東大阪には、司馬遼太郎記念館があった。 アプリの地図をみながらおばあちゃん、one day hikeを物色中に思わぬ発見。近いじゃないか
近鉄奈良線河内小坂の駅を降りると商店街に大きな看板 わかりやすい!が
商店街が終わったところでまっすぐ行ってはいけない。小坂神社脇の小道を道なりに行くと秋色に染まる雑木林が見えてきました。
書斎をガラス越しに外からながめ、安藤忠雄氏設計による司馬遼太郎記念館に。趣味はないという司馬氏が執筆の傍ら疲れをいやした庭が広がります。庭というより、雑木林に住むという感じでしょうか。司馬氏の好んだ花は、菜の花で2月の命日は、菜の花忌といってこの館を愛するご近所さんが菜の花を持ち寄るそうです。
壁一面書籍に囲まれた記念館の空間は、整然としています。並べられている書籍の題名を読んでいるだけで1冊の本の世界に入り込んでしまったような錯覚にとらわれ、出口を見失ってしまいそうになりました。
ガラス越しにみられる書斎は、1996年に2月12日に亡くなった日から26年、そのままだそうだ。その部屋も整然としていたのが印象的でした。おそらく同時代のダークサイド松本清張は、こうはいかないだろう。とキャラの違いは、どうだったのだろうなどといらぬ興味がわきました。
私の母と同世代で戦後混乱期を生き抜いた作家の作品は、子供世代の私の思春期を大いにわかせてくれたものです。大河ドラマや親の読む週刊誌にその名をよく見ていたからです。それだけでなく司馬氏の日本人論は、戦争に負けた大正生まれの父たち戦前派世代に勇気と気概をあたえたのではないでしょうか。司馬遼太郎氏の黒縁眼鏡とモンブランの万年筆、虫眼鏡になつかしさを覚えました。
この記念館を訪問する前に鶴橋の商店街にある司馬遼太郎実家跡を尋ねました。鶴橋の商店街をみていなかったら司馬氏の蔵書群に圧倒されるだけで終わってしまったのではないかと思います。司馬氏の蔵書・資料に見られる底なしのエネルギーの原点は、まさに商店街の福田薬局の実家にあるのではないかと思い当たりました。少年時代を過ごした商店街、卸市場界隈の雑踏が好奇心を底なしに育てたのではないかと思います。
司馬氏は、産経新聞に入社した当時、新聞記者の仕事を「こんな面白い商売は、ない」と思ったそうです。新聞記者から歴史小説家へ。彼のフィールドは、いつまでも走り回れる商店街の中なのかもしれないと鶴橋と下小坂を歩いて思わずにいられませんでした。司馬遼太郎の本領が発揮されたのは「国盗り物語」「城塞」「関ケ原」の戦国3部作といわれます。混沌とした時代を主人公の生き方を通してこだわり続けて見える景色は、今の時代の迷える子羊に、なにかを示してくれるかもしれません。「燃えよ剣」「峠」が映画化されたのもそんな時代のアンコールからかも。
福田薬局跡 |
司馬遼太郎は、晩年若い人たちの未来に希望を託していることを今回の展示で知りました。「21世紀に生きる君たちへ」 若い命がないがしろにされる社会になりつつある日本。
司馬遼太郎生誕100年企画を前に「世界の中の日本人とは、」を問いなおすムードが高まることを期待したいと思いました。
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