2014年2月1日土曜日

松陰神社の梅 満開



吉田松陰 墓



 期日前選挙で世田谷区役所に行ってきました。世田谷区のおへそとも
いうべき若林です。三軒茶屋から世田谷線で松陰神社前でおり商店街をぬけ松陰神社を右に見ながら進むと世田谷区役所にたどり着きます。
 世田谷区の人口89万人 江戸時代 彦根藩主の所領で大きな農村でした。 また近隣の豪徳寺を中心に江戸城奥向きの菩提寺が点在する土地柄です。名木に指定される大木あります。なかなか知的な緊張感のある街に思えました。
 松陰神社は長州出身の吉田松陰をまつった神社です。 伊藤博文・山縣有朋など明治政府の担い手となった人たちが松陰の遺骸を祀りました。神社内には、幕末明治の志士たちが勉学した長州 山口県萩市にある松下村塾を移築しその頃の志士たちの生活の一端も紹介しています
松陰神社 梅の木




 松下村塾で学んだ人たちが灯篭を寄進しています。たくさんの灯篭が整然と並ぶ先に小ぶりの梅の木があります。これが満開 家の庭の梅はやっとほころび始めたところなのに神社の主にあやかってやはり先見の明ある木なのでしょうか

これを機会に吉田松陰の名言集を検索してみましたところこんな言葉に
出会いました。
 
    みだりに人の師となるべからず

    みだりに人を師とすべからず

松下村塾での教育

さらに松下村塾の教育についての看板には 松陰の教育は「気づき」と
「学生が考えること」を大事にしたとあります。君臣のとるべき道と外国と日本の違い 優れた人材の育成をその教育の目標においたともありました。志の高いこの学び舎は 2年間 90人の教え子を排出し吉田松陰の斬首で閉じることになります。その90人の多くが幕末で重要な働きをして明治政府を主導してゆくことを思うと教育の力の大きさを改めて感じます。なんと現代の教育の恵まれすぎていることか。教育というのは校舎や教具・指導要綱うんぬん以前に教える側と教わる側の気概やモチベーションがあってこそなのですね。
 今日は梅に誘われてちょっとした歴女になりました。



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