2022年9月2日金曜日

夏の自由研究


 孫一 小学校3年生の夏 夏休みらしい

夏休みになりました。

8月30日の自由研究!

これから!!というわけでおばあちゃん

も駆り出されました。

孫一もそれなりに自由研究を意識して

いるらしく「世界に国はいくつあるの?」

という研究疑問を挙げてくれました。

おそらくは、ママの努力の成果でしょう。ママに感謝!

 世界の国の数? おばあちゃんだって知りません。机の下でググったら

196!!!「パソコンで調べる」「地球儀をつかって数える」の両面作戦

でいこうということになりました。地球儀をぐるぐる回しルーレットのように

して孫一が見つけた国は、順番に・・ソビエト・モンゴル・イラン・

アフガニスタン・サウジアラビア・ケニア・インド・フィンランド・フランス

タイ・ヴェトナム・デンマーク・モロッコ・ガーナ・トルコ・日本・

オーストラリア・インドネシア・マレーシア・マリ・パキスタン・スーダン

・スペイン・ルーマニア・韓国・グリーンランド・パプア、ニューギニア・

ニュージーランド・ブラジル・フィリピン・ペルー・

アルゼンチン (33)

 この地球儀は、ママが小学校のときに購入したものだから国名が変わって

しまったものもあり、最初にソビエトを見つけたときには、「アッ もうない!」

「どうやって説明しようか」まごまごしているうちに孫一も調子がでてきて、

いろいろな国名をみつけて喜んでいます。パズルのような色分けされた国の

カタカナを真剣に見ている姿がなんともかわいい孫一でした。

「なにかわかったことある?」

「国の数は、33以上あるってことがわかった。」

「モロッコとパプア・ニューギニアがどこにあるかわかった」 孫一しぶいねえ

「パプア・ニューギニアが島だとわかった」なぜかパプアニューギニアにこだわる孫一。

そこでおばあちゃん 「ダディーがどこから来たかさがしてみようか」

孫一:「あった!! えッ こんな遠いところなの?」

おばあちゃん:「すごいねえ」

孫一:「うん ダディーは、すごい」

  地球儀で孫一は、いろいろな発見ができました。私も発見しました。

「ググっただけでは、国が地球のどこにあるかわからないだろうな。

大陸とか島とか、隣の国はどこかとか。言葉で説明するまでもなく知ること

ができるのだ。」小学生の間は、もっともっと一緒に探す楽しみを味わいたい

ものだと思いました。

 それにしてもダディーの国、アメリカのおばあちゃんの住んでいる町を

見つけたときの孫一のパッと明るくなった表情は忘れられません。

ダディーが安心して息子を連れて帰れる国になってほしいなあと

アメリカ大陸を見ながら思いました。





2022年8月17日水曜日

偏西風と戦争

  77回目の8月15日 2月に始まったロシアのウクライナ侵攻、3年目を迎える

コロナ禍の夏、昨年を上回る猛暑日の連続と地方を襲う線状豪雨帯、それに続く

土砂災害や河川の氾濫と。残りの夏を乗り切れるだろうかと思いつつ、戦没者慰霊

のテレビ番組を見ていました。毎年、天皇皇后が、頭を下げられる姿を見て思う

ことがあります。「ごめんなさい」なのか 「安らかにお眠りください」なのか。

 列席している政治家は、何を思うのか「もう二度とやらせません」なのか

「こんどこそ」なのか。戦争で家族を亡くした人たちも 沖縄、戦争記念碑、

災害地に赴く天皇・皇后の姿に今も昔もかわらず日の丸を振ってしまう日本人。 

「やめてほしい」という国があるにもかかわらず普段神仏にお参りすることも

ないだろう政治家がこの日あえて靖国神社に詣でるセレモニーも私は不思議で

しようがありません。

 このウクライナ侵攻のニュースの影響もあって戦争は、現在進行形になり、

若い世代にとって、戦争は、おばあちゃん、おじいちゃんの話ではなく

なってしまいました。

