2014年2月26日水曜日

梅といえば 湯島 湯島といえば 受験生



友達と湯島天神の梅を見にゆきました。5ー6分咲きでした。境内は平日にもかかわらず私たちと同世代の中高年で満開! 1日でも早く春を感じたい気持ちが伝わってきます。
 この季節 湯島天神は学業成就祈願の若者にとってのパワースポットでもあります。たくさんの絵馬が合格祈願の大きな字に飾られて山のようにかかっていました。
 そういえば私も40年前には、一受験生 努力が足りなかったのでしょうか最後は神だのみの気持ちになったのを思い出しました。

 受験生 頑張れ!思わずエールを!!!

女坂 梅5分咲きの色っぽさ
今は受験だけでなく自分の力を試すチャンスはいくらでもあります。恵まれた時代になりました。昔もいろいろあったのでしょうが箱入り娘には見合い結婚か大学かの2者択一
しか考えられませんでしたね。
 人生の一つの岐路にこれしかないと自分を追い詰めて力を発揮させようとするのもひとつの考え方ですが・・「人生運動会じゃないし」と私は思うのです。
おサルのひろしは絶好調

ブランド大学の大学生であることより自分で決めることができ決めたことに責任がもてる人の方が社会や世界では役にたつでしょう。捨てる神あれば拾う神ありという経験を山ほどしてくると合格祈願の絵馬が1000あれば1000の人生に見えて微笑ましくなります。どうか自分で決めた道に全力を尽くしてその結果如何にかかわらず結果は自分の責任と受け止めていきましょう。これからの人生1点に泣き、1点に助けられるということはよくあることです。天神様のおサルも応援しています。


2014年2月22日土曜日

男ありて

 今日は雛人形をだして飾りました。母の手作りの木目込み7段飾りという代物です。毎年出してあげないとお蔵の中から声が聞こえてきそうです。2月11日ごろに出して約1か月 家の中に早めの春を運んできます。私の娘が1歳の節句に完成しました。それ以来 30数年毎年我が家を賑わしてくれています。出し入れは殆ど私の仕事ですが・・・・。いくつになっても女の子らしいやさしい気持ちで準備後片付けができる行事です。仕事に外に出かけていた頃も土日に集中する家事の合間をぬっては組立式の階段や雛の並び方に苦心してきました。今はたっぷり時間があります。「あれ こんなお顔していったけ」と発見があり楽しい時間です。

 女といえば男 図書館で澤地久枝さんの「男ありて 志村喬伝」を借りてきていました。女・女してくるとなんかピシッとしたものに触れたくなるものです。山村聰と志村喬は和服姿が父と重なるので私にはなんとなく親近感がもてる役者さんです。山村聰も志村喬は明治の生まれです。

 澤地久枝さんの著作は取材が優れていて細部のエピソードのリアルさでぐっとくることがあります。今回は寡黙な志村夫妻の往復書簡が素晴らしかった。私の父たちの世代の夫唱婦随の姿が彷彿と湧き上がってくるようです。共働きの背景にある男女同権・男女平等の潮流の下にも流れているかもしれない細やかな交流が読み取れます。
 
往復書簡から (志村喬 32歳 政子 24歳の結婚前の秋)

 政子あて
  お手紙有がと、私こそご無沙汰して申し訳ありません。忙しいので遂。それに性来の筆不精とで、悪しからず。
 時にご相談ですが、家を越そうと思いますがどうです。貴女が今の家がよければそれでいいですが、水道、ガスがないし女の人にはちと淋しすぎるからどうかと思っております。実は今日は久しぶりの休みだし、これから貸家さがしに歩いてみようかなと思います。
 日活入社のときに撮った写真、焼増をしましたから送ります。ご笑納ください。では今日はこれで。皆様に宜しく
   廿二日
 



 志村喬出演の映画をYOU TUBEで検索してみました。「獣の宿」と「ドレイ工場」です。どれも戦前・戦後の日本の社会を映して余りあるものです。こんなに男性が元気で闘争本能丸出しの時代があったのかびっくり 昨今の中東の暴動のシーンに似ています。アメリカの戦後統治から抜け出そうとしていた人たちの思いが映画に凝縮されているように思いました。

