2022年11月14日月曜日

おばあちゃん 大阪をゆく 中央区北浜「適塾」

  小春日和を満喫しています。 京阪本線の淀屋橋駅から長く昭和の空気の残る通路を通って19番出口を出るとそこは、雪国ではなく川沿いに開けた高層ビル群の街でした。川は、淀川。目の前にかかる橋は「栴檀木橋」です。多くの医学者・政治家の卵たちが洋学を学んだ「適塾」の建物は、橋を渡らず南側の北浜2丁目の信号からすぐのところにありました、

 この建物は敷地464㎡、木造2階だてです。 重要文化財として大阪大学が管理をしています。「適塾」の主は、緒方洪庵(1810~1863)岡山県で生まれ、16歳で元服し父に伴われて大阪に。54歳と短命な生涯でしたが「太く短い」人生でした。が、なしたことは、6男7女の父、開いた学塾には全国から1000人近い若者を集め、輩出した塾生が日本の近代化の原動力として働いたことは、周知のごとくです。医者として種痘の普及に多大な貢献もしています。もちろん夫人「八重」さんの一方ならぬ貢献あればこそと思います。江戸末期女性は、武士の家の要の役割を全うしました。八重さんの肖像写真に、前を向いた凛とした御姿が残っていました。
急な階段

 
 畳に座って塾生が起居した大部屋を眺めていると汗臭い若者たちの活気や袴をたくし上げて急な階段を威勢よく昇り降りする姿がよぎります。和蘭語の辞書をひく塾生の熱気と緊張感も交じって、往時この建物の2階はいかなる空間だったのかと思うとわくわくしてきます。整然とした室内と決して多くない展示物が語りかけてくるものは大きいものがありました。
 









勝手口 そこに「仁」がいるのでは?


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