 人類の歴史では、気候が不安定になると戦争が引き起こされやすいといわれます。

さもありなん。気候に依存している作物の恒常的な供給が滞ります。戦争・災害で

生活基盤をなくしてしまう人は、世界中に増えてきています。

 全体主義だろうが民主主義だろうが持てる者が持たざる者に手をさしのべなければ

人類は、気候変動で多くの犠牲を払うことになるでしょう。とはいうものの人間は

不思議なことに財産・地位名誉もあり健康なひとほど自分は、持たざる者と思って

いるようです。

 世界に遅れをとるまい、優秀な民族だという強い自負心を顕示したい心理

を抑えられたら、生活を支える農業を生業にする人たちの困窮に耳目を開く

政治家が大勢いたら、集団の価値より個人の価値観を大事にする教育や親たちが

いたら、武器を作る人、売る人にその結果を想像する力があったら、神の言葉を

洞察できる宗教家がいっぱいいたら、100人が反対しても「戦争は、やらない」

「武器・軍隊を持たない」と人前でいえる勇気のある国民がたくさんいたら・・・

 これからおこる地球の変化、社会の変化を乗り越えてゆけるように思いますが、

どうも逆の方向に舵がきられているのではないかと思う8月15日になってしまいました。

 

今来てほしいのは、君じゃない!
 

 

 



2022年7月19日火曜日

三位一体


 
 
祈りの形 住吉大社 七夕飾り

 大阪住之江 住吉大社にゆきました。 遣唐使発祥の地でもあり、歴史も古く大きな石燈籠に囲まれ、大社は、にぎやかさ明るさの中にも厳かな雰囲気を漂わせていました。大社内を順繰りに回りながら手合わせる人たちは、観光客ではありません。こうして今も昔もお祈りする場を大切にしてきていることが新鮮に思えました。大阪は、神社がよく似合います。京都は、お寺さん 東京は・・・教会かな 根拠なき印象ですが。

 大阪から帰る日 元首相が凶弾に倒れたニュースが日本中を席捲しました。マスコミは、しばらくこの話題で持ち切りとなり、その後行われた参議院選挙結果の吟味もそこそこになってしまいました。あれから2週間。今マスコミのターゲットは、元首相と犯人の背景にある某宗教団体です。

 このブログのタイトルに三位一体としたのは、政治・社会・宗教の関係の深さを示そうと思ったからです。この関係を監視する役割がマスコミにあると私は思います。某宗教団体は、過去にも大きな社会問題として報道されました。それを思いだし監視の役目をはたしてこれなかったマスコミや社会の問題を考えずにおれませんでした。マスコミにかかわる人たちも日本社会も、宗教に立ち入ることへの怖れがあったのでしょう。

 ビジネスでよい関係をつくるには、政治と宗教と野球の話は、するなと職場でよくいわれてきました。なるほど熱くなる話題ですが、相手を知る重要なキーワードです。知ってこそ相手とのソーシャルディスタンスを知ることができます。 その対話の場がfaace to faceからスマホを通してネット上に移ってきているのが現代です。熱くなる話題も多様になってきていますが、その場の話題が深まることは、期待できません。

 「あなたの信じているものはなんですか」と聞くと「自分です。」と答える人は、多いと思います。大正生まれ、28歳で終戦、戦後混乱期から高度成長期へ家族を守り生き抜いてきた父もそう言ってはばかりませんでした。戦後75年 敗戦を認めない社会、憲法が変わるかもしれない社会に生きる戦後世代のシニアは、face to faceを避け、信じることに後ろ向きで、自分すらもままならない若い人たちとどう接したらよいのか戸惑うばかりです。今回は、戸惑いながらその一端を担ってきているという反省を込めて書きました。


祈りの形 カトリック教会内部




 

2022年6月12日日曜日

大人の遠足

神奈川近代文学館企画の遠足コースは、東海道大磯宿 

 