 朝の掃除に始まり雛飾り 「男ありて 志村喬伝」の読書と映画鑑賞 一日の終わりは真央ちゃんのフィギア・フリーでした。男も女も輝く世界であってほしいです。どちらかの性が縁の下の力持ちの役割をおしつけられているのではない社会です。
 志村喬・スペンサートレシー・ジャンギャバンは物語や映画の主人公ではないがしっかり光を放つ存在感をもつ役者です。そこに魅力を感じることができると映画も2倍楽しめますね。ちなみに 「獣の宿」の主人公 若き日の鶴田浩二はどこか瑛太に似ていました。こういうところはおばさんですが・・。映画のように物語の筋や役割がはっきりしているわけでないのが日々の生活です。いつ だれが主人公、脇役に回るかわかりません。日々のこころがけがものをいうのでしょう。志村喬にならいひっそり光ることができるようにしたいものです。
 


 
 

2014年2月18日火曜日

お•も•て•な•しを超えて・・・ 草津編

妹と二人 草津温泉を楽しみに行きました。ハトバスのパックツアーです。朝7:30新宿出発 草津まじかの浅間酒造で試飲を楽しみました。このときにバスはチェーン装着して 予定通り到着でき
ました。雪景色にのなか 犬のように温泉を駆け回り お肌ピカピカで夕食
湯もみと落語を楽しむ
其の間雪は止むことなくしずかに積もってゆきました。海外旅行のツアーコンダクターの仕事をしてきた妹はなにやらソワソワ 臨戦態勢に入っている様子です。そんな妹を横目でみながら湯畑の夜景プラス雪景色 落語など 温泉情緒を満喫しましたが 翌朝 妹の予感的中 ホテルロビーは帰りの情報を求めて人が溢れていました。私たちの出発は午後3:00まだ時間はあるとはいえ草津に入る道路はすでに交通止め 温泉街も夜通しの除雪にかかわらず歩道は腰までの高さに雪が積もっています。それでも昼には町の人たちや除雪車 町の下を流れる温泉のお陰で道筋がみえてきました。雪の中フロントに荷物を預けハトバスからの連絡を待って近くの外湯で時間つぶしをすることにしました。草津でもこれだけの雪は珍しいとのこと、次第にただならぬ周囲の雰囲気です。
時々ホテル内も停電 、コンビニの商品も品薄ぎみになってきました。
ホテルからの湯畑
ツアコンの妹の指示で一泊車中泊を考えて 非常食用にカロリーメイトやチョコレート 、せんべい 、ティッシュなどを購入しました。  外湯施設の利用者はさすがに少なく独り占め状態でしたが露天は水温下がったり 落雪の危険のため入浴禁止 です。店は早目の店じまいか臨時休業 ホテルに帰り朝から待機している人たちに交ってハトバスからの連絡を待ちました。結局 ハトバスは群馬県内で草津交通止め解除を待つということで今夜の宿泊手配をしてもらいホテルの同じ部屋に宿泊 夕食 朝食も確保できました。明日ハトバスに乗って草津をでるまで予断は許せませんがまずは一安心 ひと風呂です。
 海外ではこういう場合 バス会社は宿泊の手配をしないようです。災害天災は免責という契約でそれは日本も同じ
積雪の様子
今回私たちが苦労せずチェックアウト午後に再度チェックインできたのはバス会社の日本らしいおもてなしスピリットのお陰のようです。海外だったら明日どこどこにバスが来ます。という連絡だけもらい客はロビーで待機しつづけるか自力で宿泊施設を確保するのです。室内の掃除なしで割り引いてもらい
昼の炊き出しもありました。こういうところの日本らしいきめ細かいサービスに感心しきりの妹です。海外旅行で痛い目を見ていない私には当然とうつるのですが。妹の海外の話をきいて改めて日本のおもてなしスピリットに感謝しました。
 とはいうものの明日帰して!!!

