2022年11月11日金曜日

おばあちゃん 大阪を行く 天王寺区餌差町真田丸

 小春日和の日曜日、大阪城の南 森ノ宮にある大阪カトリック玉造教会にゆきました。正面入り口に、高山右近と細川ガラシアの彫像があり秋の空を仰いでいます。教会の中には、堂本印象の大きな聖母子の金箔の日本画がかかっています。


高い天井をさらに高く周囲のステンドグラスの大窓からの日差しが堂内を満たし仏教とは違う天国を表現しています。
 ここから南方へ緩やかな坂を下ってゆきます。途中大阪女学院大学。こちらは創建明治。アメリカ人宣教師によるものです。大阪カトリック教会は、戦国時代を生き抜いたヨーロッパからのキリスト教。大阪女学院大学は、明治の女子教育を支るアメリカのキリスト教。キリスト教文化が根づいてきた歴史を感じさせる坂道です。
 


 下りの坂道は、空堀町という信号と広い車道で終わります。入り組んだ道を通り今度は上り坂になります。ここが餌差町、大阪夏の陣の主戦場となった出城真田丸跡になってきます。坂を上りながら大阪城を背負って戦った真田軍の覇気に思いをはせたくなる坂です。真田丸碑、真田信繁墓碑がある寺は、この坂のてっぺんにあります。名残はこれだけではありません。坂の東にある三光神社には、真田丸から掘られた抜け道の石造りの出入り口跡があります。坂を挟んで風景は、今昔大きく変わっていますが、大阪城を背に坂をくだり、再び上ったところから見る大阪の空、町に、「来てよかった!歴史は歩いて感じるものだ。」この地の利の実感は、小説や映画では、得られない空気感のようなものを補ってくれました。
真田丸からの抜け道
三光神社境内









 

 徳川幕府は、大阪城、真田丸をことごとく破壊してしまいましたがこの坂の登り口には、歌舞伎「阿波の鳴門」で有名な生き別れた母子が再会する舞台となったどんどろ大師善福寺(真田軍戦死者慰霊の寺が廃寺になったあとに建てられたそうです)坂の上のお寺には、真田軍後藤又兵衛の子孫ともいわれ、江戸時代大阪の博学者・文人画家の木村兼葦堂の書斎跡があります。往時様々な文化人がこの坂を往来したのでしょうか。
 この界隈 禁教令に迫害され、殉教する人々、太閤さんの御威光、燃える大阪城、迫る徳川軍、はためく無数の六文銭がいまだに感じられる町でした。
 三光神社向かいの狸狸亭(ぽんぽこ亭)でビールにお好み焼きのランチ。 充実の俄・歴婆ちゃんでした。
坂下のどんどろ大師「阿波の鳴門」

 
 


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