風が抜ける藤村書斎

  出発は、JR大磯駅近くの島村藤村の終の棲家に
 始まり、澤田美喜記念館、洋館木下邸(大磯迎賓館)
 でランチ、吉田茂別荘 →三井家別荘城山荘跡地
 城山公園内大磯郷土資料館をめぐりました。
  司馬遼太郎「街道行く」は、日本人探しの旅ですが
  75年前の敗戦当時の日本社会にあって戦争反対で
 投獄されていた吉田茂氏が戦勝国を相手に舵取り
 をした時代。解体された日本のオリガルヒ 財閥の一人
 で戦中・戦後の外交官婦人だった澤田美喜氏の模索。 
 敗戦の混乱に翻弄される中で見失いたくない「日本の
 誇り」「小さきものへのまなざし」「命の大切さ」
「希望を失わない強さ」。大人の遠足は、さながら
「街道をゆく」の取材旅行のようでした。



   

    澤田美喜氏は、外交官婦人として戦勝国からの威圧を正面から受ける立場に
   ありました。彼女の教養と知性をもってしても敗戦の受容や立ち直りは容易
   なことではなかったと想像します。彼女が帰国の途中にキリスト教の
   殉教26聖人・隠れキリシタンの存在を知り、遺物の収集に全力を注いだ
   背景には、「敗戦に負けるものか」「理不尽な仕打ちにあっても人間として
   の誇りを捨てなかった日本の人たちの存在と歴史を守りたい」という気持ち
   があったはずです。
ノアの箱舟を模した記念館
 敗戦は、連合国軍兵士と弱い立場の日本女性の間に多くの子供たちを生みました。その子供たちへの蔑視や迫害は、想像にかたくありません。澤田美喜氏は、隠れキリシタンの遺物収集と同じくらい、混血児たちの養育(エリザベス・サンダースホームの設立)にこの大磯で力を尽くしています。遺物、混血児の命を守ることは、自分の生存と同等の意味をもっていたと思われます。彼女は焦土と化した東京ではなく一族の別荘地を買い戻しながら養育施設を次々とたてました。頭を下げ寄付を募る毎日だったと思います。彼女の思いに応えられた日本人がどれほどいたか疑問です。彼女への物心の支援の多くは外国の心ある人たちからのものでした。

 





再建された吉田茂別荘

食堂(ローズルーム)
  


   




 

   吉田茂氏の大磯邸は、焼失後5億円で再建、うち3億円

  の寄付を集めて完成しました。連合国の要人、皇室、

  政財界の重要人物が出入りされ食事が供され、

  この景色を共有しながら日本の復興と高度成長の旗が

  振られていたかと思うと「なんだかなあ」。



吉田茂氏
  それにしても個人の別荘に3億円の寄付とは、今の日本に欠か
 せない存在だったことが想像できました。75年後の日本社会の
 ありようは、この景色や別荘で語られたであろう日本の未来とは
 程遠く狭小にみえます。吉田茂氏のこの別荘内の居場所は、
 4畳半の掘りごたつのある小部屋。脇にある一本の電話は、
 政界、財界を縦横無尽につないでいたということです。
 今そういうふるまいは、たとえだれであってもゆるされない
 でしょうね。今は、一人の宰相より1億人の国民が主役の
 はずの日本です。
  広大な敷地の一角に「七賢人堂」があります。吉田茂氏は
 岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝充、伊藤博文、
 西園寺公望にならんで7人目の賢人と自らを加えました。
 この七賢人は、この大磯に競って戦前に別荘を建て、リゾート
 ライフを楽しんできました。大磯は、日本の為政者たちに富士山
 がみえ風光明媚で社会から隔絶した魅力的で夢の見れる土地だったことが
 よくわかります。

 最後に訪れた郷土資料館には、古墳時代の横穴から町内会の祭りまでのこの土地の

人々の質素で堅実な生活が見られます。藤村は、この土地の左義長祭りを見てここを

終の棲家と決めました。吉田茂氏は、この別荘の窓から太平洋と富士山を見ながら

息を引き取りました。澤田美喜氏は、日本ではなくマヨルカ島で余生をおくりました。

 大磯という土地の面白さはまだまだありそうです。私は、澤田美喜氏の洞察力を

感じさせる油絵と隠れキリシタン遺物、吉田茂氏の掘りごたつと窓からの四海波が

強く印象に残りました。澤田美喜氏の記念館がコースになかったらうっかり

日本近代史のおさらいで終わってしまうところでした。



 