ps: このブログを書いてからこのホテルに2泊しました。それでもバスが迎えに来れない状況となりホテル側がチャーターした現地バスで高崎にでて新幹線で帰ることになりました。はとバス担当者にホテルフロントとやり取りしてもらいましたので身体的にも精神的にも助かりました。
 いまだ孤立状況にある皆さんの事を思うと一日でも早く雪解けになるよう願うばかりです。





2014年2月9日日曜日

生後3か月 甘やかしてナンボですわ

我が家に生後3ヶ月の赤ちゃんがいます。通称孫一( まごいち)  体格のいい男の子です。今年は私にとってはおばあちゃんデビューの年でもあるのです。
  二人の娘を産んで育ててきたのにその記憶がないのです。夫もそのようです。共働きだったからでしょうか?振り返ってみると自分のことでいっぱいいっぱいだったのでしょう。
  しかし 経験者は強い!いざ子守りになると思い出すわ思い出すわ 。いい加減な子守り唄までも  素晴らしい!このいい加減さがきっと娘たちにも伝わってしまっているのだ とはっとさせられます。
背中に物を言わせる孫一
  孫一は最初 泣いているか寝ているかの生活でした。そのうち目がみえてくるのでしょうか目をあけて見つめるようになりました。そうなると俄然母親父親 その他もろもろが思いっきり顔を近づけて我先にとアピールしますね。
  「孫一が笑った」といって大騒ぎになりましたが最初の頃は笑うというより顔が引きつっているといるような表情でした。歯がないことも笑顔に貢献しています。この頃気持ちよさそうに笑う。気持ち悪い感じのときは泣く、お腹すいてくると泣く、眠くなると泣くなど表情も豊かになってきました。ついつい顔を見ている時間も長くなります。
 抱くことでわかる赤ちゃんの体の様子があります。 ふにゃふにゃしている感じから力の入る様子など抱いているとわかる赤ちゃんの気持ちです。
 抱き癖がつくと心配する向きもありますが抱いてあげることが成長の大事な栄養でないかと実感します。抱いて育つ時期があるのでしょう。
 世界の赤ちゃんには「抱かれず」「見つめられず」育つ子も決して少なくありません。その子たちが少しでも暖かいぬくもりを感じる時間がもてるよう祈るばかりです。
 



2014年2月7日金曜日

東京気質(えどっこかたぎ)

 東京気質の神髄は「見栄っ張り」でしょう。形に始まり形に終わる。一見中身なんてありません。
かっこがよければ かっこがつけばいいのです。形がとれないことへの恥の文化
花火だす
勢いよく書いてしまいましたが 名古屋に30年以上住み母の介護で東京に戻るようになって5年、名古屋東京の文化の違いを感じる今日この頃です。

 「○○のおまんじゅう」「○○のおべんとう」「○○のお椀」・・・というこだわりも東京には多いですねえ。これは職人の多かった江戸の人たちが職人の技芸を大切にした名残と聞いています。「職人がひと肌ぬいで貢献する」ということに意気を感じる文化がありました。

 江戸も3代住めば江戸っ子といいます。私も3代目 父の父は新潟長岡からの大正時代に上京してきました。その頃の東京の人口は約220万人。 今は約1330万人と言われています。東京は地方に出自をもつ人の多い土地柄かもしれません。横浜出身の母の実家は56代目が継いでいます。

 何がいいたいかというと 形を大切にする文化は多様な人たちが助け合って生活する知恵のひとつじゃないかと思うからです。形やきまりを守ることでお互いの距離感を適度に保っていられるということです。しかし形にこだわり始めるとあいさつやもてなし、行事や祭式などいろいろな決まり事がやたらと多くなります。きまりきまりを作っていつかきまりがないと生活出来なくなってしまっています。何か一大事が起きたときそれで大丈夫かしら????

