇そうに見えました。
ちゃんちゃんこを売っているお店はひとつではありません。
ミカンを買えばおまけにひとつ袋に突っ込まれ、和菓子屋では、栗の入ったお菓子を
出してもらい「最後のひとつがあるよ。どう?」と突っ込まれました。
  大阪でおばあちゃんはいたって元気にやってます。





バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...