 

 



2022年5月24日火曜日

83歳まで働いていたよ

居場所

  生活を支えるために女性も内で外で働いてきました。東京に住む高齢の女性には、地方から嫁いできた人も少なくありません。私の働いている高齢者施設を利用している方たちから、私は、南は鹿児島・熊本 北は秋田・北海道までと日本中の昔話を聞かせていただく機会に恵まれています。私は、そこでその方たちと一緒に運動をするだけでなく消えゆく記憶や脳の働きを活性化する仕事をしています。私自身は、そろそろリタイヤを考えることが多くなりましたが・・ある日「私は、83歳まで働いていたのよ。社長さんにまだ働いてくれといわれたけれど危険もあるし、自分から辞めてきたのよ。続けてくれと引き止められたときは、うれしかったけどね。もう年だし、自分のことも考えなくちゃねえ」この女性にとっての「働く」は、生きることそのものだったのでしょう。働く=生きること、こんな幸せはないなあと思いました。「働く」の語源は、「はたが楽する」と聞いたことがあります。社長に引き止められてやめることになったからには、きっと一所懸命、人のために働いてきたに違いありません。今のように、共働き、女性の社会進出などで押し出される以前の「働く女性」の姿があるように思いました。コツコツと家族のため、生活のため、会社のため・・・。人が喜ぶことが自分の喜びということを絵にかいたような話しぶりに面喰いながら私は、彼女の話に相槌をうっていました。彼女にとってその日が最後の利用日でした。単身生活が難しくなり明日からは、仙台の娘の元で新しい役割を見つけながら生活され、寿命を全うされるだろうなあと励まされる思いがしました。施設の日常では、働いていないといられない彼女は、よく隣の人と話をし、世話を焼き、脳トレには、好奇心たっぷりにチャレンジされていました。

花の命は短くて
 女性の社会的進出が遅れているといわれる日本ですが、この高齢者施設の日常を見ていると活気の感じられない男性群に比べて女性群の元気なこと。お互いに励ましあい、助け合って脳トレにチャレンジし、「私若い時は、ダンスホールに通ったのよ」「私はバスケットの選手だったよ。」「旅行もよくしたわね」と運動に意欲をしめされ、楽しそうにボールなげをされます。高度成長期を支えた企業戦士たちは、こうした女性たちのエネルギーに支えられていたのではないでしょうか。そのへん日本の男性社会は、見逃すか、見て見ぬふり? 企業戦士たちが陣取りばかりにうつつをぬかすことなく彼女たちに目を向けていたらもっと違う日本になっていたように思います。施設の日常も男女入り乱れて楽しい会話の飛び交う社交場に化していたのではないかと思います。せめて20年後には、そうあってほしい。



















 


2022年4月29日金曜日

義仲寺で

右に義仲 左に巴御前

琵琶湖畔の旧東海道沿いにある一帯は、昔粟津が原といわれた沼地。
 源範頼、義経の軍に追われ、この地で討ち死にされました。寿永3年(1184年)享年31歳。義仲の遺骸は、この地に埋められ、その後、愛妾だった巴御前と山吹と思われる尼僧が小さな庵をむすびねんごろに義仲の霊を弔ったといわれます。その庵が無名庵、寺は、義仲寺。時代はうつり、戦国時代には、寺は荒廃します。ときの近江国の国守に寺は、再建され石山寺に、その後三井寺に属することなりました。
 江戸時代に大修理がされたようでその後、芭蕉がたびたび来訪し無名庵に宿泊しています。明和6年(1769年)の蝶夢法師の中興、安政3年の火災、明治29年の琵琶湖大洪水、その後改修工事があったものの大東亜戦争と戦後に全建物が壊滅したと「義仲寺案内」にありました。
 昭和になり個人篤志家に再建され、その後寄進により改修、整備がされ昭和42年に境内全域が国の史跡になりました。なんともドラマティックないわれをもつお寺です。 