 富士山が爆発したり直下型地震に見舞われたら 何を一番大事にするかしら、どんな行動に出られるかしら、きまりを破って行動する勇気があるかしら?そんなときまで「見栄はっちゃう」ような気がします。「見栄はって」生き延びることができればいいですが・・・

 きまりを破るためには本質がわかってないとできません。やみくもにきまりを破れるのは若いうち分別がでてくると上手にきまりから逃げ出して息抜きしたりもするものです。東京の人口は高齢化に大きく傾てきているといわれます。きまりを上手にかいくぐってしまう気質ばかりが残ることなく 人のためにひと肌ぬぐ昔ながらの江戸っ子気質も残っていってほしいですねえ。

ジョン・レノン フォウ・エバー

 最近はCDケースを開けて音楽を聞くという機会が少なくなりました。インターネットの環境を利用しようとすればCDを買わなくてもたいていの物は聞けるようになってしまいました。
 CDケースを片付けていたらジョン・レノン アコースティックというCDジャケットが目につきその古めかしさに惹かれてちょっとかけてみようという気持ちになりました。
JOHN LENNON ACOUSTIC 東芝EMI2004
私はビートルズ世代に遅れをとった世代になるので全盛期には巻き込まれませんでした。ビートルズというよりジョン・レノンであったりマッカートニーであったり、ジョージハリスンであったりとそれぞれが独立して活動を始める頃からそれぞれの音楽に魅力を感じるようになってきたしだいです。
 ジョンレノンの休業宣言の頃 私は結婚しました。主夫業に専念するといって音楽活動をほんとに休止してしまったレノンがすご~く素敵でした。というよりオノ・ヨーコがよかったのです。私自身は甘ったれの部類ですから家事をすることに????? どうして夫は家事ができないの? 仕事は外でするもの月給こそ生活の基盤という男女分業の歴史に大きな疑問を持ちはじめた頃の出来事でもありました。レノンが家事・子育て? これは何か私の知らない魅力が家事や子育てにあるのかもしれない。と家事・子育てを見直す気持ちにもなりましたが音楽活動復帰を目前にレノンは死んでしまいます。唯一レノンの休業・育休中の生活はCD「ダブル・ファンタジー」偲ぶしかありません。 子育て・家事の世界の魅力に気が付くこともなく私はサラリーマン生活をめざすことになるのですが 今のように退職して自由時間が多くなってみるとサラリーマン生活から解放され休業に入ったレノンの戸惑いもわかるような気がします。
 「ウォッチング ザ ホウィール」という曲の歌詞の中に「僕はただここに座って車輪を廻しているだけ ただ転がるのを見るのが好きなんだ」というのがあります。いろいろな役割から解放されるとそういう時間に恵まれる。自分が回るのではなくて回っているのを見つめてみたい。
 音楽活動に復活したら休業中に感じ見つめた事を歌にしてくれたろうに・・と思うと残念ですが
レノンが感じたことが何だったかを考える時間が今の私にはありそうです。

 
 
 

