女といえば男 図書館で澤地久枝さんの「男ありて 志村喬伝」を借りてきていました。女・女してくるとなんかピシッとしたものに触れたくなるものです。山村聰と志村喬は和服姿が父と重なるので私にはなんとなく親近感がもてる役者さんです。山村聰も志村喬は明治の生まれです。
澤地久枝さんの著作は取材が優れていて細部のエピソードのリアルさでぐっとくることがあります。今回は寡黙な志村夫妻の往復書簡が素晴らしかった。私の父たちの世代の夫唱婦随の姿が彷彿と湧き上がってくるようです。共働きの背景にある男女同権・男女平等の潮流の下にも流れているかもしれない細やかな交流が読み取れます。
往復書簡から (志村喬 32歳 政子 24歳の結婚前の秋)
政子あて
お手紙有がと、私こそご無沙汰して申し訳ありません。忙しいので遂。それに性来の筆不精とで、悪しからず。
時にご相談ですが、家を越そうと思いますがどうです。貴女が今の家がよければそれでいいですが、水道、ガスがないし女の人にはちと淋しすぎるからどうかと思っております。実は今日は久しぶりの休みだし、これから貸家さがしに歩いてみようかなと思います。
日活入社のときに撮った写真、焼増をしましたから送ります。ご笑納ください。では今日はこれで。皆様に宜しく
廿二日
志村喬出演の映画をYOU TUBEで検索してみました。「獣の宿」と「ドレイ工場」です。どれも戦前・戦後の日本の社会を映して余りあるものです。こんなに男性が元気で闘争本能丸出しの時代があったのかびっくり 昨今の中東の暴動のシーンに似ています。アメリカの戦後統治から抜け出そうとしていた人たちの思いが映画に凝縮されているように思いました。
朝の掃除に始まり雛飾り 「男ありて 志村喬伝」の読書と映画鑑賞 一日の終わりは真央ちゃんのフィギア・フリーでした。男も女も輝く世界であってほしいです。どちらかの性が縁の下の力持ちの役割をおしつけられているのではない社会です。
志村喬・スペンサートレシー・ジャンギャバンは物語や映画の主人公ではないがしっかり光を放つ存在感をもつ役者です。そこに魅力を感じることができると映画も2倍楽しめますね。ちなみに 「獣の宿」の主人公 若き日の鶴田浩二はどこか瑛太に似ていました。こういうところはおばさんですが・・。映画のように物語の筋や役割がはっきりしているわけでないのが日々の生活です。いつ だれが主人公、脇役に回るかわかりません。日々のこころがけがものをいうのでしょう。志村喬にならいひっそり光ることができるようにしたいものです。
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