正面 翁堂 左が芭蕉の墓所
義仲や 寝覚の山か月悲し 芭蕉

  義仲の物語に心酔し、「義仲の隣に墓所を」と遺言した芭蕉の墓所としても人心を集めています。義仲の物語と芭蕉、さらに芥川龍之介も義仲大好きらしいことを知り、往時の知性たちの琴線にふれる義仲とは、どんな人物だったのだろうと寺にきて初めて思いました。 鎮魂を底流とする謡曲に親しんだご両人は、若くして志ならず、御上に裏切られ同族に抹殺される「義仲」に美学を感じたのでしょう。「義仲」の墓は、名前すら判読できないほど苔むし、彼の死を憐れむ人たちが「義仲」の存在を840年伝えてきたという感慨をおこします。

翁堂の天井

  


21世紀であっても世界中に「義仲」がおり、「義仲」を作り出す社会があることがなんとも情けなくもありますがこうして無為の死を悼む気持ちがあるかぎり希望もまたあるように思いました。床几にすわれば義仲、巴、山吹、芭蕉、芭蕉の弟子たちの墓が一望できてしまう小さな境内ですが翁堂の天井には伊藤若冲の4季花卉図があります。これもまた判別不能ですが彼もまた「義仲」物語に心を寄せた人なのでしょうか。それとも芭蕉を悼んでの寄進でしょうか。どちらにしても境内は、鎮魂に力があること思い出させてくれ世の無常と安寧を感じることができました。


 今の世の中、国防や制裁の議論もよいが、日本にできることは迫害や戦争で傷つく人たちの鎮魂に寄り添うことではないかと国連事務総長のロシア・ウクライナ訪問のニュースを見ながら、琵琶湖湖西線からの近江富士を横目に米原に向かいました。

JR 膳所駅の壁画



2022年3月29日火曜日

大人になった「戦争を知らない子供たち」よ。

 ウクライナとロシアに知人をもつ友人からの話です。

               娘とウクライの母

  今日、彼女が来ました。侵攻激化のニュースの中で、キャンセルになるかなぁと気にしながら待っていると、「ママと話していた」と遅れて、やって来ました。ママはPokpovsk という(地図上では、制圧されたという南部のマウルポリの近く)に住んでます。心配する友人の言葉に「ママは元気で強い!、大丈夫。たくさん話した。」と、彼女も心なしか元気です。涙見せたら、泣くんじゃない!と叱られたと。彼女は日本語検定の2級を受ける予定ですが、「『ママが心配で気になるから、受検止めるかもしれない』と言ったら、『受けなさい!』と強く言われてしまったから、頑張らないと」。

 そしてこんな話も伝えてくれました。彼女のママの友人の娘さんが、安全なところで出産するために、母親と二人で、160キロ離れたところに5日間かけて移動した。「今、無事についた」と連絡があったとママが喜んでいた。ママの話では、途中で、危ないこともあったようだけれど、身重の二人連れを、見ず知らずの人たちが「家に泊まりなさい」と声を掛けてくれて、なんとか辿り着けたとのこと。「でも、そこも確かに安全という訳ではないんだよね」とママは言ってると彼女。マウルポリでも、地下のシェルターで赤ちゃんが何人も産まれたそうだけれど、食べ物も無く寒くて、大部分亡くなってしまっている。彼女のママは、現地にとどまり、周りの人たちと協力し合って頑張っています。

☆一刻も早く停戦になって欲しい! 彼女やママだけでなく世界中の願いです。

                ロシア女性のつぶやき

 ロシアの彼女はプーチンの歴史観にかなり前から危機感を持っていて、語っていました。スターリン崇拝者であり、日常的に変な儀式を行っているなど、狂信的な面がそら恐ろしいという印象をもたれていたようです。
 かつ、殆どの国民は、プーチンの戦争は、正しいことをしているのだと思っている、と。ロシアの国民は、何かあれば、судьба(天命・運命)という語で片付けて、深く考えない、とも。広大で厳しい自然と過酷な歴史の中の諦観があるのでしょうか?非常に宗教的な人々です。というのが彼女の自国評。手紙の最後には、「神よ、我々を救い給え、ああ神よ」