2014年2月2日日曜日

理系女 満開

小保方さん おめでとう!!
小保方さんの研究が注目を集めました。細胞がストレスを受けて万能細胞に変化することを突き止めたというものです。はじめ私はぴんときませんでした。ストレスは日常的に使う言葉のため細胞レベルのストレスについては考えてもいませんでした。彼女は実験結果から細胞もストレスを感じていると読み取ったのですね。どんなストレスが細胞を万能細胞に変化させるかが彼女の研究でありその成果は世紀の発見・従来の生物学の常識を打ち破るとして大きく評価されました。まだ30代で研究生活の醍醐味を味わう幸運を射止めた彼女に感心しています。
 最近 理系女子が話題になるようになりおしゃれでスマートな女性の代名詞になってきています。私の学生時代は 理系に進む同級生は極めて少なく文科系華やかでした。時代は変わってきていることを実感する出来事です。
 ニュースでは、研究は自分を発揮しやすい環境で自由にやるということを実践していたのでしょう。それが研究室でのブーツでありムーミン,シールやピンクの壁紙ということとしてニュースで取り上げられていました。自分の心地よい環境へのこだわりは 私にはない感覚かもしれません。私にそういう感覚があっても仕事という環境では周囲の状況に合わせることの方に力を注いでしまいますものね。環境は家や研究室だけでなく本当は友人・家族・職場の同僚や上司やライバルなどの人の繋がりはもっと大切な環境でしょう。彼女のポジティブな生き方と粘り強さが必要な人を引き寄せてきたのではないかと思います。
 負けず嫌いな性格は研究者ならだれでも持ち合わせているでしょう。生物学の権威筋からの評価は精神的にきっと大きな打撃だったと思います。一撃であきらめてしまわなかったことが彼女の強さとユニークさだと思いますねえ。「権威筋からの否定的評価こそ勲章}としてさらに完璧を求めたのでしょう。否定的な評価を励ましに変えて自分の感性や理論を追及することができたわけです。見習いたいところです。多いに励げまされました。
 彼女の研究は5年前にスタートしたようです。「子宮の機能をなくした女性に赤ちゃんを」再生医療に私も携わりたいという意欲は指導教官を圧倒したようです。再生医療は神の領域という疑問を持つ前に彼女は「悲しんでいる人を助けたいという」動機を持ったとある番組でその動機を紹介していました。動機が弱い、強力な動機がないという若者の評価がまかり通る昨今なんて力強い動機だろうかと思います。人の役に立ちたいという気持ちは物の起源は何だろうという好奇心と同じ力を科学に与えるものなのでしょうか。
 私のまわりにも20代、30代女子がいます。彼らもまた自分の快適な環境で発揮できる自分のこだわりを持っています。世間や既存の感覚に抗う力も備えてきています。彼女に倣って自分の感性や考え方を鍛えて新しい時代を切り開くパワーを発揮してもらいたいと思いました。彼らの芽を育てられるような大人でありたいと思いますが自分はきっと若い芽にとっては鍛える柵(しがらみ)のひとつだとも自覚しています。物わかりのいい大人である必要はないな。育つ芽はどんな柵でも伸びてくるものだと考えさせられました。

2014年2月1日土曜日

松陰神社の梅 満開



吉田松陰 墓



 期日前選挙で世田谷区役所に行ってきました。世田谷区のおへそとも
いうべき若林です。三軒茶屋から世田谷線で松陰神社前でおり商店街をぬけ松陰神社を右に見ながら進むと世田谷区役所にたどり着きます。
 世田谷区の人口89万人 江戸時代 彦根藩主の所領で大きな農村でした。 また近隣の豪徳寺を中心に江戸城奥向きの菩提寺が点在する土地柄です。名木に指定される大木あります。なかなか知的な緊張感のある街に思えました。
 松陰神社は長州出身の吉田松陰をまつった神社です。 伊藤博文・山縣有朋など明治政府の担い手となった人たちが松陰の遺骸を祀りました。神社内には、幕末明治の志士たちが勉学した長州 山口県萩市にある松下村塾を移築しその頃の志士たちの生活の一端も紹介しています
松陰神社 梅の木




 松下村塾で学んだ人たちが灯篭を寄進しています。たくさんの灯篭が整然と並ぶ先に小ぶりの梅の木があります。これが満開 家の庭の梅はやっとほころび始めたところなのに神社の主にあやかってやはり先見の明ある木なのでしょうか

これを機会に吉田松陰の名言集を検索してみましたところこんな言葉に
出会いました。
 
    みだりに人の師となるべからず

    みだりに人を師とすべからず

松下村塾での教育

さらに松下村塾の教育についての看板には 松陰の教育は「気づき」と
「学生が考えること」を大事にしたとあります。君臣のとるべき道と外国と日本の違い 優れた人材の育成をその教育の目標においたともありました。志の高いこの学び舎は 2年間 90人の教え子を排出し吉田松陰の斬首で閉じることになります。その90人の多くが幕末で重要な働きをして明治政府を主導してゆくことを思うと教育の力の大きさを改めて感じます。なんと現代の教育の恵まれすぎていることか。教育というのは校舎や教具・指導要綱うんぬん以前に教える側と教わる側の気概やモチベーションがあってこそなのですね。
 今日は梅に誘われてちょっとした歴女になりました。



バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...