理性が打ち勝ちますように! 彼女だけでなく世界中の戦争を嫌う人たちの願いです。

             私も何かしなければ。何ができるかしら。

 平和を願うこと、ウクライナの人たちを支援する団体に寄付すること、sns・テレビだけでなく新聞に幅広く情報をの求めること、物価が高くなっても、ガソリン代があがっても・・・。子供を守りたいウクライナ、ロシアの母たち、女性たちを応援すること。 たくさんの戦場、退避している人たち、破壊された街並みの映像をリアルタイムで見せつけられている世界の人々までもが感情の高ぶりに任せると善か悪かの安易な解決を切望してしまいます。戦争に善も悪ありません。善は偽善、悪は極まれりです。

 錯綜する情報にあおられず「日本だったら?」「自分だったら?」「国をまもるって?」と自問自答すること。それが先の戦争で学んだことではなかったかと「戦争を知らないこどもたち」を大声で歌っていた私は考えます。


春よ 来い



 

2022年3月10日木曜日

ウクライナの巴御前 

  謡曲の「巴」は、義仲の愛妾「巴」の悲しい恨みを伝えています。義仲は、同じ源氏の大将に追い詰められ、粟津ヶ原
で自害します。愛妾「巴」は、薙刀を携え義仲の後を追いますが義仲に「お前は女だから、一緒に死ぬことはない。この小袖を持ち帰り弔ってほしい」と突き放されてしまいます。謡曲では、前半の「巴」は、琵琶湖粟津が原にたたずみ、義仲を忍ぶ姿で、後半は、義仲への恨みの妄執に苦しむ女武者の姿で現れます。

 「巴」は源平合戦、平家物語のひとつですが、ロシアのウクライナ侵攻のニュースに戦々恐々とする今「巴」の存在は、とても身近に感じられます。昔合戦、今戦争、昔刀、今ミサイル、今も昔も引き裂かれる男女の仲、家族の絆、国家の威信、砕かれる生活、平和。繰り返される歴史から「男性」は、いったい何を学んでいるのでしょう。国際女性デーに美しいキャビンアテンダントたちとテーブルを囲んでスピーチをされる大統領の姿をみていて思います。

 「落花空しきを知る。流水心無しおのづから 澄める心は、たらちねの」は、妄執の巴御前の名乗りの一声です。白楽天の詩に託して「落花は、この世の空しく儚いことを知っている。流水に心はなくとも自然に澄んでいる。」そして「巴」一言「澄んでいる心は、罪なものだ」と続けます。母の枕詞の「たらちね」は、ここでは「罪」としていると解説書にありました。それならわかる巴の心です。なんとも言えない諦観ですが、日本人の感性に訴えるものがあるようで人気のある謡曲として600年の時空を超えて受け継がれています。

 戦線に送り出される兵士たちには同じ数の巴御前たちがいるはずです。謡曲「巴」のように 戦う夫、恋人に未練をもつ人もいれば、為政者を糾弾すべく強い気持ちで戦う女武者も、生活を守り続ける女性も、銃後の守りにたちあがる女性もいるでしょう。インタビューに毅然として答えるウクライナの女性、ロシア市街で反戦デモに参加するロシア女性、3月8日の国際女性デーに世界で評価される日本女性の活躍。男性集団の戦闘は、絶えませんが、人類の半分を占める女性は、確実に進化しています。あなどるなかれです。





 





2022年3月1日火曜日

ウクライナ vs ロシア

                 ウクライナエッグ



ウクライナに光を!

 

2022年2月16日水曜日

covid19 vs バレンタイン・チョコレート

 日本のバレンタインデーの賑わいも感染症3年目に入る今年は、心なしか静かに思えます。店頭にならぶチョコレートもチョコレートよりおしゃれな箱がほしくなるものより、おとなしめなシックなデザインの箱が目につきます。消費者の好みも左右してしまうパンデミックです。

パンデミックは日常の生活の好みも変えてしまっているようです。「旅行したい」「外出したい」、「買いたい」「めずらしいものを食べたい」などの気持ちが抑えられてしまっています。 わたしのようなシニアは、なおさらで家で掃除をしたり、調理や読書、趣味に時間を使うことが多くなりました。ちょうど人生の変わり目とパンデミックが同期したように緩やかにライフスタイルが変わってきました。ストレッチも習慣になってきました。テレビの代わりに読書や音楽を楽しむ時間も増えました。

 結婚後の子育て、共働き、遠距離介護、看取りの忙しく、気ぜわしい日々が夢のようです。季節の変わり目、年度末のこの時期のチョコレートは、たとえ義理であっても一時気分転換のきっかけを作ってくれるイベントでした。最近はチョコレート会社にお世話にならなくても自分で気分転換ができるようになり、 私の好みも「チョコレート」から「大福」に。

 パンデミックが、もたらしたものは、多かれ少なかれ生活の変化です。生活の変化をポジティブにとらえられるよう個人も社会も努力しなければならない時期に入ったように思います。 ウィルスとの共生は、個人の価値観の変化に合わせた社会制度の見直しがなくてはなりません。大きく出れば、入国管理は、世界基準で、医療制度に公衆衛生を、終身雇用から柔軟な就労へ、社会インフラ従事者の待遇改善、教育へのリモートツールの活用と情報倫理教育・・などなど 身近なところでは、ソーシャルディスタンスに強いメンタル、手洗い・うがい・消毒の生活習慣、自分の健康は自分で守る。「何が起こるかわからないからベストを尽くそう」というスローガンですね。やりすぎない、ほどほどで短期決戦でなく持久戦に備える体力づくりと芸能を愛して日本人遺伝子の免疫力を高め、次なるパンデミックに備えましょう。 人生100年とすれば 私は、まだ2,3回は経験しなければなりません。柔軟な気持ちをもってパンデミックに鍛えられた若い世代にお世話になりたいと思います。「大福」片手にフィギア男子のネイサン・チェンの演技に色気を感じた私のバレンタインデーでした。



2022年2月13日日曜日

COVID 19 vs 分配



 今年のキーワードの一つに「分配」があります。漢字と読み方からいろいろな事柄の連想を生むのが日本語の特徴です。「分配」から私が連想してしまうのは「長男・長女の業」ところ。

日本では、「長男・長女」は、家族、一族にとって特別な意味を持って利権もはっきりしていますが最初に生まれたというだけで責任も大きいものがあります。江戸時代に完成し、明治・大正、昭和の社会の秩序のもとになってきた家父長制の中で「長男・長女」は生きてきました。戦後民主国家となって公平・平等が謳われても「長男・長女」は生きているんじゃないかと思います。困ったときには責任を負わされ、頼られる「長男・長女」、気ままで甘えん坊、いいとこどりの「その他」。「お兄ちゃん、お姉ちゃんのものは僕・私のもの、分配は、公平よ」というわけでござんす。

 「分配」の方法は僕・私の責任でやってと押し付けられる「長男・長女」。ここで問われる「長男・長女」の器!小さいながらも一生懸命公平になるよう気をつかいます。「その他」は、公平かどうかを一生懸命吟味する立場。生き方もおのずと変わってきて当然。これは、昭和時代の一つのホールケーキを囲んだ兄弟姉妹の風景です。

 

 「分かち合う」という言葉を知ったのは、もっと私が成長してから。みんなで分け合う。その場面には、目に見える「ホールケーキ」ではなく、目に見えない何かがある「鍋」がありました。「鍋奉行」は、いても利権がらみの「長男・長女」、虎視眈々の「その他」はいません。度重なる自然災害、パンデミックは、生活の基盤を揺るがしています。公平ばかりに気を遣う甘いホールケーキの分配で相手の大きさを気にしながらのおやつより、鍋奉行の暖かい「分かち合い」で量より満腹感のある食事に魅力を感じる今日この頃です。

 

孫美!誕生 

同じ日 孫一のところではクロアゲハが羽化しました。    次女の出産で 大阪にきています。生後まだ10日。右も左もわからないのは、若い親たちも同じです。「意外とわかってるな」と30数年前の記憶と孫一の時の記憶をたぐりながらおばあちゃんは、がんばって「子育て支援」の一端を担っていま...